十六日月



洗濯を干し終えた後、医務室へ行くのがヒロインの日課だ。
「ソウシ先生、今日お手伝いすることあります?」
 この船医が、密かにこの時間をとても楽しみにしている事を知っているのは、我だけだろう。
 我は、海賊達が乗るこの船の精霊、シリウス。
 訪れたヒロインに、ソウシは今日もしっかり準備しておいた手伝い事を頼む。
 洗い終わってきれいにしわを伸ばした包帯を、使いやすいように巻き取りながら、ヒロインが言った。
「昨日、もしかしてすごく酔っていました?」
「うん? どうしてそう思ったの?」
「だって、自分のこと『俺』とか言って、すごく……」
 あてはまる言葉が見つからなかったのか、ヒロインが言い淀むと、ソウシの笑みは深くなる。
「私は酔うと、ガラが悪くなる?」
「いえ、どちらかといえば、その逆でしたよ」
「逆? 俺とか言うのに、品行方正になるの?」
「品行方正という感じでもなかったですね。でも、なんか、すごく、ドキドキしましたよ」
 医務室の会話を聞いていた我は、思わず航海室で海図を作成中のシンへ意識を向ける。
 ソウシの笑い声と、良からぬ感情が広がる。
「大人をからかっちゃダメだよ、ヒロインちゃん」
「別に、からかっているつもりはないんですけど…」
 ソウシが、ヒロインを覗き込んだ。
「あのね、ヒロインちゃん。俺もシンと同じ男だからね?」
「え……」
 動きを止めてしまったヒロインに、顔を近づけたソウシは、コツンと額を合わせる。
「うん。熱はないみたいだね」
 にっこり笑って離れたソウシは、ヒロインにドキドキした?と悪戯っぽく問う。
「あの…も、もしかして、私は、今、からかわれたんでしょうか?」
「そうだね」
 くすくすと笑う。
 医務室の不穏な空気を、ヒロインは解していないのだろう。
「ソウシ先生の『天然』て、すごいですね…」
 存在だけで海賊達の想いを乱すヒロインは、自分がソウシからどう想われているか知らない。
 我から見るに、ここの船医はその気になれば容易に望むものを奪えそうなことを自覚しているのではなかろうか。
 気付かれずに至近距離まで近づき、奪うのが海賊の得意技。
 ここの海賊達は義賊。
 奪えると分かっていても、奪わずにいることも多い。
 先ほどのヒロインの唇のように。
 奪われる危機感をいつまでも捨てない航海士は、間違っていない。
『ヒロインが乗ってから、本当に飽きないな』
 我は、横風を帆いっぱいに受けながら、波間を進んだ。


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