セルフデイスカバリーアドベンチヤー
マウンテンランペアマッチレース・イン・白馬
2004年10月3日(日) 曇りのち雨
成績 10位/20チーム 所要時間 6時間57分 22km
第1ステージ 5km
白馬村ジャンプ台→ 八方池山荘 区間順位
6:00 7:26
13位
第2ステージ 7km
八方池山荘 → 唐松山荘 → 五竜山荘
8:41
9:13
10:29 11位
第3ステージ 5km
五竜山荘 → 小遠見
10:44 11:51
10位
第4ステージ 5km
小遠見 → 五竜スキー場
12:06
12:57
6位
スキー場のリフト下をあえいで登っているときに相棒が笑いながら言った。
「何故、高い参加料を払ってまでこんな苦労しなければいけないんだろう?」
「本当にそうだな〜〜」と私。
7時間後、相棒は
「1年に1回、こういうレースに出ないか!」
「う〜〜〜〜〜〜ん????・・・・・・うん!」
相棒は2歳下の従弟で、小学校の校長先生をしている。髪は薄いがマラソン体型をしておりいかにも早そうである。
事実、あらゆるランニング大会に参加しており、フルマラソンはもとより、
24時間で何km走れるかというエコカーまがいの大会にも出て、好成績を収めている。
彼からこの大会に誘われたのは7月のことである。
そのとき私は昨年のハセツネCUPにおいて、“38kmでリタイア”の雪辱を果たすべく、今年も参加を決めていた。
一昨年の19時間での完走がまぐれでないことを実証したかったのだ。
・ ・・がしかし、私がこのペアマッチレースの参加を断ると従弟がレースに参加できないことになる。
なぜなら、ペアが参加資格であるから。レースはハセツネCUPの1週間前であり、両方に参加するほど体力も財力もなし。
1つに絞らねばならない。
従兄弟同士でチームを組むことはそうあることではないし、ましてやアドベンチヤーレースともなれば
チャンスも少ない。私は1ケ月後に、従弟に参加の旨を伝えた。
チーム名はカズンズ。
家を出たのは3時半、夜明けはまだまだである。真っ暗闇で天気が良いのか悪いのか全くわからない。
自宅から集合場所の五竜遠見スキー場まで車で50分。途中の公衆トイレで用をすます。
参加者は5時までに受付を済ませ、主催者手配のマイクロバスでスタート地点の白馬ジャンプ台まで送ってもらう。
駐車場でもてあました時間をストレッチでつぶす。夜も明けてき、他の参加者の様子もみえるようになった。
他の人のザックの大きさが気になる。私のザックが一番重そうに見えるのだ。
私は登山者、他の人はランナー。そんな感じである。標高2600mまで登るのである、悪条件を想定すると
次々装備が増えてしまったのだ。
ザックはハセツネ同様のミレーの28リットル。中にはポンチョ、ヘッドランプ、レスキューシート、テーピング、
ナイフ、ホイッスル、コンパス、地形図、ゴアのヤッケ、非常食が入っている。
水は1リットル、チューブ付き。アミノ酸飲料500ccのボトルは外に出す。
体力が勝負と考え、朝の3時に家で御飯を2杯、そしてこのスタート地点で稲荷寿司3ケ、バナナ1本を食べる。
胃は難なく受け入れる。相棒は「そんなに食べて体が重くならないか?」と心配するが、これが私流なのだ。
参加者リストをみると、どうやら我がチームカズンズが最高年齢チームのようだ。2人合わせて100歳を越え、
私が最高齢。なんとも言いがたし。
私には長時間歩くと筋肉がつる“持病”がある。単なる練習不足かもしれないが、ハセツネCUPのリタイアもそれが原因であった。
3週間前に下見で、唐松に登ったときも太ももがつった。今回、友人にアドバイスを請い、食べ物対策をした。
5時55分、スタート5分前である。スタッフの話によると唐松付近は晴れているとのこと、一瞬雨具を置いて軽くしようかと
思ったが・・・万が一を考え、思いとどまった。
第1ステージ (白馬ジャンプ 〜 八方池山荘)
6時、スタートのホイッスルが鳴った。
最高地点2600m、標高差1800m、温度差10度 レースの始まりである。
案の定、全員小走りである。私は早歩きに徹する。稜線に出て、余力があったら走るつもりであった。
ランナーである相棒は坂道も走り、どんどん相棒でなくなっていく。
始めは林道をたどり、しばらくして案内標識(大型の赤色の矢印板)はスキー場の直登ル―トを指していた。
朝露で足もとが濡れる。数珠つなぎとなるもあえて深い草地に入り抜く人もいない。あたり一面紅葉のはずだが
周囲は霧に覆われ何も見えない。
リフト1本分を登ると、車1台が通行できる舗装道路に出た。道筋は最大傾斜線をたどっており300mぐらい続いている。
早くも塩分たっぷりの“奈良漬け”を2切れ口にいれ、水分補給もする。
目の前に数チームいるのだが、抜くに抜けない。かなり苦しい。
女女ペアに「相手の方は?」と聞かれるほど相棒と差がついてしまった。
「相棒はランナー、私は登山者。ワッハハハー」自分の遅れをごまかす。この笑いさえ苦しかった。
ようやく兎平に到達したが、先行く人が見えず標識も見えない。不安とあせりが少々。
しばし立ち止まり、耳をすましたら熊鈴の音が聞こえたのでその方向に早足で進んだ。
後続のチームはルートがわかるだろうか?と心配もする。
リフト下を直登中、リフトがいきなり動き始めた。もう運行開始時間なのだ。
登山者はこのリフトを利用して八方池山荘まで上がってくるのである。
急登を休まず登り第一ステージ終了の八方池近くになって相棒に追いついた。
お互いほっとした。
所要時間は1時間10分。下見の時より20分以上早い。しかし順位は後ろから数えた方が早かった。
ここで15分の強制休みをとる。八方池山荘前でチーズを食べ、記念撮影をする。
1番乗りの登山者がリフトから降りてきた。大きなザックと重そうな登山靴をはいている。
身軽な私たちと同じ山にいくとは思えない。私たちの装備が異常なのである。
第2ステージ (八方池山荘 〜 唐松山荘 〜 五竜山荘)
スタートコールで集合、再出発。ここから唐松山荘までのルートは記憶が新しくスタミナ配分も心得ている。
2又のルート選択で1チーム抜いたようである。
八方池にて白馬鑓、杓子の雄大な姿をバックに下山中の登山者にシャッタ−を押してもらう。
どんより曇っているものの左手には長い五竜遠見尾根も見える。
そして相棒がカメラをしまっているあいだに、遅れ気味の私は先行する。三者には非情にみえるだろうがそうではない。
唐松山荘までのルートを知っている私は、相棒を牽引する。第一ステージとは逆である。
前後に2、3チームがいてちょっと気をゆるすと抜かれてしまう。みかねたのか、相棒が先頭になった。
下山中のパーテイも多くなり、あいさつをかわすのもめんどうになってきた。
唐松山荘まであと10分足らずの地点で、私が先頭となる。
唐松山荘前には2人のスタッフがいて「これからのルートは岩場や鎖場が多いので、十分注意してください。
楽しんでください!」とエールを受ける。
やや冷たさを感じる手に皮手袋をつけた。「注意しながら楽しむ。」なかなか難しい・・・なんてことを思いつつ
早くも鎖場に直面。ここから、五竜山荘までは標高2600mの未経験ルートである。なんとなくワクワクする。
岩場は戸隠の蟻の塔渡りと比べると怖さはない。
途中の鎖場で、もたついている女女ペアを抜く。鎖場でなければ抜けない、こんな所でしか追い越せない我々が情けなくなる。
女性1人はかなりおびえている。下界であれば、さっそうと走るのであろうが・・・・。お気の毒。
右手には立山、剣の連邦が見え壮観である。
行き会った青年が「レースだそうですね!普通に歩いても五竜遠見には着きますよ!」
と言いながら道をゆずってくれた。「なぜ?走るの?」とたずねられたような気がした。
山荘から私が先行し、相棒に「休もう〜〜!」と声をかけられるほど快調であった。どうやら標高の高い所は私の体に合っているようだ。
小石のゴロゴロする急坂を走り降り、また登り返す。中途で腰を下ろし、おやつを食べている間に先ほどの女女ペアに
抜かれてしまった。うさぎと亀である。
おやつもそこそこに、重い腰を上げ後を追った。振り返ると100m後方にも他のチームが迫っていた。
少しでも平坦、下り坂があれば彼女らは走り、離されまいと我々もくいさがる。
休憩後は、相棒が復調したらしくどんどん先をゆく。私はついていくのがやっとである。
各々、リズムがあるようだ。
五竜山荘が「見えた!」の声で安堵感からか、相棒との差は50mにもなった。
五竜山荘には、女女ペアとほぼ同時刻にゴールした。4人中、もちろん私はビリである。
第2ステージ終了。相棒は缶ビールを買いに山荘に入っていった。
飲まないかと誘われたが「疲れがでるから、やめておく」と断ったものの、意志の弱い私はつい一口、飲んでしまった。
まさに至福の一口である。
相棒は、携帯を取り出し、自宅の奥さんに電話をかけようとするがつながらず、圏外だとボヤイテいた。
「ここは長野県!」とチャチをいれたが笑いはなかった。八方池山荘前では、状況報告できたのだが・・・・・
ここでも五竜を背景に記念写真を撮る。15分の強制タイムはよいものである。
第3ステージ (五竜山荘 〜 小遠見)
氷砂糖を2ケ口に含み、再々スタート。次のチェックまでは全線下りである。そんなに体力はいらない。
我々は、この下りで女女ペアを引き離すことをもくろんでいた。1人が、かなり疲労しているようなので可能であろうと確信。
大会前、お互い「俺は下りは早いんだ!」と言いあっていたのだが、確かに、休むことなく走り続ける相棒の走力はすごかった。
本当に校長なのか?体育の教師ではないのか?
14kmに及ぶ五竜遠見は八方尾根と違い、樹林が多く紅葉がきれいである。青空がバックなら更に、黄色、紅色が映えたであろう。
雨具をしっかり着込んだいくつかの中高年グループに道をゆずってもらい、もくもく走った。
3、4回あった登り返しは、とても走りきれず歩いた。ただ、道をゆずっていただいた場合はその視界から消えるまで
走り通した。それが礼儀のような気がしたのである。追い抜きさまにすぐ歩いてはゆずってくれた方に申し訳ない。
大遠見を通過したあたりからポツリポツリと雨があたりだした。ザックを下ろし、帽子をかぶる。
これ以上、強く降らなければいいんだが・・・・と願いつつ。
最後のチェックポイントである小遠見についた。
スッタッフのほかに男男ペアが休んでいた。相棒は私の顔をみて小声で「追いついた!」の一言。思わずお互いニヤリ。
小遠見は小山の僅かなスペースである。一般登山者が数人休んでおり、その合間に寒そうにスタッフ2人が待ち構えていた。
何時間も動かずいるのだから、ご苦労なことである。我々はスタート時に渡されたカード2枚にゴール時刻と15分後の時刻を記入して、
1枚を渡す。残り1枚は私たちの控えである。
腰をおろして、カロリーメイトを食べる。スポーツ飲料は既に空になっていた。
10分もたたないうちに、強豪女女ペアが到着。かなり離したつもりであったのだが・・・・
「枝でやぶれちゃった!」と女相棒にタイツのヤブレを指し示していた。私に見なさいと言ったわけではないのだが、
目の高さがそのやぶれたタイツの太ももである。私はチラリと見て「テープがあるよ!」とテーピングをザックから出して貸してあげつつ、
また太ももに目がいった。
第4ステージ (小遠見 〜 五竜遠見スキー場)
小遠見からスキー場までの最終ステージである。
小雨の中、出発。
1分先にスタートした男男ペアに5分ほどで追いついた。足音をききつけた2人はすぐに道をゆずってくれた。
もう走る気がないようだ。最高齢ペアの私たちが異常に順位にとらわれているのかもしれない。イヤそんなことはない。
レースに参加したのだから、順位、所要時間、を気にしない参加者はいないはずだ。
ようやくスキー場が見えてきた。赤い矢印板が3枚林立しており、「どっちへ行くんだ!」と、とまどう。
見通しが悪く、不安であった。
ルートは高山植物園を迂回して林道に向かっていた。4輪駆動でも登れないほどの荒れた下り坂が続き、
ひざの負担が大きく、かばって歩く。相棒は、尻の筋肉が痛いがひざはなんともないという。
やっぱり私は練習不足である。
林道はスキー場からかなり遠ざかり、再びスキー場に入った。前方にはゴンドラが見える。
緩やかな坂道を大きく右カーブするとゴンドラケーブルの先に、大きな建物がうっすらと見えた。
小雨ふる見通しの悪い中で、およそ500mぐらいであろうと推測をする。
「あれがゴールかな〜〜?」
「どうする?・・・・走る?」あと8分で7時間経過である。
「いつもキロ何分で走る?」
「6分かな〜〜〜?」
「エッツ?そんなにかかる?」
「小布施のミニマラソン、約2時間だったからな〜〜」
「でも、キロ6分なら3分でゴールできるゾ!」
「よし、わかった!走ろう!」
まっすぐ、草地をいけば早いのだがと考えながらも砂利の道をひた走り。
ウオータージャンプをする若者の声援を左側から受け、もつれる足をフル回転。
ゴールにはスポンサー名のはいった幕が何枚か飾られ、スタッフのコールも聞こえる。
やった〜〜〜。6時間57分。7時間を切った。
かくしてアドベンチュアーペアマッチランは終わった。
曇りから雨に変わったレースであったが、程よい距離で十分楽しむことができた。
午後2時から雨の中、表彰式が行われた。上位3チームには豪華賞品が授与されたが、
最高齢チームにはな〜〜んにもなかった。
これがレースである。
1年に1回、このようなレースに出よう!
※ハセツネカップの最終行程で19時間を切る意識をもったのはゴール手前6kmであった。
その結果、6kmの間に13分の短縮はできなかった。単独であるが故か?限界であったのか?
やはり、ハセツネカップは過酷な耐久レースである。
[注] ハセツネカップ
長谷川恒夫CUP(日本山岳耐久レース) 71.5km 24時間制限