久住山  2003,2,26

昨日は四国の石鎚山に登り、その日のうちに海を渡って九州に入った。別府湾が見下ろせるサービスエリアで車中泊して、早朝久住に向かった。

中学3年の修学旅行の時に、生まれて初めて九州の山を見た。高くはないが、その広さや大きさには驚いた。

大人になってから、今度は修学旅行の引率で、何回も久住の山並みを眺めた。

長野に移住して初めて、念願のこの山に登った。実に25年越しの夢がかなった。

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私が中学の時には、長者原のホテルで昼食を食べたのだが、そこから見上げた三俣山をなんとなく覚えている。振り向いて、北を見た時のなだらかな草原ははっきりと記憶に残っている。

そのホテルは今もちゃんとあった。

やまなみハイウェーを登ると、牧の戸峠につき、ここで車を降りて靴を履く。写真は沓掛山中腹から振り返って見た牧の戸峠である。


西千里ヶ浜から見た星生山(ほっしょうざん)。手前に霧氷を入れて構図を作って撮った。九州の山とはいえ、1500mを越すとさすがに空気はツンと冷たい。

しばらくは平坦な道を行き、まもなく久住山と中岳の分岐にさしかかる。今日は両方踏むつもりできたので、まずは九州の最高峰である中岳をめざす。


どこにでも健脚な人はいるものであるが、昨夜少し雪が積もった登山道をスタスタと追い抜く2人連れは、どちらも相当な年配のおじさんだった。天気もいいし、眺めもいい、時間はまだ早い。そんなに急いでどうしたいの?
たまに、大きな山行のためのトレーニングに登っている人を見るが、それかもしれないなと一人で納得しておいた。

中岳の御池に向かって登る道はまもなく右に曲がっていく。


御池のふちをぐるっと周って中岳の山頂に着いた。たった一人の九州のてっぺん。向こうの山がミヤマキリシマで有名な大船山である。わずかに5m、こちらが高い。花のきれいな5月6月にまた訪れたいものだ。

ところで「坊がつる讃歌」の元歌は広島大学山岳部の部歌であることをご存知だろうか。山岳部部員だったその学生は、理学部の地質学科に在籍していたので、地質学科の歌にもなっている。当然、坊がつるの歌詞とは違う。元の方がいい。


中岳から引き返して、御池の上を巻いてきた。御池と中岳を入れて撮る。

この写真の反対方向に久住山が立っている。中岳にさよならを言って、早々にそちらに向かう。おそらくもう2度と来ないだろう。九州にだって他に登りたい山はたくさんあるのだから。


久住山山頂だ。
さっきの中岳より4m低いだけなので、大船山より1m高いことになる。でもまあ、高さはどうだっていい。

久住山から南を見ると広大な裾野が広がっている。いわゆる久住高原という原っぱだ。もう少しあとの3月になると一斉に野焼きが始まることだろう。この眺めは九州か北海道にしかないと思う。嫌なことがある人はここから久住高原を見るといい。晴れ晴れとして、ちっぽけなことは気にならない。


久住を下りてきて、やまなみハイウェーを阿蘇に向けて走る。適当なところで原っぱに車を入れて振り向いて久重連山を撮った。九重と表記すると一帯の山全部を指すようだ。

原っぱに寝転がって空を見上げる。
人生に少々つらいこともあったが、今が一番幸せだ。長野に来て勤続10年目のご褒美にもらったリフレッシュ休暇の4日目がこうして終わった。


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