弓張月
上弦の月が空に浮かんでいた。中央から半分に割ったような月は、半月とも呼ばれる。
舵をとるシンのところへ行こうとしていたヒロインが、船室から甲板に出たところで、足を止めた。
どうやら、船首にいるソウシに気づいたらしい。
いや、ソウシと判別できたかどうか。見えた人影に、もしかしたらシンと勘違いした可能性もある。
『やめておけ…』
我の警告は、ヒロインに届かない。
我はこの船の精霊シリウス。船上で起きる出来事の全てを把握する存在。
船首へ向かってしまったヒロインに、ソウシが気づいた。
「あれ? どうしたのヒロインちゃん」
「いえ、何か人影が見えたので、誰かなーと思って…」
「シンと間違えた? シンは向こうで舵を握っているはずだよ?」
「ま…間違えたわけでは……」
「それは、どういう意味かな? シンじゃなくて、私を選んだの? ヒロインちゃん?」
「はい? 選んだとかじゃなくてですね……え?」
ソウシがヒロインの身体を抱きすくめた。
ヒロインが、驚いて硬直する。
「…ごめんね、ヒロインちゃん。ちょっとだけ、このままにしてて」
抱く腕に力を込めたソウシが、そっと目を閉じた。
舵をとるシンからは死角だろう。見張り台のトワからも、よく見えない位置ではある。
しばらく続く沈黙。
「あ…あの……。ソ、ソウシ…サン?」
緊張して上ずっているヒロインの声に、ソウシが肩を揺らして笑いだした。
「そんな緊張して硬くならなくても……。ヒロインちゃんが、あんまり可愛いから、つい抱っこしたくなって、ついでに、ちょっとからかっちゃっただけなのに。ごめんね?」
そっと、ヒロインを解放する。
『今のは、さすがに、そのごまかしはヒロインに通用しないだろうに…』
ところが我の心配に反して、からかわれた、であっさり納得してしまうヒロイン。何故、反射的に自分が緊張して身を硬くしたのか、思いもしないのだろう。
「私にからかわれたなんて知ったら、
またシンに怒られちゃうからね? ナイショだよ?」
悪戯っぽく言うソウシに、明るく「そうですね」と頷くヒロインは、今に始まったことではないが、呆れるほど鈍い。
ヒロインをシンのもとへ笑顔で送り出して、ソウシは空を仰いだ。
「まいったなぁ……」
首の後ろへ手をまわし、溜息混じりに呟く。
「どうして、ダメなものほど、欲しくなるのかなぁ…。今までこんなに欲しいと思ったことはなかったのにね…」
『心が生きてるからだろう?』
我の声は、ソウシには届かない。
我はいつになく不安定な心を持て余す船医を抱いて、波間の浅瀬を通り抜けた。
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