二十四日月



ヒロインが風呂を出てしばらくすると、シンが来る。
 風呂やシャワーに関しては、誰かが使っている水音や気配がすれば、海賊達は互いに譲り合う。
 個々の事情に従って自由に使用しているはずだが、なんとなく使用する時間帯や順番が決まっている不思議。
 我は、全ての部屋を意識しながら、暗く、まだ月のない海を往く。
 我は人には見えぬ船の精霊、シリウス。 
 眼帯を外し、髪を解き、ヒロインだけにしか見せぬ姿でシャワーを浴びていたシンが、途中で珍しく動きを止め、我の興味を引いた。
 機械的に身体を洗っていた手が、胸の前で止まっている。
 愛おしそうに、一つの小さな痕を撫でて、眺めている。
『…ヒロインが残したキスマークか…』
 確かに、我が知る中でも、シンがヒロインの身体に痕を残すことは多々あれど、その逆は稀だ。
 面白いことに、入浴を終え、衣服を着る段階になって、またシンの手が止まる。
『そんなに嬉しいのなら、もう少し判り易くヒロインに伝えてやればいいだろうに…』
 我の声は、人には届かない。
 我としては、このシンの姿をヒロインに教えてやりたい。
 冷静な航海士でも、真剣に我を操る舵主でもなく、一日経っても消えなかったキスマーク一つでこんなに悦ぶ、ただの、恋する男。
 変な衝撃が医務室で起きる。
 実験していた容器が破裂して、黒い薬品を頭からかぶったソウシは、急遽、シャワーで洗い流すつもりらしい。
『いつまで止まっている?』
 シンがようやく動き始めたのと、ソウシが扉の前に着いたのは同時だった。
「誰かいる?」
「ドクター?」
「あ、シンだね。1人?」
「はい…」
「ちょっとごめんね。入るよ。急ぐんだ」
 扉を開けて入ってきた黒い液体まみれのソウシを見て、再びシンが動きを止めた。
「実験…ですか?」
「うん。ごめんね。ちょっとかぶっちゃって」
「どうぞ」
 あとは、ボタンを留めて上着を着るだけだったシンが、着替えを手に脱衣場を出、部屋へ向かう。
「………」
 普段なら、にこやかに礼を言うはずのソウシが、黙って見送った。
 勢いよく流れる湯の中で髪についた薬品を洗い流すソウシは、床を流れる黒い液体の渦を眺め、手を止める。
「失敗したせいで、嫌なモノまで見ちゃったな……」
 ソウシの独り言が暗く床に落ちる。
 あの短時間で、胸の痕が見えたらしい。
 今日のシンにはそんな意識も無かったはずなのに。
『ああ、無意識のシンだったから、逆にダメージがあるのか…』
    人の心は面白い。
 月はまだ天に昇らない。
 我は海賊達の秘密をたくさん抱えて、暗い海を進み続けた。


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