関田山脈 ツアー (4)
2005年5月4日 晴,   5月5日 曇りのち晴れ    T.B
第1日     藤沢の池9:20 → 県境稜線12:15〜12:45 → 1085m14:20〜14:35 → 伏野峠14:40 → 1094m15:00
       → 菱ケ岳南方ピーク15:25〜15:40 → 1150mピーク15:55 → 野々海峠17:00 →幕営17:05
第2日     幕営7:20 → 深坂峠7:45 → 三方岳8:10〜8:20 → 1090m8:35〜9:00 → 天水山9:30〜10:10 
       → 羽倉山10:45  → 林道12:20 → 森宮野原駅13:20
 1984年の4月だったと思う。
友人3人と、戸狩スキー場から仏ケ峰にクロスカントリースキーで登り、鍋倉山、黒倉山、関田峠経由温井の
集落までツアーをした。
短靴のシューズでびしょぬれになりながら歩いた記憶がある。そしてどこかの峰に櫓もあったような気もする。
 今脚光を浴びている関田山系のブナ林には当時全く気がつかないどころか関心すらなかった。
翌年の賀状の題材が田茂木池の雪景色であったことを思うと、その美しさは強烈だったのだろう。
ブナ林の美しさを知ってから、足しげく鍋倉山に通うようになった。
それは、クロカンであったりスノーボードであったり、手段は様々である。
関田山脈の冬景色に魅せられ20年後、信越トレイル最北端の天水山にテレマークスキーを履いて足を延ばすことにした。

[湯滝温泉〜県境稜線]

 湯滝温泉で2人のメンバーと合流したのは8時半。
Sさんはなじみで、Sさんの友人で昨日まで白馬の山に入っていたというKさんとは初対面である。
顔は真っ黒に焼け、山男そのものであった。
3人で1台の車に乗り合わせして藤沢の池に向かう。
まだ雪が溶けていず藤沢の池までは行くことができなかった。
 Sさんははロシニヨールのトレックに登山靴、Kさんは170の板に最新のジルブレッタとスキーブーツ、
私は170のステップ加工の板にロッテフェラー・チリと革靴。三者三様である。
今回、共同装備は無し。それぞれが分散しても生き延びることができる?全てを各々が背負う。
にわか部隊なのでその方がよいだろう。
 青空が広がり関田山脈が一望でき、スキーツアーには最高の天気である。
藤沢の池には流氷のような雪が残っていた。池の脇を通るR403もたまに舗装が見え隠れする。
平坦路を詰め、R403の看板の地点から西寄りに尾根を登り始めた。
雪はしまっているので、スキーは背負ったままである。
前回来た3月20日に比べるとかなり雪も溶け、木々が雪の中からでてきており、直進もままならず。
急斜面を迂回しながら先導する。
 豪雪に数ヶ月押さえ込まれていたブナの若木がこの時期、突然バサっと起き上がるのでまたぐときは要注意だ。
標高850m付近からのブナ林内は雪が多く快適な登高であった。
赤茶色の芽鱗が敷き詰められたブナの下を歩くときは、陽射しもやわらかくさわやかさを感じる。
白い小さなブナの花も混じって落ちている。
時折、茶色で丸い兎の糞がバラバラと落ちているものの姿は見せてくれない。
病気ではないかと思われる枝、コブの密集したブナを発見し、カメラにおさめる。
ついでに小休止。
 県境付近の台地に達する前にSさんに”小の池”を紹介する。
「名前がないので、大きな池をアノ池。こちらの小さな池をコノ池と勝手につけました」
地図上では周囲より低いことを示す矢印が等高線の内向きに入った場所である。
年輪状になった雪の汚れがまさに等高線のようである。
 ちょうど、昼ごろ県境に達した。南西の宇津ノ俣峠方面が明瞭に見える。
残念ながら北方の日本海はかすんでいて見えない。
たばこをおいしそうに吸うKさん。2Lボトルに入れた水を口にするSさん。
私はあちらこちらを歩きまわり景色を堪能。
風当たりの少ない場所を選んで昼食にする。

[県境稜線〜伏野峠]
 ここから、スキー歩行が始まった。雪面に我々だけの足跡だけが残る。
20m前後の高低差の稜線をかろやかに歩き1038m地点を通過。
目前に迫る60mの登りは歩き始めの惰性で一揆に登ってしまった。
黒色の北面が際立つ菱ケ岳は、3km先とは思えないほどまじかに感じる。
伏野峠に至る藤沢からの林道もはっきりと見え、西大滝に下る長い尾根も中途まで確認できた。
一休みしたあと、伏野峠までの狭く急な斜面にドロップイン。またたくまに鞍部に到着。
4月9日に来た際、峠の手前の稜線上の立ち木にストリーマーをつけておいた。
今回はずすつもりであったが、なんと雪面から4,5m上でヒラヒラしており、とてもはずすことができない。
その根開きの深さは1m50。・・・ということは、その時期には積雪5mはあったのだろう。
 ストリーマーは来た道を安全に戻るための自分の道しるべであって戻る際に、はずすべきだと思う。
道なき道に分け入り頂上を極めることに喜びを感じる本来の登山目的の登山者の為にも
残すべきでないし、自然界に人造物をやたらにほうっておくべきでない。
反面、心細い状況下で人為的なものを発見した時はほっとすることも事実であるが・・・。
一つの汚点を残してしまった。いずれ、はずしに来よう。






[伏野峠〜菱ケ岳南方ピーク1150m]
 おわんをひっくり返したような1094mのピークは、伏野峠から標高差90mほどあり、関田山脈北方の
中で天水山東急斜面と良い勝負である。
ピーク北面はかなり急なので、雪がついている西斜面をまいて山頂に至る。
ブッシュが全て隠れ一面スキー場のようなきれいな斜面である。
(関田山脈の中で最も広大なバーンは宇津ノ俣峠西部のカール状の斜面であろう)
前回ここでカメラケースを落としかなり下まで拾いに戻った場所だ。
 見上げると峰はブッシュに覆われ、そこまで到達しないと雪があるかどうかもわからない。
これまで何度かルート選択に失敗し、雪のついてないところに突き当たり右往左往することもあった。
登山中もなるべく前方を見上げ周囲をうかがい、よりよいルートを適格に選定することが、スキー登山を楽にする。
山頂でザックを降ろし、しばし360度の眺望を満喫する。
1094mのこのピークに名前があってもよさそうなものだ。
西大滝に続く長い尾根の東隣にも1本、スキーの楽しめそうな巾の広い尾根が見える、
杉の木も色濃く目立ち、きれいな尾根である。
(気温は16度。)
この先は初ルートであり、いつものことながらワクワクする。
 須川峠は1094mピークから約600mほど先である。こまかなコブが相次いだため現在位置を見失ってしまった。
地図によると須川峠から稜線の北側を小道が通っているので、雪のあるかぎり踏み込んでみたがそれらしきものは
確認できなかった。結局、峠も断定できなかった。
今、思えば山稜が東方から北東に向きを変えた付近が峠である。そのことに気がついていれば・・・・・。
その先の菱ケ岳南方の1150mピークに至る稜線は約500mのだらだら登りであった。その標高差は90m。
ブッシュも目立ち、先頭の私はそれを避けて登るのだが振り返ると、Kさんは更に登り易い独自のルートを歩んで
いた。
若くしてすぐれた能力を持ち合わせた人だ。
 山頂から望む菱ケ岳の頂上には小屋らしきものも見えた。
稜線を歩きだして2時間40分経過。15:30.

[菱ケ岳南方ピーク1150m〜野々海峠]
 地図を広げ、夕方までに野々海池に到着できるか確認する。
その距離約2km。休憩無しなら1時間もあれば行けるであろう。
今いるピークとこれから行く山塊は向きを異にしているので、地図と現状確認が容易にできた。
この山塊は県境稜線とほぼ直角に小尾根が張り出し、東側の沢をはさんで小尾根と平行に長くずんぐりとしている。
この山の最高点で県境は直角に折れて向こう側に続いているのである。
地図読みも楽しく、幸い見通しも効くので自信がもてる。
 関田山脈は細かな起伏が多く、どこも似た景色となる。写真撮影もパノラマ風にしないと
どこの地点なのか思いだせなくなる。ここでも、数枚横方向にシャッターを押す。
 我々が向かう方向から1人の足跡があることに気がついた。壷足である。
どこのどなたが、どこから?どこまで?歩いたのであろうか?非常に興味が湧いた。
 このずんぐりした山に登るにあたり、菱ケ岳方面に100mほど下り、右折して鞍部に一揆に下るつもりだったが
雪庇になっていたため50mほど引き返し、斜めに沢入りし鞍部を目ざした。
 ブナ疎林の鞍部は広々としており、スノーモービルのトレースが蜘蛛の巣のごとくつけられていた。
北方下には、キューピットバレイスキー場の山頂停留所と思われる小屋も見えた。
鞍部から割合太いブナ林の尾根を一路東方に登り、そして南東方面に進路を変え最高点にて小休止。
ここで、再度東方の小尾根を下ることになる。
 3つのこぶの向こうには白く広い平原のような地形が見え、きっと幕営予定の野々海池の延長であろうと
3人は小躍りする。
手前の小高い山を南に巻けば楽に雪原に到達できるのだが”県境を縦走”にこだわり、あえてピークを経て
雪原に滑りこむ。振り返ると、後続の2人も楽をせず几帳面にピークを踏んでいる。思わずニヤリとしてしまった。
このスロープがこれまで一番長く滑ることができたが、スピードはそれほどでなかった。
気温は13度。 
 雪原の対岸に面する丘は逆光をうけ、ブナとその根開きのおりなす絵模様が美しくシャッターを押す。
稜線は雪原の北側を蛇行しており、新潟県側は相変わらず急な斜面となっているので
ルートの迷いも生じない。 
スノーモービルのトレースも数台県境をたどっている。
野々海池北側の台地に入ると右前方の樹間に小屋も見え隠れするようになった。
 時刻は既に16時半をまわっているのに、スノーモービルのエンジン音が新潟県側から聞こえてきた。
彼らは無事帰ることができるのだろうか?下山中、故障でもしたらどうするんだろう?
モービラーはデイバッグぐらいしか背負っていない。
我々はスキー以外の機動力を持ち合わせていないが、ツエルトも食料も燃料もある。
他人事とはいえ関心がある。それは数年前まで自分がスノーモービルを保有し乗っていたからかもしれない。
 地図によると北西方向に伸びる沢筋に道があり、実際それは白い帯と化し稜線と直角にぶつかった。
そこには前橋営林署の黄色の看板があった。ここが野々海峠だ。
まだ周囲は明るいが予定通りこの付近でテント泊をすることに決めた。
太いブナの疎林を少し進み、景色の良い且つ風のない場所を探す。17時5分である。
Kさんは、しきりに「いいところだな〜」を連発する。
スキーを初めて脱いだ。何と、滑走面はワックスにゴミが付着し真っ黒であった。
これでは、スキーの滑りが悪いわけだ。
かくして、御飯をたいている間中ワックス落としをすることになった。
 私は、明日の昼食分まで3食の御飯をたいた。
夕食は、ハヤシライス、納豆、味噌汁。そしてウイスキー、チーズに紅茶。
本日ポカリ500ccボトルを4分の3飲み、水は1口だけだった。
最初の登りでヨーグルトを200cc飲んだのが効いたのだろう。
日没とともに3つのツエルトに灯りがともった。





[第2日]
[野々海峠〜三方岳1138m]
 夕べ、一番遅く寝たのは多分私であろう。20時半である。
夜中に底冷えを感じ体を右に左に何度も転回したが、とうとう起きてしまった。
ガソリンコンロに火をつけコーンスープをつくり、1杯飲んで体を温めまた寝袋にもぐった。
5時半に起床。風のない静かな朝を迎えた。東の空から太陽が上がるはずが一面曇り空。
視界が悪くならなければ良いのだが・・・・。気温は3度。
  3人で熱い紅茶を飲んでツエルトをたたみ、7時20分に出発した。
本日の行程は、昨日に比べ体力的には半分以下ですみそうだ。
テント場からややクラスト気味の沢に入り、登り返し県境に向かった。
(全行程中、野々海峠付近だけが県境から遠ざかった)
 深坂峠と思って着いた場所は、その気配がなく北面は絶壁であった。
地図をみると峠はまだ200mほど先である。起き抜けで、距離感がぼやっとしているようだ。
崖縁から眺める新潟県の奥深い山並みは新緑も美しく、所々に集落も見える。
 深坂峠の道は稜線上で大きくターンしており、新潟県側は山のわき腹をぬうよう作られ
三方岳の北斜面に帯状に連なっていた。
左奥に見えるのは天水山であろうか?
もと来た北西を振り返ると、さきほどの深坂峠と誤った場所は新潟県側に山肌が黒々とむきだしており
自然のすさまじさを感じさせた。
小休止してからまた稜線に沿って登りにかかる。
巾があるのでめいめい、好きなルートを選んで進んだ。
後で地図を見て知ったことだが、3人ともこの稜線のやや北側を通過したため、電波塔があることに
気づかなかった。大きな特徴物である電波塔を見逃したことは悔やまれた。
三方岳には深坂峠から30分ほどで到着することができた。
 頂上は、ドーナツ状の残雪で真ん中がすっぽりと大きなくぼ地になっており、太い木はなく
雑木の根元が見えていた。ちょっと、不思議な溶け方である。
円環の積雪は3mはあっただろう。夏、来てみたいものである。

[三方岳1138m〜天水山1088m]
  三方岳から3つの小山を越せば天水山である。
出発時より幾分空は明るくなってきた。天水山山頂に着くころ青空が広がっていれば・・・・と期待する。
  後ろからKさんに声をかけられた。深い沢筋にブナの巨木が見えるという。
この辺のブナの木の中では確かに太い。近くにはモービルが沢を駆け上がったトレースもありパワーを想像させる。
 関田山脈を北に向かうにしたがい、緑が増しているように思えた。
全般に標高が低くなってきているのだろうか?
ヤセ尾根の急坂では、東京育ちのKさんはスキーをはずし尻滑りを試みている。
スキーが短いので重いザックを背負っての滑降は、ままならぬようだ。
 天水山直下の鞍部でやや離れていた3人が集結し、大休止。そして、一揆に山頂をきわめることにした。
木々のあまり露出してない場所を探しながら最短で登る。とうとう念願の天水山山頂に到着することができた。
 山頂は広い台地状で太く大きなブナの疎林であり、南側は絶壁であった。
その遠方には苗場山、鳥甲の連山が一望できた。
北の新潟県側も急斜面で、みごとなブナ林が下方に続いていた。
この辺り一帯が「21世紀に残したい日本の自然100選」((財)森林文化協会)に選定された場所なのだろうか?
 先ほどの鞍部の方角からモービルの爆音が聞こえてくるものの登ってくる気配なし。
来たら、シャッターを押してもらおうと話していたのだが・・・・。
「あの排気音はバイクなみに小さくならないものかな〜。動物もたまったもんじゃない」
・・・とKさんがのたまう。
信越トレイル最北端の天水山に到達でき、安堵感から30分も休憩をとる。
携帯で知人にその旨を伝える。アンテナ表示も3本立ち、交信も良好である。

[天水山〜羽倉山〜森宮野原駅]
 シールを貼り直すKさんより一足さきにスタート。
これからたどる県境の東斜面は急勾配で且つえぐれている。
Sさんはスキーを脱ぎ無難な方法をとる。
一段降りてから斜滑降姿勢に入ったところ、眼前にブナの木が2本あり。
2つの根開きの間は20cmの巾である。
一瞬、ひるんで急斜面でエッジをたてるもののスライドしはじめた。
踏ん張ることができず体を山側に倒したら、またたくまに体は滑りだしスピードは増す。
そのまま、10mほど滑り落ちブナの大きな根開けに足から落ち込んだ。
幸い雑木がたくさんでていたので根元まで落ち込まなかったものの、左手の
ストックは放れていた。
今回、2回目の転倒である。危なかった。
 後続のKさんは相変わらずル−トの選択がうまく転倒することなく降りてきた。
行程中最後の小山を北側に巻き、ブッシュ多き次の小山に登ったところ、根開きの中に
”羽倉山1060m”の看板があった。
来過ぎたことがわかり、鞍部にいた2人に降りやすい箇所を誘導してもらいながら戻った。
途中、かもしかのものと思われる楕円形の糞が大量に落ちていた。








ここから、千曲川に向かい尾根下りとなる。ブナ林は直径20cm程度の若木でみごとに揃っていた。
雪面にはオレンジ色の芽鱗がしきつめられ、美肌に黄緑の若葉、背景に青空と、
その色合いはすばらしく、いままでのブナ林の中で最も美しさを感じた。
反してブナ林内は、芽鱗がスキーのブレーキとなり滑り悪し。
  尾根を下り、東に張り出した小尾根に入り込み間違えに気づき進路変更。
ブナ林を抜け、尾根は裾広がりとなる。
方角を誤るととんでもない所に下りてしまうので、滑りやすい雪面ばかり選んではいられない。
地図を取り出し、方向の確認をする。
森宮野原のため池が見えれば、まずだいじょうぶである。
 遠く千曲川をはさんだ対岸の特徴ある山を目標に下山する。
杉の植林地に突入した際は、横に縦にと迷路からの脱出のようだった。
壷足で歩くSさんと変わらぬスピードである。
標高が下がるにつれ、雪は減りスキー滑走も限界に近づいてきた。
ようやく目標のため池に到着。
そこから100m下り、舗装道路にでた。スキーを脱ぎザックを降ろし、雪溶け水で顔を洗う。
 ぞうりに履き替えスキーをザックにつけ、森宮野原駅に向け歩きだした。
田んぼの雪溶けはすすみ、里の新緑は燃えるよう。
畦の蕗のとうは既に旬を過ぎ花となり、植えたであろう黄色のスイセンが咲いていた。
R117にでると、行きかう車の運転手がもの珍らしそうにスキーと大きなザックを背負った我々を
見ていく。そうであろう、この時期どこでスキーができるのかと思っているに違いない。
今シーズン、北信濃は19年ぶりの豪雪だったのである。
約1時間で飯山線の森宮野原駅に到着。
駅数にして7つの区間のスキーツアーであった。
日本最高積雪地点7.85mの標柱をカメラにおさめ、そして、駅前の食堂にてビールで乾杯。
「お疲れさま〜」

 今回歩んだルートが、信越トレイルとして今後整備される北方区間の一部である。
全てが整備されると全長約80kmほどになるという。
 今春、その半分である斑尾高原から牧峠までが整備完了し道標も設置され歩きやすくなった。
歴史ある多くの峠をもち、美しい自然に恵まれたこの県境トレイルウオーキングを登山愛好者にお勧めしたい。

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