蘇枋色



今夜は珍しく、リカー海賊団も加わって満月の宴が行われていた。
月が天央を通り過ぎた頃、グラスに酒を注ぎながらふと思いついたようにヒロインがリュウガに尋ねた。
「どうして船長、そのコート着ないんですか?」
「んぁ?」
一瞬、何を問われたか判らなかった様子のリュウガが、少し訝しげに目線をヒロインへ向ける。
「そういや昔は、着てたよな…さてはリュウガ、太って着れなくなったか?」
酔ったロイが、からかうようにリュウガの赤いコートの袖を持ち上げた。
「はぁ? 肩にかけてるほうが、女に悦ばれるんだよ。こうやってすぐに可愛がってやれるからな」
右手にグラスを持ったまま、すっとリュウガが手を伸ばしてヒロインの腕を引く。
「え?」
酒瓶を抱えたまま、ヒロインの体が胡坐をかいたリュウガの膝の上に仰向けに乗っていた。
『一瞬で空気が変わったな…』
甲板の海賊達を眺めて、我は苦笑した。
我は船の精霊シリウス。今、海賊達が宴をしている船こそが、我が身体。
ヒロインは、何が起きたのか解らず、きょとんとして真上のリュウガを見上げている。
リュウガが空いた左手で肩のコートを引いて屈みこむと、周囲からはヒロインの顔もリュウガの頭もコートに隠れて見えなくなった。
「キスでもしてみるか? 今ならシンにもバレねぇぞ?」
ばれないどころではない。
海賊達が、注目している。
ある者はリュウガの手技のあざやかさに感心して。ある者はヒロインを案じて。ある者はこの状況そのものを面白がって。
特にシンは、殺気立った気配でリュウガの横に歩み寄り、その言葉を聞いている。
「冗談はそのくらいにしてください」
天蓋のように二人を覆っていたコートを除け、シンがヒロインの手を引いて立たせると、そのままヒロインを連れて船室へ去っていく。
「ったく、つれねぇなぁ」
リュウガが、笑いながら二人を後ろ姿を見送る。
そして、ふとシンが除けた時に風をはらんで飛んだコートを追いかけて行ったロイを見遣ったが、それに気づいたのは恐らく我だけだろう。
「今のは、リュウガが悪いよ」
ソウシの窘めるような言葉に、リュウガは苦笑してグラスに残った酒を飲み干した。
「わかったわかった」
口許に苦笑みを浮かべたまま、立ちあがる。
そして、トイレへ行くような雰囲気で甲板の後方へ向かった。
甲板の暗がりで、ロイが立っている。
「ほら。……海に落ちたら、どうするつもりだったんだっ」
差し出されたリュウガのコート。
「コレは船から落ちねぇよ」
確信めいたリュウガの言葉。
そう、確かに我はあのコートを風に渡さない。海にも渡さない。
ある日を境に、決して袖を通さなくなったリュウガのコート。
かつて鮮やかだった臙脂色が月日を経て蘇芳色へとわずかに変色している。
ロイから受け取ったコートを、リュウガの深い瞳が静かに見下ろした。
「……今判ったぞ。そうか。そういうことか。それがお前の矜持だな」
その表情に何を悟ったか、ロイが妙に納得したように、リュウガを見た。
コートを着ていたリュウガ、羽織るだけになったリュウガ、その境目に何があったかをロイは知っている。
「だったらやっぱり、太って着れなくなったことにしておけばいいんだっ!」
「はぁっ!? んな、格好悪りぃだろうがっ。すぐ女を抱けるから、で、いいんだよっ」
「抱くっていえば…なんだ、さっきのはっ。どうやったら、手を引くだけであんなことになるっ?」
「あぁ? なんだ、できねぇのか?」
「で、できるっ。……やり方さえ判ればっ」
リュウガの肩で、楽しげにコートが揺れた。
笑いながら、リュウガが宴に戻る。
その後ろ姿に、一瞬足を止めたロイが、慌てて後を追う。
全てを知る満月が、闇を色濃く染めつつ我を青白く照らす。
『……この感情を、人は何と呼ぶのだろうな……』
我は船尾に立って、真っ暗な海に月明かりを反射して輝く航跡を眺めた。


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