下弦
ちょうど午前零時、日付が切り替わる頃に水平線の向こうから現れる月。
下弦の月、と呼ばれるが、月の出の頃の形は上弦。天をめぐる間に、次第に回転して、弦が下になる。
月が出て、いくらか明るくなった海を、我は陸地に沿うように進んでいた。
左舷には遠く大陸の影。シンが舵を握り、大陸と一定の距離を保ちながら、我を進めている。
我は海賊船の精霊、シリウス。
見張り台で大陸を眺めていたハヤテが、大陸から向かってくる無数の小さな光に目をこらした。
「シンっ! 陸の方、あれっ!」
波の音だけしかなかった甲板に、ハヤテの声が響く。
舵を握ったままのシンが、左へ眼をやった。
無数の星のような光が、一つの群れとなって海上に揺れている。
それは、明確な意思があるとは思えない動き。
ただ、波間を漂うだけのような光。
揺れる物もあれば、消える物もある、無数の輝き。
「……ああ。気にするな」
しっかりとした音量で告げたシン声は、無事にハヤテに届く。
『そうか…あれは…』
シン同様に、我も光源の正体に気づいたが、ハヤテは不満げだ。
ハヤテは、見るのが初めてだから仕方ないが…シンには、わざわざ説明する気もないらしい。
「気にするなって、敵だったら、どうすんだよ」
怒鳴るようなハヤテの声に、まだ起きていたソウシが甲板に出る。
「いったい、どうしたの?」
「ソウシさんっ、陸の方、アレ見てよっ。シンが気にするなってっ!」
左舷の船縁に立ったソウシが、海上に揺らめく無数の光を目にし、悲しげな微笑を浮かべる。
「ああ、あれね。……うん。ハヤテ、あれは、気にしなくていいよ」
「はぁ? ソウシさんまで…。アレ、何なんだよっ」
厨房でシンのために温かいコーヒーを淹れてもらったヒロインが、甲板に出てきた。
「? 皆さん、どうかしたんですか?」
「まだ起きていたのか…」
シンが眉を顰める。
「寝る前に、シンさんにこれ持ってきたんです」
にこりと笑って、シンにカップを差し出したヒロインの視界にも、海面に揺らめく無数の星のような光が映ったらしい。
「あれ? 何でしょう? ……」
シンにカップを渡したヒロインが、左舷に歩み寄って海を見る。
「……この辺りの国は、道教文化が多いからな。この時期、大陸の近くでは、珍しくない。今は鬼節、と呼ばれる時期だ…」
「鬼節? そういえば、おじいちゃんから聞いた覚えが…ヤマトのお盆みたいな時期なんですよね?」
「お盆?」
「死んだ人が、家族のところへ帰ってくる、と言われている時期です」
ヒロインの言葉に、シンがコーヒーを嚥下して微笑して頷く。
「ああ、同じだな。鬼節というのは、死者が親しい者のところへ来るらしいからな」
「もしかしてあの光、流した灯篭?」
ヤマト文化の影響が濃い地域で育ったというソウシも、あれの名前を灯篭と言っていた。
「ああ、ドクターがそう呼んでいたな。紙や小枝で作った船に、ロウソクが灯されている」
「そっか…ちゃんと、海まで流れるんですね……」
感慨深げに、無数の灯りを眺めるヒロイン。
波に揺られる小さな光の群れは、やがてロウソクが燃え尽きたものから消えていく。
眺めていたヒロインが、何かに気づいて、シンを振り返った。
「……あのっ…」
「昨日の母子の灯篭を作って流してやるのはいいが、今夜はもう遅い。早く寝て、作るなら、明日にしろ」
ヒロインの様子をずっと伺っていたシンの言葉は、的を射ていたらしい。
「はいっ……」
見張り台の上では、ハヤテが口をとがらせてぼやいている。
「なんだよ。オレには、ぜんぜん説明してくれなかったくせに、ヒロインには説明してやがるしっ」
厨房では、ナギがハヤテのために夜食を用意し、これから届けに行こうとしている。
ハヤテの愚痴は、ナギが聞いてやることになるのだろう。
我は、次第に数が減っていく無数の灯火に、人々の命を重ね見ながら、月夜の海を進んだ。
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