櫂座
「くっそおぉぉぉっ!」
悔しそうにハヤテが騒いだ。
「おい、ハヤテ。負けたことがあるってのは、大きな財産になるもんだ。その『負け』大事にとっとけよ」
リュウガが笑いながら言う。
「いらねーよっ、負けなんてっ」
甲板で、たまたま、気が向いたリュウガと手合わせをしたハヤテ。
一矢報いるどころか、完敗だったことが、純粋に悔しいらしい。
悔しがるハヤテが船体を叩くのを、我は、ため息交じりに眺めた。
我はこの海賊船の精霊シリウス。
船体は我が体。
我の声は、人間には届かない。
「船に八つ当たりするな。悔しいなら日頃の鍛錬を怠っている自分にあたれ」
航海室にいたシンが、甲板に出てきてハヤテを嗜める。
「誰が、怒っているって?」
「…怠る…。なまけている、と言ったんだ。馬鹿が」
毎日、剣の修行をすると公言しているハヤテだが、実質、確かに毎日とは言い難い現状がある。
それは、甲板で過ごすことの多いシンが知っている事実だ。
「なまけてねーし。だいたい、船長は、修行なんかしてねーのに、なんであんなに強いままなんだよっ」
『確かに、ハヤテの見ている前で剣の鍛錬はしていないな…』
しかし、常日頃、リュウガが様々な折に腕が鈍らぬようにしていることは、我が知っている。
「大馬鹿者だな……」
人知れぬ努力、目に見えぬ努力があることをよく知り、自らもそうであるシンが、ため息をついた。
「くっそー。負けるにしたって、一撃くらい…」
悔しさが収まらぬハヤテが、再び我の船体…今度は船縁を叩いた。
ミシリ、と船板が軋む。
『まあ…剣で切りつけられるよりはマシか…』
我が呟く。と、シンがハヤテのその腕を掴んだ。
「八つあたりで、大切な船を壊す気か」
隙だらけのハヤテの足をブーツで引っ掛け倒す。
「ってーなっ……」
尻もちをついて、シンを見上げたハヤテの鼻先に突きつけられる銃。
ハヤテが言葉を切って、息を飲んだ。
「このとおり、単に、おまえが弱いだけだ。俺が銃を突き付けるまでに剣を抜けないヤツが、船長に敵うわけがないだろう。船長なら、まず、今の俺の脚をよけてたはずだ。その上、今頃、俺の銃口を剣で塞いでる」
シンの言葉に、ハヤテが拳に力を込めて、唇を噛んだ。
「悔しがる暇があったら、いつ、どんな時でも戦えるようにちゃんと鍛練するんだな」
ククっと笑ったシンが、銃を懐に収めた。
「……っ」
立ち上がりかけたハヤテが、鞘のままの剣でシンの足元を薙ぎ払う。
予測してたように後ろに飛んでハヤテの不意打ちを避けたシンが、更に嗤った。
「ふん。馬鹿の考えることなど、お見通しだ」
「あーっ。くっそー。むかつくっ」
ハヤテが更に、シンの足元を狙って鞘を何度も払うのを、シンはギリギリのところで嘲笑うように避ける。
「船長から『財産』をもらったのは、お前だけじゃないんだよ」
ハヤテが我に乗ってくるまでは、最年少だったシン。
「は? わけわかんねーしっ!」
いつの間にか、シンを転ばすことに一生懸命になったハヤテには、シンの言葉の意味が理解できないらしい。
「失敗から何かを学び取れば、それは失敗にはならないって格言を動物に言っても無駄だな」
「誰が動物だっ。くそっ。待てっ」
避け続けるシンを転ばそうと躍起なハヤテ。
シンの身体が後退したのを追って近づいた途端、シンに蹴られて再び尻もちをついた。
「っ…てー」
その隙に、シンはすたすたと歩いて航海室へ戻る。
「なんなんだよっ。くっそー」
気配と様子を探っていたソウシが、そんなハヤテに医務室に来るように呼びかける。
擦り傷の手当をするから、と。
おそらく、ソウシがハヤテを宥めて言い聞かせるのだろう。
我は、シンを追って航海室の様子を見る。
看板へ出てくる前にシンが読んでいたのは、星座の本。
机上には、わし座の一等星アルタイルにまつわる民話のページが開かれたまま置かれている。
漕いでも進んだかどうか実感できない船をアルタイルから託された二つの添え星。
一向に進んだ気配の無さに、漕ぐ事をやめた星は次第に輝きを失い、暗く見えない星になる。
それでも、漕ぎ続けた星の方は、輝きを増してアルタイルに並ぶ星となる。
実際は、アルタイル自身も同様の船に乗り、ずっと昔から夜空を漕ぎつづけていた、という話のページ。
『……また、偶然にも、面白い話を読んでいたものだ……本当に素直じゃないな』
我は、不機嫌そうに航海室から甲板を見遣るシンを眺めて、微笑んだ。
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舵星へ