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決戦兵器かなこさん番外の1 | |
夏海のどきどきばれんたいん |
部屋の中は甘ったるい匂いに満ちていた。 女の前には一つの鍋。鍋の中では茶褐色のどろりとした何かが、ごぽごぽと粘りのある泡を立てていた。 女は傍らにあった瓶を手に取ると、蓋を開ける。その中の刺激臭のある液体を鍋の中に注いだ。かき混ぜて液体を行き渡らせるまでもなく、鍋から黒い煙が上がり始めた。 「ひっひっひっ…」 女の口から引きつったような声が漏れた。 が、様子がおかしい。女の表情は見る間にこわばっている。 「ひっひっ…ひええぇーっ!!?」 女…伊倉夏海は、悲鳴を上げると手にしていた木べらを振り回しながら右往左往し始めた。 慌ててないで火を止めろよ。 つーか、チョコを直火にかけるなよ。 そんなツッコミをしてくれる誰かが、そばにいてくれたらよかったのに。 そう、世の中ネコも杓子もバレンタインである。特に、晴れて響と、誰もが認める間柄になった夏海としては、本命チョコの一つも贈らなきゃというものだ。もう二月になったら、豆などまいてるヒマはなかった。伝統行事より菓子業界の陰謀である。一応バレンタインの由来とかチョコ贈賄デーになった経緯とかも知ってはいたが、それでも風潮をシカトする気にはなれなかった。やはりこのようなことになったからには、本命をそれも手作りで、と思うくらいのヲトメゴコロは、夏海も持ち合わせていた。 だが、ここで一つ問題があった。 夏海とて既に大学生、今までに何度も何度もバレンタインなど経験している。今まで小中高と普通の公立共学校だったのだから、チョコを贈ったことがないとも言わない。しかし、基本的に響と出会うまでは色恋沙汰とはあまり縁がなかったのだ。贈るにしても普通の市販品を買ってそのまま渡していただけで、チョコを手作りしたことなど今までなかった。でも、機械いじりが大好きなだけあって手先の器用さには自信があった。溶かして固めるだけでしょ? 何とかなるなる、と軽く考えて挑んだ結果がこれだ。実はどっちかといったら手先の器用さより細やかな神経の方が要求される作業なので、夏海にはあまり向いていないのだが…幸か不幸か、夏海自身はそれに気づいていなかった。 「さて、どうするか」 この時期になれば本でもテレビでもネットでも情報はあふれかえっている。それを参考にして、という方法もある。が、既にキログラム単位で失敗作を生産してしまった夏海としてはこれ以上の失敗は重ねたくなかった。細かく指導してくれる先生役がいた方が確実だろう。 では、誰に頼もうか。料理やお菓子作りが得意な女友達ももちろんいる。だがそれ以上に、玄人裸足な心当たりが、夏海にはあった。 「…それでさ。どうして、はつえちゃんとかなこちゃんまで来るのよ?」 その「玄人裸足」なふみを呼んだはいいのだが、なぜかおまけがついてきた。山のような失敗作や、散らかった台所や、慣れないエプロン姿、できれば見られたくないモノばかりだ。余計な連中が着いてきて気分のいいはずもない。 「えっと…わたしは、その…後学のために覚えておきなさい、って…お姉ちゃんが言うから…」 ちなみにはつえは、「万能遊戯用ホビーロボ」として、おやつ、特にお菓子の扱いには実は長けている。ただチョコを手作りするだけなら別にふみに教えてもらう必要はない。 (…あたしをダシにして何か余計なこと吹き込もうとしてるな…) だから、夏海はそう思い、軽く額を抑えた。自分の推測に多分間違いはないだろうが、だからといって自分とはつえの二人がかりでも、ふみの押しには勝てないだろう。結局反論することもなく、口から出たのはため息だけだった。 「で? かなこちゃんは?」 「ん?」 決戦兵器であるかなこも料理はできる。曰く、「腹が減っては戦はできぬ、だから食事は戦の基本」なのだそうだ。だが、お菓子が作れるかどうかははっきりしない。まあたぶん作れはするのだろうが、上手にできるという話は聞いたことがない。どちらかといえばはつえよりも、かなこの方が「後学のために覚える」といって説得力があるのだが、彼女はにっこり笑って、 「イクラちゃん見てるの面白そうだと思ったから」 身もフタもないことを言った。 「かなこちゃん、あのねぇ…」 もう一度額を抑え、ため息をつくと、夏海はムッとした表情を隠そうともせず三人に言った。 「そりゃさー、前島くんとあたしとの間のいろいろ、みんなは全部知ってるんだし…いまさら隠し事しようなんて思わないよ? まあ、照れちゃうし恥ずかしいけどさ、みんなだからそれは別にいいよ? けどさー」 「何か、心配なことでもあるの? 大丈夫よ、お姉ちゃんがちゃんと教えてあげるからね」 ふみはいつも通りにっこり優しく微笑む。 「あ、うん。そのことは心配してないの。けどね、みんながまとめてここに来ちゃったらさー」 「あー、なるほど。響くんにバレないか、って心配してるんだ」 ぽん、と手を打って、かなこが、にたあ、とイヤな笑みを浮かべた。 「・・・・・・」 同時に、はつえがものすごくばつが悪そうな顔をした。このパターンはアレだ。何かしでかしたに違いない。 「…前島くんに、何したのよ?」 「お電話もらったとき、お昼時だったでしょ? 私たちちょうどご飯食べ終わって、お茶を飲もうとしてたのよ」 「そしたら…お姉ちゃんたちが、『響くんは、何も知らない方がいいわよね』とか言い出して…お茶に…」 はつえは途中で口ごもったが、そこまで聞けば充分だ。 「ちょっと、大丈夫なの?」 「大丈夫だよー、アレを飲んだら象でも夢も見ないくらいに眠っちゃうんだから」 得意げに胸を反らすかなこ。 「じゃなくて!」 「お姉ちゃん、伊倉さんが心配してるのは、C兵器なんて飲ませて響さんが無事で済むのか、ってことだよ…」 諦めたような声音で、しかしさらりとはつえが言う。 「C兵器って…え? Cって…chemical!? 化学兵器!!?」 そのさらりと言った言葉の意味を理解した瞬間、夏海の顔から一気に血の気が引いた。 「ちょちょちょちょっとおぉっ! ままま前島くんになんてコトしてくれんのよぉぉっ!」 思わず涙目になって、夏海はかなこにくってかかった。しかしかなこはけらけら笑い、悪びれた様子もない。 「だから、大丈夫だって。Cは中和剤があってはじめて兵器の役に立つんだから。ちゃーんと解毒剤できるよー」 「そーゆーコト言ってるんでもなくてっ! …もう、いい…」 もう何を言ってもムダなようだ。がっくりとうなだれる夏海に、はつえだけが、 「ごめんなさい…。わたし、止められなくて…」 本当に申し訳なさそうに頭を下げてきた。 「…はつえちゃんは悪くないわよ…はつえちゃんだけは、ちっともね…」 そんな二人をよそに、 「やっぱりCは便利だよねー、BやAは融通が利かなくてダメだよー」 かなこは一人何やら物騒なことを言っていた。ちなみに、B=biological、A=atomic、である。 「さ、準備できたわよ」 そんな風に三人が滑稽劇を繰り広げている間に、ふみは惨憺たる有様の台所を片づけ終えていたようだ。 「はぁい…」 もう、こうなったらかなこを信じるしかないだろう。どのみち内緒にしておきたかったんだし。割り切れない何かを無理矢理割り切って、夏海はとぼとぼと台所に向かった。 綺麗に片づいた台所のテーブルには、おにぎりとお茶が置いてあった。 「?」 チョコ作りを教えてもらうために呼んで、どうしておにぎりが出てくるんだろう、と当然首を傾げた夏海だったが、その疑問にはふみはすぐ答えた。 「あの時間にお電話くれたってことは、夏海ちゃんお昼食べてないんでしょ? お腹がすいたまま食べ物作ると、正確に味見ができないのよ。だから、先にお昼にしましょう」 「なるほど…。あ、ありがとう」 正直お腹はすいていた。味見をするまでもないチョコしかできなかったためでもあったが。 おにぎりに手を伸ばしかけて、ふと夏海は背後のかなこを振り返った。 「ん?」 「ウチにも何か持ってきてないでしょうね」 「何かって?」 「チョコ作りが成功するまで体が止まらなくなるナゾのC兵器とか、食べた相手がヤバいことになるナゾのB兵器とか」 「あ、いいかもそれ。今すぐ作ろうか?」 「絶対やめて」 かなこの表情も口調も完全に冗談ではあったが、かなこなら冗談でそんなこともやりかねない。でも、今のリアクションからするとその心配はなさそうだ。 「残念ながら用意してきたのはこれだけ」 そう言ってかなこがどこからともなく取り出したのは、エキスパンダーのカタマリみたいな何かだった。 「何コレ?」 「バレンタイン養成ギプスー!」 どこかで聞いたようなミョーな声色でその物体の名前を高らかに告げるかなこ。楽しそうなふみ。ガックリ来ているはつえ。夏海ははつえの仲間になることにした。 「なんでチョコ作るのに筋力増強しなきゃならないのよ」 「特訓には付き物だよ。イクラちゃん、目指すはバレンタインの星だよ!」 「…夏海ちゃん…がんばるのよ…」 「ふみさんが物陰から温かく見守ってどうするのよ」 「だって私、お姉ちゃんだから」 「…ごめんなさい…。お姉ちゃんたち、最近何かその手のDVDにハマってるみたいで…」 「…はつえちゃんは悪くないわよ…はつえちゃんだけは、ちっともね…」 夏海とはつえは、またも二人で深いため息をついた。 紆余曲折いろいろと脱線はあったものの、ようやくふみお姉ちゃんの手作りチョコ口座が始まった。 「さて、夏海ちゃん。食べながらでいいから聞いて」 結局ふみとかなこのことは信用することにして、おにぎりをもくもくやりながら夏海はこくこく頷いた。 「私、さっき電話もらったとき、『台所は片づけないで』って言ったわよね?」 「あ、うん。ごめんね、教えてもらうだけでも悪いのに片づけまでしてもらって」 「ううん、それはいいの。ただ、どんな失敗したのか見せてほしかっただけだから」 「…う」 「別に意地悪で言ってるわけじゃないのよ。どこがうまくいかないか、わかってたほうが教えるのもスムーズにいくでしょう?」 「あ、そっか」 かなこと一緒に滑稽劇をやっていても、さすがにふみはその道の達人だ。考えていることはしっかりしている。 「まずね、夏海ちゃん。チョコは直火で溶かしちゃダメ」 「…そうなの?」 「ええ。すぐに焦げちゃうし、もし焦げなかったとしても分離したり変質したりしちゃうからね」 言いながらふみは包丁を手にした。また首をかしげる夏海。 「今度は何の冗談?」 「ふふ、もう冗談はおしまいよ」 「でも、チョコ作るのにどうして包丁がいるの?」 「細かくした方が溶かすときに楽なの」 横でその光景を見ながら肩をすくめるかなこ。そんな姉の脇腹を肘で小突くはつえ。曲がりなりにも一通りの手順を知っているかなこやはつえにとって、夏海の問いははっきり言ってしまえば馬鹿馬鹿しいほど初歩的…というよりは、常識の範囲に入っているべき内容のことだった。ましてやふみにとっては片腹痛くて正露丸のお世話になりたくなるほどだろう。が、ふみはバカにするどころか笑う素振りすら見せず、順を追って丁寧に説明していった。 「だからね、ボウルのお湯も沸騰するほど熱くなくていいの。かき混ぜるときもゆっくりでいいから。あわててお湯をチョコの中に入れちゃうと、うまくまとまらなくなっちゃうからね」 「あ…う…」 やたらおっかなびっくり木べらを動かす夏海を見たかなこが苦笑しそうになる気配を敏感に察したはつえが、かなこのももを力一杯つねった。決戦兵器であるかなこは普通につねられたところでどうということもないが、はつえの力一杯なら話は別だ。 「…そんな、岩をも砕くハイパワーでつねらなくてもいいじゃない」 「こうでもしないとお姉ちゃんヘンなこと言い出しそうなんだもん。 それに、わたしたちだってただ見てるだけじゃ何しに来たのか分からないよ」 「何しに、って、イクラちゃんからかいに」ぴしッ「はうっ」 不届きなことを言い出す姉にちょっぷをお見舞いして黙らせると、はつえは持っていた荷物の中から自分たちのぶんの材料を取り出した。 「夏海さん、お風呂場の水道使わせてもらっていいですか?」 「うん…いいけど…ウチのお風呂電気温水器だから、火、ないよ」 「お姉ちゃんを使うから大丈夫です」 「…あ…そう…」 確かにかなこには発熱機能も冷却機能もある。まさかお菓子作りに使われるとは作った祐もかなこ自身も思っていなかっただろうが。 「あらあら、かなこちゃんったら。調子に乗りすぎたわね。はつえちゃん、怒ると怖いのよ」 「…そうなんだ…」 「まあ、かなこちゃんのことははつえちゃんに任せておいて、続けましょう」 「あ、はい」 しばらく呆然としていた夏海だったが、風呂場の方からは別に騒ぎも聞こえない。自分の作業に戻ることにした。 「固まり始めたらまた少し暖めて…こうやって何回か暖めたり冷やしたりを繰り返すの。冷やすときにも水がチョコの中に入らないように気を付けてね…」 「う…うん…」 相変わらず夏海はおっかなびっくりだったが、もう茶々を入れるかなこもいない。ふみに温かく見守られながら、着々と夏海はチョコを作り上げていった。 「お…おはようございますー…」 そして決戦の日がやってきた。 ちなみに今日は、一日デートというバカップル丸出しなスケジュールになっている。まあ、こんな日くらい色ボケても許されるだろう。 ただ、三姉妹も、一応身近な男性である響に義理チョコの一つも渡したい、ということなので、それを朝のうちに済ませ、その後二人で出かけようという話になり、こうして夏海は響を迎えに来た、というわけだ。 「あ…いらっしゃい、おはよう夏海」 「うん…おはよう、前島くん」 二人がはっきりと互いのことを恋人として意識し始めたのは去年の夏の終わり頃だから、恋人としての付き合いももう半年近くになる。いくらなんでももう顔を合わせただけで照れくさいなどということはない。ただ、今日という日が日だ。響と夏海は大学に入ってからずっと友達付き合いを続けていたが、夏海にも響にも今までその手の興味があまりなかったせいで、義理チョコの一つもやりとりしたことはない。だから、こんな風に今日という日を特別扱いされると、やはりヘンに意識してしまう。しかし気まずい時間は長くは続かなかった。響の背後からきゃいきゃい声が聞こえてきたからだ。 「あーもー、イクラちゃん来ちゃったよ、はつえがモタモタしてるから!」 「で…でも…」 「気持ちはわからなくもないけど、恋の告白するわけでもないんだし」 「…告白だなんて…そんな…」 「響くんはもう売約済みだってば。今更照れてどーすんの。そこに『買い手』だって来てるんだよ」 ひょい、と響の肩越しに奥をのぞく動作をすると、夏海はくすっ、と笑った。 「まだもらってないの?」 「ああ、まだ。なんかはつえちゃんがね」 「…うん、大体今聞いて事情はわかった。 ふふぅん。前島くんモテモテじゃないの」 「よせよ…」 からかわれてばつが悪そうな顔をしている響の後ろから、ひょいとかなこが顔をのぞかせる。そして、 「ああっ! イクラちゃんが勝者の余裕から来る優雅な笑みを浮かべつつ手中に収めた得物を思うがままに弄んでいるっ!」 イヤに説明的な口調で大声を上げてみせた。無論冗談に決まっている。 「ああ、ああ。はいはい」 投げやりに相づちをうつと、夏海は響に上半身だけおんぶするようにしなだれかかってみせた。 「そーよー。前島くんはー、あたしのだもーん」 「なっ、夏海っ」 「あらあらまあまあ…」 「へえぇー…」 「なっ、夏海さん、響さんっ…!」 夏海もさすがに余人の前ではまだ照れるかもしれないが、三姉妹が相手であればこの程度の冗談はやってのけるようになったらしい。見た方はといえば、ふみは面白そうに笑い、かなこは目を丸くし、はつえは真っ赤になった。まあそれ以上に響の方が真っ赤っかになっていたのだが。 「ほら、そーゆーわけなんだってさ。今更照れたってしょうがないんだから」 「う…うん…」 もう一度促されて、はつえもとうとう観念したのか、手の込んだ包装の包みを差し出した。 「あ…の。受け取ってください」 それを見届けると、かなことふみもそれぞれ自分の包みを手渡す。 「ひと月後期待してるよー」 「味は折り紙付きよ。愛情じゃ負けるけど」 「あー、ありがとー…」 「…ねえ、イクラちゃん」 「ん?」 「もう、わかりましたから…」 「夏海ちゃんがそうしたままだと、響くん、どこかへ行ったまんまなんだけど…」 「あ」 なんとなく響にくっついたままだった夏海はごまかし笑いを浮かべつつ、ようやく響から身を離す。そんな夏海を目で追って、それでもしばらく別の世界にいた響だったが、しばらくしてはっ、と我に返った。 「あ、ありがとう、みんな…」 「いろいろユカイなおまけつけてみたから、見てみてよ」 「?」 かなこに言われ、まずは最初に受け取ったはつえからの包みを開けてみた。中にはチョコが入っているとおぼしきもう一つの包みと、プラスチックのちゃちなアクセサリーが入っていた。 「…ええと…これは?」 「おまけです。一粒で二度おいしいんです。あと、一粒で300mなんです」 「は?」 「それから、二人に危機が訪れたとき回想シーンと一緒に二人の絆を再確認するイベントが発生するフラグになったりします」 「俺たちは昔は一緒に縁日に行ったことのある幼なじみ同士じゃない…」 「…はつえちゃんは…三姉妹の良心だと思ってたのに…」 泣きそうな顔で夏海に見つめられ、はつえは目をそらし、小さな声で言った。 「…って言えって…お姉ちゃんが…」 「…どっちの?」 「二人がかりで」 「・・・・・・」 思わずジト目で姉二人を見る響と夏海。それを取り繕うように、ふみが口を開いた。 「い、いいからいいから。他のも見てみて?」 「うん…」 せっかく言われたことだしと、ふみの包みを開けてみた。中に入っていたのは手編みらしいマフラー。ふみの手編みであるだけあってかなりの高品質だ。はつえをそそのかしてオモチャの指輪とか渡させたにしては善良な品物に見えた。が…、 「何だかイヤに長くない?」 「二人用ですもの」 「は?」 「『らぶらぶカップルいちゃいちゃ巻き』ができるわよ」 「…『カップル』の前に『バ』が抜けてない?」 「気にしちゃダメよ。二人の名前編み込むのは遠慮したんだから」 「はあ…そうですか…」 「どんなに寒い日も心の中までぽかぽかよ」 「・・・・・・」 二人は顔を見合わせた。相手が自分と同じうつろな目をしていることを確認すると、とりあえず響は現実から目をそらすことにした。 「さーて、かなこさんのは何かなー」 笛だった。少し形は妙だったが。 吹いてみた。文字で表記することが不可能な音が出た。 「…何コレ」 「笛」 「それはわかってるけど…」 「例えばね。二人が一緒に街を歩いているとしよう」 「うんうん」 「すると自分には相手のいないヤツがその幸せいっぱいの様子をやっかんだりするんだよ」 「まあそういうこともあるかもね」 「やっかんでるだけならいいんだけど、ごく稀にそれを誤った方法で解決しようとするジョックス野郎がいたりする」 「ジョックス野郎って…」 「そこで因縁付けてくるようなヤツは大抵腕っ節は強いから、響くんはぴんちになるわけだ」 「なんか勝手なストーリーができてるね」 「そこでこの笛を吹くとね」 「笛を吹くと?」 テンポ良く進んでいた会話を一旦止めて、かなこがニヤリと笑った。 「世界最強の決戦兵器が助けに来てくれる」 「…アンタはマグ○大使かい」 「音もそれをイメージして作ってみました」 改めて響は笛を吹いてみた。文字表記が不可能な音がやっぱり出た。なるほど、ロケットにムチャな変形をする金色の彼を呼ぶ音にそっくりだ。 「というわけで、ジョックス野郎だろうがジャパニーズマフィアだろうが恐竜から進化して円盤に乗ってやってくる宇宙の帝王だろうが何が出てきても安心だからさ。 やっかまれるの恐れずに、思う存分イチャイチャしておいでよ」 「あー、うー」 もう、何と言ってコメントしたらいいかわからなかった。響は仕方ないので、夏海と顔を見合わせて、 「いってきまーす」 そのまま出て行った。 で、街に出てきてわかったのだけれど、2月14日の街中というのは…どこの街でもそうなのかどうかは知らないが…客観的に見ると、けっこうハズカシいものなのだ。 「なーんかさー…」 「うん」 「空気がさー、ピンク色してる気がしないか?」 「ああ、前島くんもそう思ってた? 実は、あたしもそう思ってたとこ」 「なんて、他人事みたいに言ってるけどさー」 「うん」 「俺たちも、きっと発生源なんだよなー」 「うーん…そうかも…」 三姉妹だけが相手なら冗談半分にいちゃついて見せることもやってのけるようになった夏海でも、不特定多数の目がある街中でべたべたして見せようとはさすがに思えない。ましてや、三姉妹だけしか見てない状況でも夏海にくっつかれて真っ赤になってしまう響など推して知るべしだ。 「とりあえず、どうする?」 「うーん…映画見て、食事して…。悪いな、独創的なこと何にも思いつかなかった」 「いいよ、あたしもそれくらいしか思いつかないから」 で、結局。 響と夏海は、今日という日にデートスポットを回るということがどれだけハズカシいか、一日かけて体験することになった。 とはいえ、まあ、彼らもデートしてたんだから、人のことは言えないのだけれど。 「盲点だったな」 「穴場だったね」 で、いろいろ回った二人が最後に落ち着いたのは、実は夜の大学構内中央広場だった。いっぱしの公園並みの作りになっているのだが、今日という日が日だけに全然人気はなかった。まあこの時間、ほかのカップルの皆さんはすでにお泊まりに突入しているのかもしれないが…それがいいことなのかどうかはともかくとして、二人はまだそこまでは行っていない。 「それじゃ、前島くん…あたしから」 きょろきょろ周りを見回して、誰も見ていないのを確認すると、夏海は少しうつむいて、かばんから取り出した包みを勢いを付けて響の胸元に押しつけた。 「…ありがとう」 「…うん」 ・・・・・・。 しばらく二人とも何も言えなかった。先に沈黙が耐えられなくなったのは夏海の方だった。 「あっあのねっ、ふみさんに教えてもらって作ったから、味は大丈夫だと思うの。でも、あたし手作りなんてしたことなかったし…ふみさんも、最初からあまり手の込んだの作ると失敗するからって…だから、別に工夫もしてないし、形も凝ってないけど…」 「うん」 一言だけ答えて、響は夏海の肩を抱き寄せる。夏海は、あ、と小さい声を上げただけで、抗うそぶりも見せなかった。 「夏海が作ってくれたってだけで…俺は嬉しいから」 「ありがとう…それで、ね…」 夜目にもわかるほどに顔を赤らめ、小さな声で夏海が続けた。 「響くん、あたしのこと…好き…だよね?」 「…うん」 夏海の問いに、響も顔を赤らめる。 「だったらさ、ほかにもあたし…渡したいものあるんだけど…」 「…ありがとう、夏海。 …ちょっと待ってくれるか?」 「え? うん…」 何を言い出すのだろう、ときょとんとしている夏海をよそに、響は周囲を見回すと、傍らの藪に目を留めた。 「というわけだからかなこさん、ここから後は遠慮してくれ」 「…うぇっ!? ななな、なんでバレるの!?」 自宅でにやにやしながら隠しカメラから送られてくる画像を受信していたかなこが、心底驚いた顔で立ち上がった。後をつけさせていた隠しカメラはありとあらゆるセンサーにも引っかからない、先進国が軍事用に使っているものよりも更に高性能なシロモノだ。歴戦の軍人でもない響に見破られるはずはなかったのだが。 『どうせそのへんで見てるんだろ』 …当てずっぽうか。かなこはほっと息をつく。が、行動パターンを読まれたのは事実だ。 「ふふふ、今日はかなこちゃんの負けかしら?」 「うー…」 しばらくは反応がなかったが、やがて藪の中からかさりと音がした。 「…やっぱり…」 「…かなこちゃんったら、もう…」 気を取り直して。 「えーと、それじゃ、前島くん?」 ところが。 「まだ待って」 「え〜?」 もう一度夏海を押しとどめて、響は今度は真上の夜空を見上げた。 「かなこさん! 偵察衛星もダメ!」 「うえぇっ!?」 もう一度仰天するかなこ。さすがに衛星軌道上の専用偵察衛星“池田亀太郎”まで見破られるとは。 「…これが人間の可能性…? それとも、愛の力…!?」 「お姉ちゃん…。格好つけても、結局はただの覗きがバレただけなんだから…」 ぽんぽん、とかなこの肩に手を置いて、はつえがため息とともに言う。 「う…」 イタイところをつかれたかなこは絶句すると、モニタに映った二人を指さして、(相手に聞こえるわけでもないのに)声高らかに宣言した。 「きょっ、今日の所はあたしの負けを認めるよ! でも、次はこうはいかないんだからね! ちくしょー、おぼえてろー!」 「おぼえてろー、って…。またこんなことする気なの、お姉ちゃん…」 「無論!」 「力強く断言しないでよ…」 肩を落としながらもはつえは、かなこの背後にあったモニターに映っていた響と夏海の姿が消えたのを見て、ふう、と安堵の息をついた。 かなこが諦めたおかげで、その後の二人がどうしたかは結局三姉妹にはわからなかったのだけれど。 きっと、知らなくていい、知っちゃいけないことなのだ。 はつえは何となく、そう思っていた。
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「…でさ、結局どうだったんだと思う?」 「わ、わたし、わからないよそんなの…」 「いいじゃないかそんなのどうでも!」 響が帰ってからも、別に三姉妹は響に首尾を聞いたりはしなかった。ただ、これ見よがしに響の前で根も葉もない推測を飛ばしまくったが。 「ねえねえ、姉さんは家事万能だよね?」 「ええ、そうよ」 「お洗濯、できるよね?」 「もちろんよ」 「じゃあ、服の汚れって分析できるよね」 「一目見るだけでね」 「それがどうしたの?」 「どうしたの?」 「…ちッ。違うのか」 「・・・・・?」 残念そうなかなこ。横で苦笑しているふみ。そしてきょとんとしている響とはつえ。 「大丈夫よかなこちゃん」 ふみが満面の笑みを浮かべて、響の肩にぽん、と手を置いた。 「本番は1ヶ月後なんだから」 「何の本番ッ!?」 〈つづく?〉 |
うあっ、ハズカシー。 タイトルからしてハズカシー。 バックや文字色をピンク色にしようかと思ってましたけど、思いとどまってホントによかったです。 っつーか、自分にもらうアテがないのにこーゆー話書くってゆーのが… 痛え。
…ってなわけで生まれてこの方この日には縁のないもーらですー。 やはり米軍キャンプに行ってベリーベリーストロングアメリカンソルジャー、とりわけクラーク・D・ヴァレンタイン少佐におねだりするってものでしょうか。 まあこの日についてはともかく、お話の内容としては…。 …みんながだんだん壊れてく…特にかなこさん…。 あと一月後、響くん編を書くかどうかはちょいとまだ決めてませんが。気分が乗ったら書く…かも、しれません。 それでは、また別の作品でお会いいたしましょう。おつきあい有り難うございました。もーらでしたー。 …にしても、バレンタインに間に合わせようと思ったからって…こいつを職場で休み時間に書くの…痛かったなあ…。 結論。 |