柿本人麻呂 |
脚光を浴びる小菅神社と集落宗教都市としての小菅を探る! 2003年から始まった小菅修験遺跡総合調査 信州大、東京大、筑波大 |
遡るは神仏融合時代 629〜641年 小菅神社は八所権現と称し 岩窟に8つの神様を奉る! 8つの神様とは? 熊野、金峰、白山、立山、山王、走湯、戸隠の7つの権現と馬頭観世音 |
北信濃の三大修験霊場 |
(戸隠、飯綱、小菅) |
年譜 | 以下小菅神社誌抄による |
680年 | 役小角(”えんのおづぬ”と読むらしい)が開祖 白鳳8年 |
806年 | 坂上田村麻呂が八所権現の本宮と加弥吉利堂を再建 |
800年代 | 上・中・下の院36坊 修験者僧侶 300人余 |
1160年 | 京都禅林寺の(若王子神社)の庄園に属す |
1197年 | 源頼朝が参拝。社領700貫文を寄進 |
1357年 | 小菅寺合戦 |
1366年 | 火災により神殿仏閣消失 |
1388年 | 再建 |
1541年 | 上杉謙信が現在の建物を再建 (天文11年) |
1557年 | 春日山城主 上杉謙信、戦勝祈願文を納める |
1595年 | 伝”上杉景勝が出羽米沢移封に際し、八所権現も移される” |
1604年 | 徳川将軍の命により大久保石見守長安が僅かに再興 |
1869年 | 神仏融合の禁令におより諸仏、什宝を菩提院に移す。(明治2年) |
. | 八所権現を八所大神と改称 |
1900年 | 小菅神社と改称(明治33年) |
1946年 | 政令により社格廃止される(昭和21年) |
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