彼女は、普段は何も言わないことの方が多い。 でも、今日は私の気持ちを慮ってくれたのだろうか、珍しく話しかけてきた。 「…やはり、あの子がいないと寂しいですね」 そう、本当だったら、今彼女の隣にはエルメスフェネックがいるはずなのだ。 彼女…深篠姫は、普段は感情を表に出すこともあまりないのだが、エルメスフェネックのことを心配しているようだった。そして、私に対して少し腹を立てているようでもあった。 「あの子に、何をしたんですか」 深篠姫に問われると何も言えない。以前私は、彼女のシステムを壊してしまったことがあるからだ。そのときに、エルメスフェネックが預かっていたデータに助けられたことから、深篠姫はエルメスフェネックに今でも感謝している。そんな彼女が同じ目に遭わされたとしたら、それは怒るだろう。 「…心当たりがあれば、よかったんだけど…」 だが、今回に限っては、私もどうしてエルメスフェネックがこんな目に遭ったのかわからない。直前まで、彼女はごくごく普通に働いていたのだ。直前にしていたことは…DLしたアプリケーションのインストール、だった。割と広まっているウェアなのでそこに入っていたウィルス等が原因で、ということはそうないだろうし、よしんばそうであったとしても、ウィルスで壊れるのはシステムまでだろう。今回、エルメスフェネックは…中のHDDが「かちゃん…かちゃん…」と異音を立て、システムを立てることはもちろん、再セットアップすることすらできなくなってしまっていた。以前の二回の入院の時には、電気屋さんに連れて行った途端に元気な姿を見せる、というお茶目なところもあったのだが、今回はそんな余裕もなかったらしく、電気屋さんにも一回で、HDDが壊れてる、と断ぜられた。つまり物理的に壊れているのだ。そこまで威力のあるコンピュータウィルスのことなど、寡聞にして私は知らない。 「そうですか…」 私がそのことを説明すると、深篠姫はまた沈黙した。 「あっ、あのっ」 気まずい雰囲気を察したのか、別の声が割って入った。深篠姫の侍女の青葉さんだ。 ギガMOの青葉さんは、もともと、深篠姫が記憶を無くしたその後に、今後こんなことがあったときに傷が浅く済むように、と来てもらったのだ。こんなハプニングにはどうしても敏感になる。 「旦那様、深篠様。エルメスフェネック様のデータも、わたくしはいくばくかお預かりしております。きっとわたくし、お役に立てるかと思いますっ」 「…そうですね」 言いつつも、深篠姫は何かまだ納得していないそぶりを見せる。私も、どうして深篠姫がそんな態度をとるのか、心当たりはあった。 「…青葉さん。エルメスフェネックから預かったデータ…見せてくれる?」 「あ、はいっ。こちらですっ」 青葉さんが差し出したものを、深篠姫が私に示した。深篠姫も沈んだ様子だ。 「バックアップは…半年前か…」 「・・・・・・」 深篠姫は落胆の様子を隠さなかった。私も同じ気持ちだった。 「…でも」 気を取り直すように、深篠姫が言った。 「それでも貴方が、買い換えを選ばなかったことだけ、私は嬉しく思います」 「ああ」 コンピュータの宿命として、いずれ、エルメスフェネックも魂はそのままに体を替えるときは来るだろう。深篠姫がそうしたように。ただ、今はまだそのときではない。 「一日も早く、あの子が帰ってくるといいですね」 「そうだね」 今はただ、待つことしかできないだろう。 「ただねえ」 「どうかしたんですか」 「ちょっと、あいつを預けた相手がね…」 前の二回と同じ店に、エルメスフェネックを預けに行ったのだが。 その店員が、とてつもなく無愛想であった上、説明の声もぼそぼそと小さく、あまりいい気分ではなかったのだ。買い換えろ、と暗に言っているんじゃないか、などという邪推さえしてしまう。 「…そう、ですか…」 実はその店は、深篠姫と出会ったところでもある。店員が悪いからと言って店が悪いわけではないし、そもそも修理そのものはメーカへ持っていってするのだろうから心配することではないのだが。 「…気が重いですね」 「そうだな…あいつが、いないだけでな…」 週末にあいつがいるはずの私の右側には、本だのペンだのが転がっている。いつもだったら片づけられて、あいつがそこにいるはずなのに。 「それでも…」 声は沈んだままだったが、深篠姫は続けた。 「永久の別離ではありませんもの。信じて、待ちましょう」 「…ああ」 もう一度、右側を見る。 早く帰っておいで、エルメスフェネック。 キミは今まで、入院しても、そのたびに元気になって帰ってきたんだから。
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