サハラの旅 −続きの続き−
タマンラーセットのキャンプは、施設としても非常に充実しており、スタッフも親切でした。それまでで最もツーリストが集まっていたキャンプでもありました。当時はパンク系のツーリストもいましたし、市内ではラスタ系のドレッドヘアに白衣のアルジェリア人ツーリストともなかよくなりました。きわめつけは黒革上下のスペイン人で、唯一わたしに理解できたのはピンク・フロイドが好きでたまらないということでした。アルパチーノに似ていましたっけ。このキャンプ、今はどうなっているのでしょう?無事なのでしょうか?
市内では運転教習をしている車をよく見かけましたが、トランスポートはよくありませんで、徒歩が基本でありました。出はじめの安価なトレッキングシューズをもっていったので歩き回る分には苦労はありませんでした。しかし、造作の大きな近代的な町をつくってしまって、住民はどうしているんだろうというのがはじめの疑問でした。この点は現代のナイジェリア都市の新市街地でも、過疎でバス路線が廃止されていく日本の地方都市の郊外でも感じます。マス・トランスポートは現代の都市生活では不可欠のインフラだと思うのですが・・・もっとも誰かが用を足してくれればいいのかもしれませんが。
タマンラーセットから南はもうバスがありませんで、トランスポートの手段を探さなければなりませんでした。キャンプへ移動した理由はリフトを提供してくれるツーリストを見つけるためです。途中で知り合ったドイツ人や家族連れに話してみましたが、スペースがなかったり、方向が異なったりでうまくいきません。結局、数キロ離れたトラックステーションまでいくことになりました。
ここではピーの情報が役にたちました。タマンラーセットは国境から近く、ブラックアフリカからやってきた人々が独自の社会をつくっている区画がありました。あいさつをしても無視されるという経験を久しぶりにして、ある種のバリアの存在をアルジェリアに入国してはじめて実感しました。アルジェリア人から見ればかなりうさんくさい人もいたようです。パスポートを何種類も所持しているという男性もいました。しかし、サハラ越えについては情報が豊富で、ピーには信頼できるトラック隊を教えてもらいました。
運動不足で20キロ近い荷物を背負って、よろよろトラックステーションへたどりついてみると突然、力士のようなガタイのいいおじさんがキャドー(プレゼント)!と叫びながらわたしの荷物を取り上げてしまいました。自分のトラックに乗ってけ、その代わりプレゼントをもってこいと。申し訳ないがこっちのトラックに乗ることになったのでと断ってピーの教えてくれたトラック隊にお世話になることになりました。料金はニジェールのマラーディまで300フランスフラン(約6000円)、アルジェリアの通貨ディナールは国境線に近づくと価値が4分の1まで落ちてしまいましてほとんど役に立ちませんでした。アフリカではヒッチハイクは有料のことが珍しくありません。国境線付近を除き何百キロも何もない場所を通過するので当然、ヒッチハイク料金には食事代その他すべてが含まれます。道中でいろいろトラブルがあり、砂漠の中に1週間以上いたので6000円という数字は結局、それほど高いものにはつきませんでした。はじめはちょっと高いなーと思ったのですが、途中でたいへん得をしたという気分に変わってしまったわけです。
(続く)
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