PART 1

最初に結末を書くことにする。
死体の身元がわかったと、警察から連絡がきたときには本当にうれしかった。すぐに家に帰してあげますからねと約束したことがこれで果たせたという安心感だった。

その後、ご家族の方からは遠方にもかかわらず大変なお礼を頂戴した。ここで改めてそのお礼を述べたい。本来ならご家族に直接お会いして、死体を見つけたいきさつやその後の経過をご報告申し上げるべきだが、何しろ遠方ということもあって、お会いもできずにそのままになってしまった。捜索願いを出され、本当に心配しておられた肉親の方には、できれば生きて見つかることが一番なのだが、わたしとしてもあれが精一杯だったので、不十分な点はどうか勘弁していただきたい。

長い間山をやっていると、遭難現場に遭遇することはままある。私の場合は相当な深山をひとりで歩いていたのでかなり動揺したし、死体の回収にも手間取った。人が一人死ぬということは大変なことだということもよくわかった。そういう意味では多くのことを学んだ事件なので、記憶が薄れてしまう前に書き留めておくことを思い立ったのである。脚色なしでありのままを書くつもりなので、できればご家族の方にも読んでいただきたい。

今から5,6年前のことになる。
5月4日は朝から天気は上々で、小川路峠でも暑いぐらいだった。
この峠からは道のない尾根を南下して金森山まで行こうというのがその日の私の計画だった。
しかし金森山までの熊笹はとんでもない強敵だった。背丈を越える笹が絡み合っているので、かきわけるのが本当につらい。仕方がないから四つんばいになって笹の下をくぐって進んだりした。金森山手前の鞍部にようやくついて、大休止をとりながら考えた。
 「帰りはこの沢を下ってみよう。さっきの熊笹はもうごめんだ。」

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金森山の三角点を踏んで、さっきの鞍部にもどる少し手前から斜めに、沢の方に下っていった。沢まで下りたところで地図を開いて車にもどるまでのルートを確認した。これなら小川路峠を経由しないで、最短距離で車に戻れるルートだと判断した。

そこからは笹の少ない、小さな流れが見え隠れする苔むした沢をどんどん下った。大きな滝はなかったが、いくらか左岸を巻いて下りるような急流もあった。やがていくつかの支沢が合流し、沢の幅が5mぐらいになったところで、変なものが視界に入ったので立ち止まった。
 「あれは何だろう。」
30mほど先の沢の真ん中に何か自然物ではない紺色の布切れのようなものが見えた。
金森山は登山の対象となるような山ではないし、しかも名前もないような沢を30分も下ったところに紺色の布切れが落ちているとなると、何か理由がある。
私は実はもうこの時点で少し覚悟していた。いつかこんな日が来るかも知れないという予感が頭のどこかには住まっていたからだ。

それからはゆっくり近づいた。胸がドキドキした。20m、上着らしき布も見えた。10m、もう白い骨が確認できる。
5m。ちょっとしたナメ滝の上に立ち止まってすべてを見下ろしながら、私の覚悟は100パーセント出来あがっていた。

「見つけてしまった。」「えらいものを見つけてしまった。」
その時のこれが私の率直な気持ちだった。
手を合わせて念仏を唱えてさらに近づいた。頭蓋骨がこっちを向いている。写真を撮る気には到底なれない。そのかわり、警察に連絡することを考えて状態をよく観察しておこうとじっくりと見た。

頭にはわずかに髪の毛らしきものが骨にくっついているが、あとは何も残っていない。残っていたら正視できなかったかもしれない。
胸は灰色の上着でくるまれてうつぶせになっているが、腰の部分からきれいな背骨が見えているので、おそらく肋骨しか残っていないだろう。手は曲げて胸の下にあるようだ。
腰には黒のベルトがあったので、男性だと思った。骨盤は紺色のズボンの破れ目から見えていた。足はズボンが破れかぶれで長い骨が全部見えている。右足の骨が左足の骨の上に交差して伸びている。靴は履いていないし、靴下もみあたらない。すべての骨の関節はつながっていて散乱してはいないから、死後一年以内だろうと思った。昨年の秋に遭難したとして、雪融けによって出てきたのかなとも思った。

あたりを見回した。カバンらしいものはない。ただ、サンダルのようなものが数m離れたところに2足転がっている。状況からしてこの人のものだと考えられるが、まさかサンダルではここには来れないと思う。一番近い集落まで行くのに数時間かかるような深山である。

まぶたを閉じてみてもその状況が確実に目に浮かぶぐらいしっかり見たので、そこを離れた。
離れるときに一礼して、すぐにご家族のもとに帰られるようにしますからねと声をかけた。

そこから50mほど沢を下ると、右から大きな支流がぶつかっていたので、万が一下から登ってきたときのために、目印の赤テープを木につけた。それからどんどんと沢を下るのだが、自分があせっているのがわかった。でも、ここで自分がけがでもしたら自分まで骨になってしまうかもしれないと思い直して、慎重に慎重にと自分にいいきかせるようにして下った。車まではまだ2時間はある。道もなにもないが、地図をたよりに沢を下り、尾根を越え、再び沢を下ってようやく車にもどった。

集落まで下ってから道行く人に駐在所の場所を聞いた。ところが駐在所に行ってみると鍵がしまっていて誰もいない。そうか、今日は連休のど真ん中だ。駐在さんもお休みだ。
あきらめて、さらに下ったところの電話ボックスから110番した。県警が出る。飯田市の金森山だといっても、電話は長野市にかかっているので相手がそんな山を知っているわけがない。電話の向こうで飯田署に切り替わって、少しは話が通じた。すぐにそっちに向かうからそこで待っているように言われた。午後4時だった。

待っている間に、自宅の妻にも電話する。
30分ほど待つと白のワンボックスで3人の警官がやってきた。これから行くから案内してくれというので、とても今からでは行けないと説明した。どうも車で行けるところだと勘違いしたらしい。では調書だけでもとろうということになって、さっきの駐在所にもどって中に入った。

「あなたの今日の行動をすべて話して下さい。」
「はい、わかりました。」
「どうして今日は金森山に登ろうと思ったのですか。」
「ええっ!」

相手は警察だから普通に動機を聞いているのだろうが、この質問には困った。
まさか、そこに金森山があるからだ、とは答えられないので、伊那山脈の山を北から順に登ってきたからだと、こじつけの動機を答えたらそれで許してくれた。本当はただ山が好きだから登ってるだけで、金森山を選んだのには特別の理由はない。でも、調書には山登りが好きだからという動機は動機にならないことを教えてもらった。

死体の状況を絵に描いて下さいと言われたので、さっき見てきたとおりに描いていたら、絵がうまいねとほめられた。仕事が理科の教師だから絵はいつも描いてると言ったら、3人とも納得していた。最後に長々と書かれた調書を確認し、それで間違いありませんと署名をした。
明日5日の朝8時に再度ここに集合することになってその日は帰った。
さすがにその日はくたびれた。

5日の朝、そこに集まった警官は10人ほどだった。年配の係長さんがトップの立場で、
「山が登れるような若い警官を集めてきました。交代で下ろしますので今日はよろしくお願いします。」
というあいさつを頂戴した。が、実際は下ろせなかった。

歩き出しは良かったが、途中から隊列が長くなってしまったので一回目の休憩を取った。どっかと腰を下ろしてもうしんどそうな人もいる。不安がよぎる。普通の整備された山路を歩いているだけなのだが、遅めの私のペースについてこられない。
2時間30分もかかって小川路峠にようやく着いた。アルミ製の担架を交代でかついでいるグループがやや遅れて着く。ここで大休止をとる。半分以上の警官は大汗をかいている。
いくら警官とはいえ、山歩きをやったことがない人はしんどいことなのだろう。

さて、いよいよここからが核心部である。山慣れた私でも難儀した、あの道のない笹海を再び渡っていかなくてはならない。しかも疲れた10人を連れて。
私が先頭で突き進むこと1時間。もうとっくにお昼を過ぎているが、笹海からまだ抜け出せないでいた。いちばんのネックは担架である。笹に引っかかって前になかなか進めないのだ。仕方がないから、笹海が少し途切れた場所で昼食とする。なんとなくことば数も少なくなっているし、
「ほんとにこんなところに死体があるのか。」という疑心の視線すら感じた。

まあ5月5日の休みの日に、急に上司に呼び出されて、とんでもない山に連れてこられて、笹にまみれて、まずい飯を食えば、いくら公僕といえども、不平の一つも出ることだろう。私は山が好きだから2日も続けて同じ山に登ってもなんともないが、警官という仕事も大変だ。人が一人死ぬということはかくも大事件なことなのだと思い知らされた。

小川路峠からまた2時間半が経過したころ、ついに現場に着いた。私の役目が半分終わり、そこではただ事の進行を眺めているだけだった。いわゆる現場検証がはじまった。
ここではさすがに警察官だ。てきぱきと手際よく処理していく。一部始終をそばで見ていたが、白骨についての具体的なことはここでは書かない。それはプライベートなことだからである。
私がどのように白骨の死体を見つけ、どのように回収されたかを書くことは公にしてもいいと思っているが、死体が調べられていく現場は本来、一般人である私は見てはいけない光景である。ご家族のお気持ちも考慮すると、それは記述できない。

検証が終わると死体はていねいに担架に乗せられ、大きなビニール袋で包まれた。近くの太い木にロープで固定され、沢の増水によって流される心配もない。時間的にも、体力的にも、今日、下ろすことは無理だと係長さんが決定したのだ。次は専門家を連れてくるという話だった。すなわち、県警の山岳遭難救助隊をである。

帰りは遅くなった。山の素人さんなので、来た道を引き返すしかないからまた時間がかかった。
前の日よりさらにくたびれた。でも自分の役目はこれで終わったと思った。

それから1週間ほどして、私の職場に係長さんから電話が入った。
「例の山岳救助隊の都合が明日しかない。また道案内をしてほしい。」
「えーっ! 先日行った警官がたくさんおられるのだし、その人たちなら道はわかるでしょう。」
「みな自信がないというので、もう一度だけお願いしたい。」

なんとまた行くことになった。
だが、今度は違った。長野県警山岳遭難救助隊の7名の隊員に私は感動した。

PART 2 につづく