実際は死ななかったから今となっては笑い話なのだが、その時はもう本当にこのまま死ぬのかと思った。

あれは中学3年の夏だった。
当時、私は中学校の科学クラブに所属していたので、夏休みを利用して共同研究に出かけていた。行き先は自宅から3kmほど離れた砂丘地帯である。私の生まれは山陰なので、海岸線には小規模の砂丘がたくさんある。鳥取砂丘は大きくて全国的にも有名であるが、自分たちが調べていたのは長径が5kmぐらいの通称「浜山」という砂丘であった。今は近くに「浜山中学校」という新設校がある。

研究では、砂丘に植林されたクロマツの風衝傾度(そんな用語があるのかどうか知らないが)や、地中温度、貧弱ながらそこに生きている動植物の生態系などを総合的に調べるのが目的だった。

まあ、そんなことはどうでもいい。
つまり、その日私はクロマツの根元あたりをスコップで、えっさかほいさか掘っていた。
マツの根元あたりをスコップでゴンゴンたたいたものだから、通称ジバチ、正式にはクロスズメバチというやつがびっくりして巣穴から出てきた。相手はよほどムカツイタらしく、いきなり激しく攻撃態勢で、わたしの顔をめがけて飛んできたので、あわてて左手で追い払った。でも運悪く、そのうちの一匹が左手の中指と薬指の間に挟まってしまったために、彼の、(いや彼女かもしれないが)痛烈な一刺しを薬指の第一関節の横にくらってしまったのだ。
「痛ーーーーっ!」

私は子どものじぶんからアシナガバチにはよく刺されていた。男の子だし田舎のことだからそんなことは当たり前で、近所の子どもたちと遊んでいてハチに刺されて、本気でオシッコをかけて「治ったー」とか言っていたように思う。それでも平気だった。
だから、この時も指で刺し口をつまんで毒を吸い、それでほっておいた。

ところが、ほんの3分ほどして、アレルギー反応が出始めた。
まず、のどがひりひりして詰まるような感じがする。
次にのどが渇いてきて、息が苦しい感じ。
声を出すとかすれてしまう。
どうしてそうなったのかすぐに気がついた。

これはやばい!ハチの毒にあたったのだ!
友達に事情を話して、すぐに家に帰ることにした。自転車で3キロメートルはほんの10分ほどだからなんとかなると思った。今のようにケイタイがあるでなし、公衆電話なんて田舎では見たこともない。第一お金を持ってない。近くに民家はあるが、早く家に帰って水で冷やせばいいだろうと考えた。

はじめの1kmは下りでよかった。
でも平坦地を残り2kmこぐのが大変だった。
熱っぽくなって、全身が焼けるように熱くなり、頭に血が上る感じがした。冷や汗が流れ、息はゼーゼー鳴っている。ただごとじゃないぞこれは、などと冷静に考える一瞬もあったが、家にたどりつけるか不安になった。それともここでぶっ倒れるか。
家の裏手が見えてきた。あと少しだ。時間との勝負。

木戸から猛然と走りこんで、玄関前に自転車を乗り捨て、開いていた玄関からかすれ声で母を呼んだ。
あがりかまちにぶったおれて荒い呼吸をしているところへ、母が走ってきた。
「ハチに刺された。すぐに医者を呼んでくれ。」

顔がむくみ目は朦朧として、肩で大きな息をして丸くなっている息子を見て、母も驚いたことだろう。
ところが、これまた昔のことだから、救急車なんてこんな田舎にすぐ来れないし、かかりつけの医者だってすぐ飛んでくる来るような態勢ではない。当時は医者といえば、「だんさん」、つまりどっしりと構えた偉い人だったので、悠長なものだ。

私はなんとか畳の部屋まで這い上がって横になった。
だが、ここから本当の生き地獄だった。

からだ全体が燃えるように熱くなり、かゆい。
でも、かいてもどうにもならないから、冷水に浸したタオルを当てる。
顔やからだに何枚もタオルを当てた。
かゆいのはとにかく我慢するしかない。
意識はあるが、意志力がだんだん弱まる。
畳の上に寝ているが、畳に触れている箇所が痛くなってくる。
例えば、おしりや肩のあたりが。

なかなか医者が来ない。
痛いから寝返りを打つ。うつぶせになったり、横を向いたりして痛みを分散させる。
呼吸が苦しいのが一番つらい。のども渇く。
このまま呼吸困難の症状がひどくなったら、自分も終わりかなとか思う。

どれぐらいの時間が経ったのか、今となってはもう忘れてしまったが、自分の感覚では苦痛の峠を越したあたりで、ようやく医者が来たように記憶する。そして待ちに待った注射を打った。待った時間は1時間だったのか30分だったのか、それとも2時間だったのか。
ものの本を調べてみると、この時の私の症状は中症から、重症に至る途中ぐらいのようだ。

この文章を書くにあたって、先日田舎の母にこのことを聞いてみた。
「おふくろさん、俺が中3の時、ハチに刺されて寝込んだことを覚えてるか。」
「覚えちょらん。ごめんだけど。」
な、なんとな。息子が生死をさまよったという、あの地獄の苦しみを覚えていないだと。

まあ、30年も前のことだし、年老いた母を責めても仕方ないからやめておこう。人間は嫌なこと、苦しいことを忘れるから生きていける。忘れられなかったら前途に希望など持つ余裕がないのだから。

ところが、母が次にこう言った。
「あんたは、わたしの体質といっしょだわ。わたしもジバチに刺されると体中が熱くなって、医者に注射を打ってもらわんとダメだよ。」
「その、母がジバチに刺されて注射を打ったというのはいつのことだ。」
「さてね、10年ぐらい前のことだーか。」

そんな事実があったのか。
私が刺されたのは今から31年前、母が10年前。
母も農家の生まれだから、ミツバチやアシナガバチに刺されたことはあるだろう。でも、子どもの時はそんなにアレルギーは出ないものらしい。

大人になってジバチに刺されると、強烈な反応が出る親子がここにいた。

私も山をよく歩くが、山ではハチに刺されないよう、これからは注意しよう。
自分がまちがいなく、母譲りの体質であることがわかった以上、細心の注意が必要だ。

ネットを探してみたらこんなサイトがあった。
「都市のスズメバチ」:http://www2u.biglobe.ne.jp/~vespa/menu.htm

ここでは、危険性の高い3条件がこうなっている。
 1 40歳以上の男性
 2 以前刺された時症状が重かった
 3 抗体価が高い

やばいじゃないの、ええっ、ほんとなの?
1と2にみごとあてはまり、3は検査してみないとわからないらしい。
女性より、男性の方が危険らしい。母は女性なのに激しい症状が出ているということは、母はおそらく抗体価が高い体質なのだろう。そのことはメチャメチャ決定的に私にとっては分が悪い。
あきらめた。
完全にあきらめた。
ハチは私にとっては天敵になった。特に、おそらくジバチ(クロスズメバチ)はダメだ。

ところが、伊那谷には「すがれおい」というジバチの巣を探しあてる遊びがある。
伊那谷の山のHPを運営している私が、伊那谷名物のジバチにやられてあの世に行く日が来るかもしれない。まあ、それも運命だな。
そうなったらあきらめよう。

おわり

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