佐々木 通信  第5号 

発行日2011年10月23日

vol.01
佐々木は北相木村でこう考えます。
皆様お久しぶりです。 何人かの方々から 佐々木通信の次号はどうした、とは言われておりましたが、私としては『佐々木通信』の内容に対しての皆様からの反応がないところで、書き続けることが難しい状況でした。 村民運動会での新公民館長の挨拶にもありました、『村民あっての公民館活動』と同様、『読者の皆様あっての佐々木通信』です。 文面上も含めて会話は相互に意見を交換しないと発展していきません。 断片的ですが、私の考え、行動に対してご意見をいただいたことで、『佐々木通信』を一歩進めることが出来ました。 率直なご意見、ご感想を今後ともよろしくお願いします。
  尚、北相木村と直接関係ない意見に関しましてはインターネット上の『佐々木ぶろぐ通信』http://ssniki.blog.fc2.com/にて不定期に発信しておりますので、よろしければご覧になって下さい。


人の心は変えられない。変えられるのは唯一自分の心のみ
  共同社会では人は一人で生きていけるわけでない。だから、どうしても他人に影響力を持ちたくなるものですが、激変するアラブ社会やカダフィさんの最期、EUに端を発する経済混乱を見ても、暴力や金などの権力で強いることのむなしさ、限界を思い知らされる今日この頃です。 だからこそ、真に人の心を動かせる人間、生き方というものについて考えてしまうわけです。
  
他律的に学ぶ:learnこと
自律的に学ぶ:studyこと
(注1)
  はなまる学習会の高濱先生の話を聞いて『簡単に答えを知るよりも、苦労して答えにたどり着く成功体験こそが将来伸びる教育である』と私は感じました。 つまり教科書に載っているような
知力(注2)よりも、向上心や好奇心と実行力、等の知覚、人としての生き方こそが教育されるべきことであり、それは模範によって示される。 『子は親の鏡』。例え自分が出来なくても、努力する姿勢を示し続けることが、教育する立場の親として、大人として必要になります。 これを都合よく解釈すれば、努力するだけで、次世代を担う子供たちはその課題を達成してくれるかもしれない。つまり、トンビの子が鷹に育つかもしれない。 
  ハーバード大学のマイケル・サンデル教授はNHKの番組、白熱教室の中でJ・S・ミルの『満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである』(注3)というひどい言葉を紹介しています。 『悪貨は良貨を駆逐する』の言葉の通り、一般に人は安易な方向に流れがちです。『難しく面倒な話はちょっと苦手』。 『人生、楽して楽しければ良いじゃない』。 『理想はそうだが現実は、そうはいかねえよ』と現実に諦め、受け入れてしまいがち。 でも、教育次第で子供たちなら『どの問題をどう克服すれば、現実をより良く変えられるか』と前向きに考え行動出来る人間になれるかもしれない。 将来、希望を持ち続けられる社会になるかもしれない。 子供たちにそのまま大人になっていただければ、歳老いる前に安心して子に従える。 『まだまだ若い奴らには任せられねえ』と、ご老体に鞭打つような終りの見えない【業】から開放されることが出来る。 あとは悠々自適、口だけで評論するのも自由、囲碁も好きなだけ打てます。 最近の携帯は自分で覚えるよりも子供に覚えさせて、彼から直接教えてもらう方が結局は近道だってことと似てはいないでしょうか?  子供には是非、親を超えていただきましょう。

  絶対的上下関係のある大人と子供を前提にした『子供に説教することを大人がまず行動せよ』。この言葉を対等な関係の大人社会に当てはめれば、『他人に求めることは自分は出来ないにしても、せめてその努力をせよ』とでもなるでしょうか。
  複雑化した現代社会で私たちは様々な分野で代表者を選びます。チームが試合に敗れても、それはチームとしての力量で、応援するファンはもちろん、控え選手がチームの代表であるレギュラー選手を責められないように、選ばれた代表者は選んだ人達の責任を全て負っているわけではありません。 執行力は委譲しても責任はずっと選んだ側に残っている。 本質的には、いかなる個人もその責任からは一生逃れられない。 代表者を責める前に、選んだ自分の責任を見詰める姿勢が大切です。 
  この度の大津波では『津波てんでんこ』という言葉が広く知れ渡った。 いざという時、自発的な判断力がその人の運命を決めた。 人生、結局は自己責任だ。 五感で感じられない放射能に生活空間が包まれているかもしれない今、あるいはこれまで異常とされていた事象が普通になりつつあるような今が、運命を決めるその時かもしれない。 今までの方法が通用しない、経験が役に立たない時、必要なのは柔軟な想像力です(注4)。 想像力の老化した現在の大人が厳しい現実に希望が持てなくなったとしても、未来にはまだ希望は残っています。 それが次世代の子供たちであり、良き教育こそがその希望を現実にしてくれる手段です。
  人には寿命があり、時間的な制約の中で、出来ることは限られています。 でも、その人の志が世代を超えて生き続けると考えるなら、希望を捨てることは無益だ。(注5) 今、人の心を変えられなくても、子供を良い教育で変える事が出来るなら、いつかきっと人の心も変えられる時が来るかもしれない。 そう思い、行動し続けることが唯一の希望への道なのでしょう。
  電力に代表される目前の物的豊かさと未来の未知の放射能リスク。 大衆心理で簡単に吹っ飛んでしまう幻想的豊かさと恐慌時の生存の危険すら感じる恐怖。 どちらを選ぶもその人の自由ですが、希望を失った人間が希望にあふれる子供たちの未来を事前に潰すことは、民主的ではないし、佐々木は反対します。 皆さんはどうでしょうか?
(注1)ドラッカーの言葉「教師は教えているのではない。学ぶことを監督しているにすぎない」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)(注2)当然、基礎的知力は社会的人間として最低限必要です。
(注3)ウィキペディア(Wikipedia)より引用。佐々木の言葉では決してありません。
(注4)現在ほとんどの局面で経験は非常に大切です。
(注5)手塚治虫著作参照『火の鳥』など

 この佐々木通信は日常の会話の延長線上を整理、検討、補足したもののため、会話に加わっていない方には解りづらい部分が多いかと心配しています。 補足説明いたしますので、お気軽にお声を掛けて下さい。プライバシー厳守しています。
 
佐々木の近況報告
  先日、うちの小学生二人を連れて八ヶ岳の天狗岳に一泊二日で登ってきました。 雲の上では様々な思いがよぎりました。 一番感じたのは自己責任とピリピリした緊張感。 余計な荷物の重みに苦しむのも、必要な荷を忘れて困るのも自分。 ルートやテントサイトを選ぶのも、天候や体調に合わせてペースを作るのも、とりあえずリーダーである自分。 もしもの時に備えて携帯し、水場が近づくにつれて減量の為に捨てた水も、使うことのなかった雨具も、決して無意味ではなく安心感を与えてくれた。 子供たちも初めての登山に気分は最高だったようですが、パーティの命運を背負った分、私の充実感の方が上をいった様に自負しています。 子供たちにはこれからの成長と共に、少しづつ責任を背負っていくことで、将来私以上の快感を味わってもらいたいものです。


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