穀雨



細かい、霧のような雨がけぶっている。
「こんなに雨が続くなんて、珍しいね。舵、交替しようか?」
医務室で薬と水を手にしたソウシが、しっとりと濡れてウェーブがかかった髪をうっとうしげにかきあげたシンを見た。
「いえ……。この海域で、この時期の雨は、避けようがありませんから…」
ソウシから薬を受け取ったシンが、その場で口に含んで水とともに飲みこむ。
眉をしかめたのは、苦味が強かったからだろうか。
「三日も雨の中で不眠不休の舵とりしてたら、体調を崩すのは当たり前だよ? そう浅瀬の多い海域でもないはずだよね?」
「ドクター? 今の即効性の解熱剤って……」
「うん、大丈夫。解熱効果はあるからね。誘眠効果の方が強いけど…」
崩れ落ちるように意識を失ったシンをベッドに運んで、船医はため息をついた。
「何があったか知らないけど…意地っ張りもいい加減にね。心配するのは、ヒロインちゃんだけじゃないんだよ?」
全てを見聞きし、成り行きを心配していた我は、事態が動くことに、とりあえず安心した。
我は、この船の精霊、シリウス。
この船で起きた出来事の全てを知る存在。
「眠ったか…?」
「正確には、薬で眠らせたんだけどね」
医務室を訪れたリュウガに、ソウシが苦笑する。
「じゃあ、まあ、シンが高熱で倒れたことにするか」
「ナギは聡いから、どうかな?」
「別に気付いたところで、熱出して寝込んでいるのはマジだろ」
リュウガの知らせを聞き、ヒロインは慌てて医務室を訪れる。
ソウシは寝不足と雨に打たれた風邪だろうからと告げ、ヒロインにシンの看病を任せて医務室を出て厨房に向かった。
「ナギ、原因は何?」
「……シン、大丈夫なんですか?」
いきなり核心を訪ねたソウシに、会話を合わせないナギの答え。
「寝不足と雨に打たれ続けたことによる発熱、かな。休ませてきちんと食べさせれば、熱も下がると思うんだけどね」
「…らしくねぇな…」
無表情で呟くナギに、安堵と疑惑を読み取ったソウシが、くすっと笑う。
「本当に、ナギらしくもない。シンも、ね。話したくないならいいけど、二人とも変だということくらい、全員気づいてる。ケンカの理由はヒロインちゃんじゃないよね? 本当に珍しいし、らしくないよ。二人とも」
「………」
もともと無口なナギは、口を閉ざしたまま氷をザクザクと刻んでボウルに入れる。
溜息をついたソウシが踵を返した。
「私はリュウガと話があるから、その氷ナギが医務室へ届けておいてね」
有無を言わせずに去るソウシはそのまま医務室を訪れ、ヒロインを伴って船長室へ向かった。
「船長が呼んでいるって…シンさんは…」
「うん、その間、ナギが看ててくれることになっているから大丈夫」
「ナギさんですか?」
少し不安そうな表情になるのは、ヒロインもシンとナギの様子の異変に気づいていたからだろう。
氷を持って医務室の扉を開けたナギが、無人の部屋に寝かされているシンを見て、舌打ちしている。
「大丈夫だよ。二人とも子供じゃないからね。子供みたいだけど…」
そして。
ヒロインが船長室に足止めされている間。
医務室では、目覚めたシンとナギが、三日ぶりの会話を交わしていた。
「馬鹿か?」
「こっちのセリフだ」
「ドクターにやられたな」
言葉少ない会話だが、お互いに苦笑しているあたり、仲直りは成立したのだろう。
我と二人だけが知る諍い。
「あ、シンさん、起きたんですね」
ようやく医務室へ戻ってきたヒロインの乱入に、ナギは笑みを浮かべて立ち上がる。
「…悪かったな」
去り際のナギの言葉に、シンも苦笑して答える。
「お互い様だろ。…悪かった」
何を、とは言わないが、軽くなった二人の間の空気に、ヒロインが笑顔になった。
霧のような雨が止む。
我の舵を握るのは船長リュウガ。
『この航路も悪くないな』
うっすらと青味が増した曇り空と、水平線の境界を目指して、我は前へ進んだ。


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