幻夢雲



    
プロローグ
  ねえ……僕、病気なんかじゃないよね
 《ああ、君は病気じゃないさ。我々には判るよ》
 うん、でも僕ね、君達とお話しすると、病気になっちゃうんだ
 《そんなことないよ》
 僕もそう思うんだけど、違うんだって。だから僕、ここに入院させられたんだよ。どこかが異常だって、母さんが言ったんだ。
 《そうじゃないよ。君は、普通よりも少し優れているだけさ》
 どうして? だって僕、すぐに頭が痛くなって、倒れちゃうんだよ。他の人は、そんなことないんだって。
 《それはね、我々と話すことに慣れていないからだよ。大丈夫さ。もっと大きくなれば、慣れるよ……どうした? また頭が痛くなった?》
 うん……ごめん。僕、もう話せない。
 《いいさ。我々はいつでもここにいるからね。話したくなったら、いつでも話してあげるよ。ゆっくりおやすみ》
 う……ん……

少年はそのまま膝を折ると、緑色の絨毯の上に静かに倒れた。彼の近くにあった名も無い草花が、彼を優しく包み込む。まるでその場所の時間が止まったかのような、静かな、静かな光景。
 少年は、少しも動く気配を見せずに、草の中で横たわっていた。 

     

一・出会い
「体力的な能力は基準に達していますし、精神的な異常もありません。ただ……潜在能力が……」
「潜在能力が何でしょう?」
「まあ、ご覧になって下さい。こちらが標準的な数値、こちらはお子さんです」
「……計算能力が随分高いですわ。標準の四.七二六倍ありますもの」
「さすが、奥さんも計算が早いですね。おまけに正確だ。実を言うと、大変驚きました。あの子でしたら、情報処理を学べば、機械よりずっと早く正確な数値を計算できますね。何より、数字的な記憶力が非常に優れているようで……。私が軽い気持ちで、円周率を知っているか、って聞いたら八千桁も暗唱するんですよ。全くかないませんね……」
「おかしいわねぇ。私、あの子に一万桁まで教えておいたのに……」
「………………。あ、あのですね、えー、いや、つまり……その数値を見ればお判りのように、体力は標準でありながら、潜在能力は標準以上なわけです」
「それが何か……」
「ええ、まあ……これはあくまでも推測なのですが、彼の場合、体力と潜在能力には大きなギャップがあります。このギャップが原因ではないかと」
「どういうことですの?」
「判りやすく言えば、体の負担になるんですよ。……ん……誰ですか?」
 あーあ、見つかっちゃった。
言い訳じゃないけど、立ち聞きするつもりはなかったのよ。
ただ、通りかかったらものすごい内容の話が聞こえてきたから。
でも、どうしよう。
「あ、あはは。……すいません。えーっと……さ、差し入れをもって来たんです」
 咄嗟に思いついたのがこの言葉。とにかく、持っていた果物を見せびらかす。
本当は、弟の見舞い用にもってきたんだけど……。
素直に謝ればよかったかなぁ。なんて、ちょっぴり後悔。
「ああ、釐鯊ちゃんか……それはどうも。その辺に置いて行ってもらえるかな」
「はい」
 知り合いの医師は、向き直ると、美人な婦人に向かって話し出した。
「どこまでお話ししましたかな?」
「体の負担になる所までですわ」
 私は、近くのテーブルに持っていた果物を半分ほど置いて、そそくさと立ち去る。
まあ、果物は立ち聞きしたお詫びみたいなものよね。

 はじめまして。
私、主人公の釐鯊(りさ)。ミューニタスト暦で一五歳になります。
ついでに説明しちゃうと、ここは総合病院です。
詳しいことは順を追って判るようになる予定ですから、意味不明でも、立ち止まらずに読んで下さいね。
とりあえず、今、入院中の弟、陟は7歳です。
つまり、皆様が今まで読んだ前作と時代がちょっと異なります。
さあ、本文に戻りましょう。

 世の中には素晴らしい人もいるものだわ。
機械より早く正確な計算ねえ……少なくとも私や弟には無理ね。
ほんと、あの子って私より器用なくせに、私よりドジなんだから。
一体、熱した鉛でどこをどうやったら足が骨折するんだろう。
 弟の病室にたどり着く。
「陟、いい子にしてた?」
 弟、陟のベッドは窓に面している。
外を見ていた陟がこちらを向いた。私と同じ、狐色の髪。
嬉しそうに微笑む。
うん、今日も可愛いっ! さすがは私の弟だわ。
「何か食べる?」
「ううん、お腹空いてないもん。それより姉さん、見て……」
 陟が窓の外を指さした。
窓からは、病院の中庭が一望できる。その中庭の隅。陟と同じくらい……かな。パジャマ姿の黒髪の少年が横たわっていた。
「あの子がどうかしたの?」
「気になるんだ。さっきまで立っていたのに、急に力が抜けたみたいに倒れたから……大丈夫かな」
「見て来たほうがいい?」
「わかんない。知らない子だもの」
 口でそう言いながら、陟はとても心配そうに少年を見つめている。
仕方なく私は立ち上がった。
「どこいくの?」
「あの子のところ。心配なんでしょ?」
「うん……」
 ホント。陟は、お人よしと言うか、おせっかいと言うか、優しいと言うか。いい子よね。
 中庭に着くと私は少年を探した。
上からはよく見えても、いざその場所に行くとなかなか見つからない。と、いたいた。……やだ、この子真っ青な顔してる。
とにかく看護婦か、医師を呼ばなくっちゃ。
ええと……あれ、あの人白衣着てるわ。病院内で白衣着ているということは……。
 私は、近くを歩いていた白衣の人に声をかけた。
「あの、お医者さんですよね」
「え? 俺のこと?」
 驚いたように、立ち止まる。
「はい。違うんですか?」
「どうしようかな……一応医者かな?」
 ポリポリと頭をかきながら、呟くような声で言う。変な人。
「はぁ?」
「まあいいや。確かに俺は、お医者さんだけど、何か用?」
「そこで男の子が倒れているから……」
 私が言い終わらないうちに、その自称お医者さんは、つまらなそうに言った。
「寝てるんじゃない?」
 ああ、そういうこともあるわね。パジャマ姿だし。でも、寝てるにしては……。
「多分、気絶していると思います」
「どうかねぇ。寝ていても、見る人によっては気絶に見えるからなぁ」
 むかっ! 
「どうせ私は素人よっ!」
「まあまあ、押さえて押さえて。いちお、見るけど。何処?」
 私は、無言でそいつを少年の所に連れて行った。

     

二・動悸
「ありゃ、確かに気絶していらぁ。なんだなんだ? ここの患者かよ。腕にブレスレットが……あったあった。小児科病棟TW.020(瑛樹)。親父の管轄だな。まあいいや、部屋に連れて行ってやるか」
 ほらね。気絶だったでしょう? と言いたいけど、言うのも馬鹿らしいく思える。
その自称お医者さんは、少年を軽々と抱き上げると、歩きだした。
で、私は安心して陟の部屋に帰ろうとしたら……。
「おいおい、それはないだろ。担架やベッドに乗せてるならともかく、俺一人がこんな格好で病院内歩き回っていたら、他の奴らにどんな誤解されるかわかったもんじゃない。ついて来いよ」
 最後の命令口調が気に入らないけど……。
「誤解ってどんな?」
「いや、小児科に転職しただとか、コレになにか危害を加えたとか」
 何、それ。仮にもお医者さんでしょう? 
転職は有り得るとしても、危害を与えるってのは……ないわよね、普通。
「私がついて行けば、そういうことがないのかしら?」
「多分ね」
 そうね、この子のことも心配だし、病室が分かれば陟に教えてあげられるし、まあいいかな。
と考え、私はその自称お医者さんについて行く。
「俺、武司っていうんだ。こう見えても、一八歳。君、名前は?」
「どうして貴方に、私の名前を教えなくちゃいけないのよ」
 いきなり何を言い出すかと思えば。
「俺の名前、教えたじゃん」
「誰も教えてくれなんて言ってないわ」
 まったく、なんて人なの。
「ならいいや。実はさ、俺の本職は運送なんだよね」
「運送っ?」
 お医者さんだって言ったのは、誰よっ!
「あのさ、宇宙研究所って知ってる? 知らなくてもいいけど。俺そこで働いてんの」
「……医者じゃなかったの?」
「副業としてね。産婦人科やってる」
「……………」
 もしかして、だまされているか、からかわれているのかも。
 産婦人科って、あの産婦人科よね。一八歳の男がぁ? 信じられない。
「ついたついた、あれっ、親父じゃん」
「なんだ、武司来てたのか。そうそう、七歳ぐらいの、黒髪の少年を見なかったか? いつの間にかいなくなってしまったんだが」
 あれ、私が差し入れした先生……それに隣にいる美人な婦人って……。
「コレだろ」
「瑛樹っ!」
 美人な婦人が言った。きっとお母さんなのね。
ん? ええっ、何、もしかして機械より早くて正確な計算をして、円周率を八千桁暗唱できる子って言うのはこの子なのっ??
 七歳って…陟と同じ歳の? この子ってわけ?
「武司っ、お前、この子に何をしたんだっ」
「何もしてねぇよ。俺はただ、中庭に倒れてたから運んで来ただけだっ。証人は、ほら、この子」
 証人って……なによ、それ。
「おや、釐鯊ちゃんじゃないか。釐鯊ちゃん……此奴の言ってることは本当かね? 此奴の脅しなんか無視していいから、本当のことを言ってくれないか?」
 な……。この武司って人、そこまで信用されていない人だったの? きっと相当、普段の行いが悪いのね。
私は、武司って人を見た。
彼は、平然としている。
「あー、えっと。…本当です。その子、中庭で気絶してて、どうしたらいいか困っていたら、この人が通りかかって……」
「そうか。それじゃ、本当に本当なんだね」 私は大きくうなずく。
「ほらな。……ああ、美人の奥さん、瑛樹くんは気絶してるだけですよ。そのうち気づきますから御心配なく。そんじゃな、親父」
「……ああ」
 イマイチ納得できないという顔の医師を避けるように、彼は、私の腕を掴んで、病室を出た。
「ちょ、何するのよっ」
「いやあ、早くお礼が言いたくてさ」
 お礼? 私が不可解な言葉に悩んでいると、いきなり両手を強く握られた。
「ちょっとっ! な……」
「ホント、ありがとうっっ! 俺の無実を証明してくれて。いやあ、ホント、ホント。久しぶりに嬉しいや。うんうん。感謝するよ」
「は?」
 彼は、呆然とする私の手を、激しく上下に振り回しながら、必要異常に喜んでいる。何なの? この人。
「で、さあ。ついでと言っちゃ何だけど、俺の恋人になろうね」
「………今、なんて……」
おもいっきり不意をつかれたような気がする。今、この人何て言った?
「だから、俺と愛し合おうって」
「んん?」
「今夜辺り、どう? そうだな、一応最初だから、プリズムの船で街の夜景を楽しみながら、二人の一夜を明かすなんてのはどう? それとも、宇宙船を借り切って、体中に無重力状態を感じながら、お互いの愛を確かめ合うとかの方がいいかな? あとは、真空の部屋にでも入って熱くなるとか、深海一万メートルまで行って……」
 何よ、この人っ! 私は絶句状態で、目の前の変態をみつめた。
と、不意に彼は話すのをやめて、やたらと真面目な目付きになる。
「どうした? 釐鯊ちゃん」
 り、釐鯊ちゃんっ? 一体、いつの間に私の名前を……。
「大丈夫か? そういえば、ここって病院だったっけ。何処が悪いんだ? もしかして、入院しているのか? だったら、今夜、無理強いはしないよ。病室、何処?」
「はあ?」
「歩くの大変だろ? 俺が連れて行ってやる」
 そう言うや否や、私を軽々と抱き抱える。
「や、やめてよっっ! 私は入院なんかしていないわっ! 至って健康体よ」
「あらら、そうだったの? そんじゃ、丁度いい。このまま、デートに行こうっ!」
 さすが力仕事もそれなりの運送屋だけあって、私が抵抗しても、全く歯が立たない。どうしよう……。
「誰があんたとデートするなんて言ったのよ。降ろしてよっ! 私は、ふざけてる人は、大嫌いなのっ!」
 運送屋が、急に立ち止まった。
「俺の何処が、ふざけているんだよ。俺は、この上なく真面目なんだぜ」
「口調からして、ふざけているじゃない」
「なんだ。じゃあ、シリアスに話せばいいだけじゃん」
 違うっっ! そんな問題じゃない。
でも、なんかもう、聞く耳もたずって感じだし。
どうなっているの? この運送屋っっ!
「……愛してるよ、釐鯊」
 ドキッ。
「な、な……」
 運送屋は、私を降ろし、私の髪を軽く指にからませて、口元にもっていって……。
「この美しく輝く髪、その汚れのない瞳、愛らしい唇、僕は君の全てが……」
 運送屋は髪から手を放し、今度は私の顎を支える。これって……。
「冗談じゃないわっ! いい加減にしてっ、変態っっ!」
 思いっきり力を込めて、平手打ちした。
『愛してる』って言われた時、一瞬、ときめいてしまったのが、とてつもなく悔しい。
ホント、あの運送屋、何考えて生きているんだろう。
あんな、歯が踊りだすような台詞が、よく言えるものだわ。
それも、出会ってから20分と経っていない相手に向かってっっ!
   まだ何か言っている運送屋を無視して、私は陟の病室に走って戻った。

三・友達
 四日後、私は陟の病室に入って、再び絶句状態に陥った。
「あれ、姉さん。どうしたの?」
 どうしたのって……どうしたのって……だって、陟の病室にいるはずのない、変態が……。
「ああ、この人武司さんて言うんだ」
 武司さん? 一体いつから……。だいたい、どうして陟がこの変態と知り合いなの?
「はじめまして。武司です」
 『はじめまして』が、随分強調された挨拶。
「昨日、友達になったんだ」
 嬉しそうに陟が言う。
「昨日?」
「そう、昨日。階段で立ち往生していたんだよな。で、俺がここへ運んで来てやる間に、友達になってしまったわけだ。それにしてもさぁ、本当にお前の姉さんて、美人だな」
「そうでしょ。それに、すごく優しいんだよ」
「へえ。それはそれは」
 なにか、意味ありげな眼差しで、変態が私を見た。
何よ! 何を企んでいるのか知らないけど、陟にまで、手を出さないで欲しいわ。
私は、睨み返す。
「……あ」
 突然、陟が思い出したように言った。
「どうしたの? 陟」
 陟は、何時の間にか窓の外を見ている。
「うん、また……」
「瑛樹が、抜け出して来たのか? なかなかやるじゃないか。まあ、何処も悪くないんだから、当たり前と言えば、当たり前だな」
「どうする? 武司さん」
「いいんじゃないか? お前、呼んでみたらどうだ?」
「うん」
 二人で勝手に話を進めないで欲しい。
それにしても、昨日出会って、もうこんなに仲良くなっちゃったの? 
判らないな……男同士だからかな。
  「瑛樹っ!」
 陟が窓から身体を乗り出して、大声で言った。
あら? 確かギプスが…………ないわ。何時外してもらえたの? たった四日間来なかっただけなのに。
「…………」
「こっち、おいでよ」
「…………」
 この位置からだと、陟の話相手が見えないのよね。
「奴、なんだって?」
「すぐ来るって」
 陟は向き直ると、笑顔で言った。
だから勝手に、二人で会話を進めないでって……。思いっきり疎外感。
「ねえ、陟。誰と話していたの?」
「ん? ああ、瑛樹だよ。昨日、友達になったんだ」
「昨日……。じゃあ、ギプスは、何時外してもらったの?」
「それも、昨日だよ」
 何よ、それ。
「失礼しまぁす」
 やたら元気な男の子の声がして、黒髪、黒目の……瑛樹君……が入って来た。
……って、この子って、あの子じゃない。
あの、機械よりも早く計算できて、中庭で倒れていた、陟と同じ歳の子。
そういえば、確かにお母さんらしき人が、瑛樹って呼んでいたわね。
  「あ、こんにちは。僕、瑛樹です」
 私に向かって、ペコリと頭を下げる。随分、礼儀正しい子だわ。
「それじゃ、二人で遊んでな」
 不意に変態が、当然のような口調で言った。
「え? だって……姉さんと武司さんは?」
 陟は、驚いたように言う。
「お前たちには聞かせられない話があるんだよ」
 何よ、それは。私は、そんな話……あるわ。
言いたいことが、沢山ある……。
「そうかぁ、大事な話なんだね」
「まあな」
「うん、判った」
 我が弟ながら、なんて素直なのかしら。やっぱり、いい子だわ、陟って。
なんて考えている間に、変態は廊下に出て行く。結局、私は変態の後について、屋上まで行った。

「一体、どういうつもりよ。何を考えているの?」
 最初に切り出したのは、私。ところが、変態は笑顔で答える。
「だからさぁ、相手とお近づきになるには、相手の身内とお近づきになるのが、手っ取り早いだろ。俺が考えていることは、いかにして君をモノにするか、ってことだけだよ。別にそれ以外の下心はないって。ね、だからさ、ほら。笑って笑って」
「それじゃ、陟を利用しているわけ?」
 そんなの、許せない。あんなに素直で、まだ疑ることを知らない陟を騙すなんて。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。あれは、ただの偶然だよ。だからね、俺が階段を上っていたら、途中でちんたらしている奴がいて、そいつが何となく好きな奴に似ていたから、ガラにもなく手伝ってしまったわけだ。そしたら、そいつは、なかなか俺と気の合う奴で、あっと言う間に仲良しになった、と。君の弟だと知ったのは、その後だってば」
 なんだか、今、聞き逃し難い言葉があったような気がするのだけど。
「ふざけるのも、いい加減にしてっ」
「だからぁ、俺の何処が、ふざけているんだよ。あのねぇ、恋や愛に、時間なんか関係ないんだよ。全ては、一瞬で決まるの」
 それは、哲学の分野だわ。
「そんなこと、あり得ないわ。だいたい、あんたは、相手のことを思いやるって事が、欠けているのよ」
「あーあ、全く、これの何処が、優しいのだろう。あんまりじゃないかぁ? 陟と俺で、どうしてこんなに扱い方が違うんだ?」
 当たり前じゃない。優しいって言っても、相手によるわよ。
誰がこんな変態に優しくするって言うの? 私は、変態を睨みつける。
「そんじゃあさぁ、釐鯊ちゃんは、どういう奴が好みなわけ?」
 私は、視線を空に向けた。淡い藍色の空。夜が近い。
「……そうね。自分の夢を持っていて、それに真っすぐに向かって行くような人かしら。容姿も多少は良いほうがいいわね」
「なんだ。それって、やっぱり俺のことじゃん」
 途端に、喜々とした声が後ろでした。
腕が抱き着いてくる。
「やっぱり俺たちは、出会うべくして出会ったのだよ。釐鯊ちゃん大好き! 愛してるっ」
 抱き着いてきた腕が、だんだん下に降りてきて……む、胸にぃぃぃ
「何するのよっ、変態、痴漢、悪党っっ」
 言葉と一緒に私の手のひらが、派手な音をたてた。……手が痛い……。
「誤解だよっっ 今のは、ちょっと手元が狂って……」
 手元が狂うって、どういう事? 
まだ何か言っている変態を無視して、近くの階段まで駆け出す。
よく分からないけれど、すっごく熱い。
頭の中でとく とく とく とく……って音が、回っている。
「まっ、おい、そっちは……馬鹿っっ 戻れ、危ないっっ!!」
 カタンッ、と、音がした。
足元が急に下がって、身体が前に傾く。
「えっ?」
 II落ちるIIそう思ったときには、もう空中にいた。
浮遊感なんてない。
すぐ目の前に地面があって……真っ暗になった。



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