協奏曲

Violin

50. バッハ ヴァイオリン協奏曲第1&2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲
シェリング、ヴィンタートウール音楽院合奏団 PHILIPS 筆者にとってバッハとシェリングはパルティータ以降、不即不離の関係にある。バッハの音楽はバッハの音楽として感じさせて欲しいのだ。しかも端正でありながらもパルティータの時とは幾分異なってこのコンチェルトの柔らかで伸びやかなこと。ここではシェリングは指揮も兼ねている。


41. ベートーベン ヴァイオリン協奏曲
ハイフェッツ、ミンシュ、BSO RCA 言わずと知れた名演。ハイフェッツの自由闊達な演奏を堪能する盤
オイストラッフ、クリュイタンス、フランス国立O EMI ダヴィッド・オイストラッフの堂々とした実に風格のある演奏。クリュイタンスの伴奏も例によって実に素晴らしい。


44. ブラームス ヴァイオリン協奏曲
メニューイン、フルトベングラー、ルツエルン音楽祭O EMI この尋常ではない高揚感、躍動感は何だろうか。音楽そのものが生き生きとして踊っている。メニューイン自身が尊敬するフルトベングラーの棒の元で演奏できることがうれしくて堪らない。そんな雰囲気が音楽に如実に表れている。演奏行為の意味を考えさせられる盤でもある。
クレーメル、カラヤン、BPO SER オイストラッフの弟子、クレーメルのまだ若い頃の演奏。まだまだ若いのに風格十分の演奏を聴かせる。クレーメルは後にバーンスタイン、アーノンクールとも録音しているが、ここでは一番若かった時の録音を取りたい。


45. ブルッフ ヴァイオリン協奏曲
チョン・キョン・ファ、ケンペ、RPO DECCA この曲もチョンだ。チョンの演奏というのはいつもみずみずしい。最近女性ヴァイオリニストも増えてきたが、これほど力強く尚かつ、みずみずしさにあふれる演奏というものはなかなか得難い。円熟の新盤よりも初々しさのこちらの方を取る。


212. ラロ スペイン交響曲
グリューミオー、ロザンタール、ラムルーO PHILIPS スペイン交響曲と言えばグリューミオー、グリューミオーと言えばスペイン交響曲という図式が出来ているのは筆者だけなのだろうか。まだ17cmLP盤の頃からの印象が圧倒的である。しかも旧盤にしてもラムルーOであったので一層その印象は強い。ずーっとグリューミオーを聴いていたので、今他を聴いても駄目かも知れない。


230. モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第1番
グリュミオー、デイヴィス、ロンドンSO PHILIPS 1775年、5曲のヴァイオリン協奏曲中、唯一♭系、唯一オーストリア様式に基づいているものである。その分非常に興味がある。グリュミオー盤で聞いてみたい。


231. モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第2番
グリュミオー、デイヴィス、ロンドンSO PHILIPS 1番とは異なって2番から5番まではフランス風のスタイルをとっているが、その中でも2番はソロとテュッティの図式的交代や管の軽視など、単純さの点では第1番よりも目立ち、従って第3番以降の作品とも異なっている。グリュミオーはフランコ=ベルギー派の代表的なヴァイオリニストであり、スケールの大きな優美な演奏で、絶大な人気を博している。


232. モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第3番K.216
クレーメル、アーノンクール、VPO DG 典型的なギャラントスタイルを見せる3番であるが、この曲を現代ヴァイオリン界の鬼才クレーメルと、古楽のスペシャリストアーノンクールが組んだこの演奏は非常に鋭利で透徹したヴァイオリンと折り目正しいオーケストラの競演である。


233. モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第4番
グリューミオー、デイヴィス、ロンドン響 PHILIPS 冒頭の雄壮な始まり方から「軍隊的」もしくは終楽章のミュゼット主題から「シュトラスブルク協奏曲」とも呼ばれるこの4番は冒頭主題は展開部でも再現部でも顔を見せず、又第2楽章も展開部を欠き、といったような非常に自由な構成となっている。グリュミオーの音色の美しさはまさに絶賛に値する。
クレーメル、アーノンクール、VPO DG モーツアルト19才の若さをそのままに、鮮烈かつ創造的に解釈し演奏する4番は実に爽やかである。


234. モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第5番K.219「トルコ風」
クレーメル、アーノンクール、VPO DG モーツアルトのヴァイオリン協奏曲の中では最も有名なモノ。1回聞けば忘れられないものとなるだろう。特に題名にもなっている第3楽章の「トルコ風」主題は鮮烈な印象を聞き手に与える。そんな曲想に全くピッタリなのはやはりクレーメル、アーノンクール盤であろう。切れば血が噴き出すほどの鮮烈な演奏である。実に面白い。


42. メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
ハイフェッツ、ミンシュ、BSO RCA 録音は確かに古くなっているが、ハイフェッツここでも素晴らしい演奏を聴かせる。音色の良さではまだ他にいると思えるが、これほどの技巧を持った人はなかなか出てくるものではないと思える。永遠の名盤。
チョン・キョン・ファ DECCA チョンの実に若々しくみずみずしい演奏。どことなく青春を感じさせるこの曲もどんどん新しい人が出てきてもいいと思わせる。どうしてか余り評価されない。


46. パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番
メニューイン、エレーデ、RPO EMI メニューインがまだまだ若い頃の演奏。とはいえフルベンとのブラームスの頃よりは当然新しいが。神童メニューインもテクニックにムラがあり不安定であると批評家に指摘されてから、伸び悩んだ。パガニーニだからテクニックという考え方自体がおかしいのではないか。とこれを聞いていてふと感じた。


47. パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第2番
メニューイン、エレーデ、PRO EMI これ又メニューインの演奏。1番とのカップリングである。カンパネラ。今でこそ全曲通して演奏されるようになったが、これはエネスコ、メニューインの影響によるところ大である。敢えて技巧派で無いものをここでは選択した。


49. サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調Op.61
チョン、フォスター、LSO DECCA チョンは天性のヴァイオリニストだ。冒頭からその気迫の激しさに圧倒される。こうした情感の激しさ、強さというものはまさに女性ならではのものであろう。こうした演奏をされると男はたまったものではない。
フランチェスカッティ、ミトロプーロス、NPO SONY 名盤が幾つかある中でもチョンを除けば、フランチェスカッティのものが群を抜いている。サンサーンスの洒脱さとフランチェスカッティの洗練された感覚が見事にマッチした例と言って良いだろう。


48. シベリウス ヴァイオリン協奏曲
オイストラッフ、オーマンディ、PO SONY オイストラッフはこの曲を得意としていて3度録音しているが、solo、オケ共に良いのがこのオーマンディー盤である。最近はオイストラッフ自体評価が落ちてきているが、もっともっと評価されても良いのではないか。
チョン・キョン・ファ、プレビン、LSO DECCA チョンの情熱溢れんばかりの演奏は聞くものを圧倒する。チャイコフスキーもいいが、このシベリウスも良い。こちらの方はさすがに高く評価されている。


43. チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
チョン・キョン・ファ DECCA この曲だけはチョンを第1位に挙げたい。チョンの感性とこの曲が実にマッチしている為かも知れない。チャイコフスキー節をトコトン聴かせてくれるのがチョンだ。
ハイフェッツ RCA ハイフェッツはいわば直系であり、それ故に今でも、不滅の名盤として挙げられることが多いが、その技巧もこの曲にはちょっと合わない気が私はしている。ロシア人ハイフェッツ。しかし、彼の演奏はハードボイルドに過ぎると感じてしまうのは私だけか?


176.ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「四季」
イムジチ、アーヨ PHILIPS 何年間(何十年間?)に渡ってベストセラーであり続けた驚異的な盤、トスカニーニをして絶賛せしめたモノラルによるもの、ミケルリッチによのであった。今でもその輝きは失せてはいないだろう。
アーノンクール、ウィーン・コンツエントウス・ムジクス TELDEC 美しさというものを破壊するようなこの演奏は非常に衝撃的なものであった。その実、その描写力は見事なもので、聞き慣れたこの曲を見直す絶好の機会となった。
カラヤン、BPO DG 磨きに磨き上げられたベルリンフィルの弦を中心とする「四季」は、明るい陽光のイタリア生とは全く異なるカラヤンの美学からなるものではあったが、こんなアプローチも面白いと感じさせるものであった。
ミュンヒンガー、シュツットガルト DECCA イムジチが日本に入る前に先ず最初に入ってきたのがこのミュンヒンガーの「四季」であった。まさしくこれはイタリア産ではなくてドイツ産である。同じ楽譜からこんなにも異なる響きがと比較対照して聴くのに全く面白い盤である。ドイツ生まれであるが、これはこれで名盤である。


177. ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「調和の霊感」
イムジチ、ミケルリッチ PHILIPS ヴィヴァルディの初期のヴァイオリン協奏曲集である「調和の霊感」もまさに非常にインスピレーションに満ちた作品群である。アーヨに比べてもっと音が柔らかいミケルリッチを主とするこの演奏も、どの曲集をとってみても面白い。又、後出の「和声と創意の試み」に比べ、若い頃の様々な試みや実験も見られて、ヴィヴァルディの全体像を探るにも非常に面白い。さすがイムジチの演奏であり、いつ聴いても飽きることがない。又、こちらを明るい気持ちにしてくれるだけでも嬉しい。


178.ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」
イムジチ、アーヨ PHILIPS NO.1−NO.4の有名な「四季」を含む全12曲のヴァイオリン協奏曲集。「調和の霊感」より一層の技巧の冴えを見せる。「四季」で見せてくれたイタリアの陽光いっぱいの演奏、アンサンブルの素晴らしさをここでも楽しみたい。



cello

142. ドボルザーク チェロ協奏曲
ロストロポービッチ、カラヤン、BPO DG ロストロポービッチとカラヤンががっぷり4つに組んだ演奏。カラヤンにはこのように巨匠と組んだ演奏というのはあとリヒテルくらいしか思い当たらない。正に火花散る演奏と言えるだろう。
フルニエ、セル、BPO DG ロストロポービッチとは対照的なセルの格調高い典雅な演奏。どっちがどっちとは言えないものだ。出来れば2枚とも揃えておいた方が良いだろう。
デュプレ、チェルビダッケ TELDEC ライブであることの特性も多分にあるのだろうが、第1楽章の始めから、正に入魂の演奏。再現部直前のあの圧倒的なグリサンドとその後のテーマの回帰は私が一番震撼されたもの。ゆったりとしかも朴訥に、これほど私はこのテーマを身近に感じたことはありません。ロストロもフルニエもまだまだ都会的。そのようにわたしはこの曲に関して感じていたのでしたが、デュプレを通じて、ドボルザークの心の内を、鄙びた心を、永遠に回帰していく心を感じました。「ああ、そうだったのか、きっとそうだったに違いない」とドボルザークの心に急接近していく自分を感じ取ることが出来ました。チェロ一挺のソロだからこそ、あのような歌が可能だったのかも知れません。又、それだけにその後のオケのテュッティもそれと対比して生きるように感じました。CDジャケットのデュプレもただひたむきに生きる田舎娘、どこにも存在する一個の存在。ただそれが、猛烈にひたむきに感じられ、非常に身近なものと感じられると同時に又、あまりにも切なくもあるところです。ここら辺はヴィデオ映像ともオーバーラップするところでもあります。どうも感情移入が過多になってしまったような気もします。


143. ハイドン チェロ協奏曲1番&2番
ロストロポービッチ、アカデミー室内O EMI ロストロのハイドン。非常にきっちりとした演奏ではあるが、古典の枠組みの中には入り切れないロストロポービッチも覗けて楽しい。もし、マリナーが棒を振っていたのなら、どうなっていたのか、創造するのも楽しい。卓越した技術もさることながら、ロストロポービッチにはやはりロマンがある、歌がある。特に有名な2番の方はモーツアルト的愉悦を感じることができる。
デュプレ、バレンボイムイギリスCO<67>(1)&バルビローリ、LSO<67>(2) EMI 天才は夭折する。余りにも早くこの世を駆け抜けていってしまったジャッキーのハイドンの1番&2番。短い人生を惜しむかのように激しい気迫と卓越した技巧で圧倒的に迫る。バックも良くここでもデュプレは最高の出来。


264. サン=サーンス チェロ協奏曲第1番イ短調Op33
デュプレ、バレンボイム、ニュー・フィルハーモニア<68> EMI このサンサーンスに関しては全体的な印象としては TELDEC 盤よりはEMI盤の方を取りたい。というのもこの曲自体が非常に洒落たintimateなものであり、それだけにライブよりもスタジオ録音の方がが落ち着いていて好ましく感じられるからである。2楽章の愛らしいワルツなど最高。しかし、この曲短いのだけれど、弓運びなどかなり難しいのではと感じられます。
デュプレ、バレンボイム、フィラデルフィア<71> TELDEC ↑そうは言ってもTELDEC盤は彼女の最後のコンサートライブでもあり、又、夫バレンボイムがジャッキーのために特別に注文したチェロがフィラデルフィアのメーカーより1970年11月のエルガーの協奏曲の初日にプレゼントされ、彼女はストラディバリウスよりもこちらの方を採用して、この録音でもそれを使っているとのこと。ジャッキーファンにはたまらない1枚であると思います。


279. シューマン チェロ協奏曲イ短調Op.129
デュ・プレ(VC)バレンボイム、NPO<68> EMI デュ・プレの総ての録音の中でも屈指の名盤にあげられるもの。デュ・プレは全身全霊を傾けてこの曲に対峙し、バレンボイムがそれをよくサポートしている。これ又、天才にしかなし得ない演奏の一つである。



Piano

152. バルトーク  ピアノ協奏曲1番&2番
ポリーニ、アバド、CSO DG ポリーニがショパンやベートーベンの曲を連続的に出したあと、出したのがアバドと組んだこのバルトークのコンチェルトであった。この秀演の基礎にあるのはやはりポリーニの技であろう。卓抜なピアニストでもあったバルトークも正にそうしたものを要求していただろうし、そういった意味合いにおいて、これは相思相愛の理想的な演奏といえるだろう。又、これを超える演奏というものもなかなか簡単には現れないだろう。


51. ベートーベン ピアノ協奏曲第1番
バックハウス、イッセルシュテット、VPO DECCA バックハウスには若い頃ベームと共に録ったものも全集としてあるが、残念ながらモノラル。ステレオでいい音で聴きたいとするならばやはりこのウィーンフィルとのものが最高。


52. ベートーベン ピアノ協奏曲第2番
バックハウス、イッセルシュテット、VPO DECCA イッセルシュテットは指揮者としても優れているが、こうしたコンチェルトにおける伴奏指揮者としてもその才能を十分に発揮する。そしてこの頃のウィーンフィルの音、響きが堪らなくいい。有名な3番以降は当然のこととして、この1番、2番においてウィーンフィルというのが、正にぴったり合っている。


53. ベートーベン ピアノ協奏曲第3番
バックハウス、イッセルシュテット、VPO DECCA ショパン弾きでベートーベンを弾く人はあってもベートーベンを弾く人がショパンを弾くとは思えない。少なくともバックハウスではそんなことは考えられない。ソナタであれ、コンチェルトであれ、バックハウスはやはりベートーベンなのだ。後、ブラームスを弾くことはあっても。そんなところにこそバックハウスの特徴はある。無骨、雄渾、深み。


54. ベートーベン ピアノ協奏曲第4番
バックハウス、イッセルシュテット、VPO DECCA どちらかと言えば5番よりはるかにこちらの4番の方を聴くことが多い。その優しさにリラックス出来るからだろうか?優雅であり又繊細でもある。ベートーベンにおける優しさとは?ふっと考えさせる問題でもある。こうした曲に於いて、又他の曲における緩除楽章に於いてもバックハウスは実にゆったりと沈潜させてくれる。そしてそうしたところからこそベートーベンの洒脱さも生まれてくると思えるのだ。この曲におけるウィーンフィルも実にいい。


55. ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
バックハウス、イッセルシュテット、VPO DECCA バックハウスと言えばこの曲が一番ぴったり来るのかも知れない。まあ、私が一番最初に購入したLPがバックハウスだったからかも知れないのだが。しかし、ウィーンフィルとの夢の競演。これほど豪華絢爛、雄大無辺なエンペラーというのはなかなか無いのではないだろうか?音においても、響きにおいても。これをもし実演で聴くことが出来たらどんなにか素晴らしいことであったろう。
フィッシャー、フルトベングラー、PO EMI モノラルではあるが、これを挙げない訳にはいかない。この盤を聞くと改めてベートーベンの演奏というものを考えさせられる。ステレオではあっても昨今の不甲斐なさを・・・・。互角にベートーベンと向き合うフィッシャーとフルトベングラーである。


190. ブラームス ピアノ協奏曲第2番
バックハウス、ベーム、VPO DECCA バックハウスのベートーベンはどれも皆素晴らしいが、このブラームスも良い。ブラームスの場合は音色が更に分厚く重厚になるが、ベーム、VPOとの共演でそこに見事な構成、華やかさが加わった。実にゴージャスな演奏である。当分これ1枚でいいかな?ちょっと他にはなかなか良いのが見つけられないのある。


59. ショパン ピアノ協奏曲第1番
アルゲリッチ、アバド、LSO DG アルゲリッチ、これほど情熱的でたくましい女性というのもいないのではないかと思わせます。勿論ピアノの演奏上のことですけども。そのアルゲリッチのショパン、彼女にとっては曰く付きのこの曲は最近ようやく当時のCDが発売されましたが、ここでは若い時のそれよりも、solo、オーケストラ、演奏、全体的にバランスの取れたこの盤を挙げます。オーケストレーションが貧弱なこの曲もアバド、BPOによってうまく聴かせ、アルゲリッチのピアノと共に、青春の危うさ(と私はこの曲に対して勝手に感じているのですが)が、そこここに聞こえる(見える)逸品となっています。不滅の名盤。
リパッティ、アッカーマン、チューリッヒ・トーンハレO EMI 録音も古く音質も良くないが、この曲を知るためには是非聞いておかなければならない必聴盤。若くして亡くなった天才リパッティがこの青春の讃歌を、その繊細さと若さの持つエネルギーを充分歌い上げている。


58. グリーグ ピアノ協奏曲
リパッティ、ガリエラ、PO EMI 録音はどんなに古くともこれでなければという演奏もある。ノルウェーの作曲家グリーグの弱冠25才の時の作品。しかし後のグリーグを予感させるような、或いは北欧独特のメランコリックな旋律がリパッティの情熱的な演奏によって狂おしい世界を紡ぎだしている。そして玲瓏なリリシズム。なかなかこれを超える盤は出てこないかも知れない。
カーゾン、フィエルスタード、LSO LONDON シュナーベルの弟子カーゾンは驚くほどの録音嫌い。そのために残されているものも少ないが、このグリーグもその一つである。誇張もなく虚飾も無いその演奏は曲そのものに総てを語らせ、格調高い。ステレオ


60. リスト ピアノ協奏曲
リヒテル、コンドラシン、LSO PHILIPS これもリヒテルが最上と感じます。リストもどちらかといえば技巧が勝ってる音楽のように言われますが、この盤を聞いて、認識を改めました。リヒテルも今は忘れられがちな存在となっていますが、バッハ、リスト、チャイコフスキーとやはり大家。巨匠の風貌。聞かせてくれます。
アルゲリッチ、アバド、LSO DG ショパンのピアノ協奏曲とカップリングされているので、これはお得な一枚。しかし、アルゲリッチという人は大した人です。ショパンであれ、リストであれ、確実に自分のものとして、十分に伸び伸びと歌い上げる。強靱さと繊細さ。


56. モーツアルト ピアノ協奏曲第20番
クララ・ハスキル、マルケビッチ、ラムルーO PHILIPS これは世紀の名盤だから殆ど何もコメントすることはないだろう。世にモーツアルトファンは沢山いる。しかし演奏する側に立つと、モーツアルトというのはなぜ、こんなに難しいのだろう。ここに演奏行為の難しさと楽しさがある。技術がどんなに完璧であってもモーツアルトとは言えない。モーツアルト弾きに女性が多いのと無縁ではなさそうな気がする。基本がしっかりした上での自由闊達。変幻自在、融通無碍。永遠に男は精神を解放出来ないのかしらん。
ペライア、イギリス室内O SONY ハスキルを聞く前は、これで充分だった。今だって良い演奏をしていると思う。音楽を聴くか、演奏を聴くか等と簡単に言うけれど、演奏する側にとってみれば、常に音楽を意識しているのに・・・・。


226. モーツアルト ピアノ協奏曲第23番
ゼルキン、アバド、LSO DG モーツアルト30才の作であると言えば、一般的には未だ熟せずの感ありだが、モーツアルトの場合だから事情は全く異なる。もう巨匠の風貌と言って良いだろう。先ずはゼルキン、アバド辺りから入られることを勧める。


227. モーツアルト ピアノ協奏曲第24番
クララ・ハスキル、マルケビッチ、ラムルーO PHILIPS 例のハスキル20番とのカップリングである。別におまけという意味は全くなく、ハスキルの一途な思いが伝わってくるような演奏である。一体誰がこのような透明さを維持し得ようか。
ペライア、イギリス室内O SONY 筆者が初めて買って聞いたCDがこれであった。ペライア今では全く忘れ去られているが。


228. モーツアルト ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」
内田光子、テイト、イギリス室内O PHILIPS 1790年10月、フランクフルトで皇帝レオポルトU世戴冠の祝典の期間中にモーツアルトが演奏したのにちなんでこの名前が付けられた。木管の扱いなど以前のスタイルに逆戻りしているが、恐らくはモーツアルト自身が弾くように作られた華麗な独奏パートが素晴らしく人気がある。我々が内田光子の演奏でこれを聞くことが出来るというのも幸いである。


229. モーツアルト ピアノ協奏曲第27番
内田光子、テイト、イギリス室内O PHILIPS モーツアルト最後のピアノ協奏曲であり、終楽章のロンド主題は歌曲「春へのあこがれ」で同じモノだが、一つ一つのフレーズにモーツアルトの深い重いが込められ作曲されていることに我々は又、感銘を受ける。そのハーモニー、対位法の見事なこと。ピアノ協奏曲全集を完成させたモーツアルト弾き内田の面目躍如たる演奏である。
ゼルキン、アバドLSO DG ゼルキン80才の時の演奏であるため、あまり話題に上ることはない。しかし、老境に達してのゼルキンの演奏には穏やかな温もり、深みがあって良い。ちょうど年が30違うアバドも一番熟していた頃で、ロンドン響を相手に「春へのあこがれ」「来てくれないだろうか、愛する5月よ・・・・」良い音色を出している。


249. ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
アシュケナージ、ハイティンク、ACO<84> DECCA 秀才アシュケナージがここではその確実なテクニックを元にロマンティックでムードたっぷりのピアノを聞かせてくれる。ハイティンク・ACOのバックアップも素晴らしい。4番とのカップリング。
ラフマニノフ、ストコフスキー、フィラデルフィアO<29> RCA ラフマニノフの自作自演盤である。今となっては古い録音ではあるが自作自演の価値は充分にある。卓抜なピアノ演奏技術もさることながら、我々がのこの曲に対して抱く(ムーディーな)イメージを払拭させてくれる演奏でもある。
クライバーン、ライナー、シカゴ RCA 今は全く鳴かず飛ばずになってしまった政治に利用されたとしか思えない悲劇のピアニスト、バン・クライバーンのチャイコンに続く2枚目のリリースである。しかし、この演奏もメランコリックでいながら実によく歌う良い演奏であると思う。もう出だしの暗い部分から好きだった、何故だろうと思ったら、ライナー、シカゴだったというおまけ付き。


250. ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調Op.30
アシュケナージ、ハイティンク、ACO<85> DECCA これはアシュケナージの技・名人芸を聞くには恰好の盤であると思う。2番ほどにムードに傾いてはいけないからだ。アムステルダム・コンセルトヘボウの充実した響きも又、この曲には相応しい。
ラフマニノフ、オーマンディ、フィラデルフィアO<39> RCA 2番とのカップリングでこれはお買い得である。しかしこの早さはどうであろう。まだまだアシュケナージの方が情緒纏綿の趣がある。2番と共にラフマニノフの自作自演盤はまさにイメージ一新の目から鱗の盤である。


251. ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲Op.43
アシュケナージ、ハイティンク、ACO<86> DECCA やはりラフマニノフを聞くのにはアシュケナージが最も適しているのだろうか、それは勿論、アシュケナージはショパンも良ければリスト、ベートーベンも良い。しかしラフマニノフはラフマニノフ本人を除いてはやはりアシュケナージの独壇場だと思うのは私だけだろうか。この技巧の冴えや華やかさは実に見事なものである。ラフマニノフをも超えていると感じる。
クライバーン、オーマンディ、フィラデルフィアO RCA ここでもクライバーンを挙げておかなければならない。ただの歴史の一頁だけに留められるというのは実に悲しい話ではないか。クライバーンにだってクライバーンの音楽があるのだ。冷たすぎないか。


252. ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調
フランソワ、クリュイタンス、パリ音楽院O<59> EMI ラヴェルの面目躍如とも言えるこの曲にフランソワとクリュイタンスと言えばもう鬼に金棒。実に聞いていても清々しく、我々の精神そのものが一新される。「音楽とは斯くあるべし」と言うラヴェルの主張が明確に聞こえてくる。もうこれ1枚で後はいらないと思うのだが如何?「左手のためのピアノ協奏曲」も当然のことながらカップリングされているのでご機嫌の1枚である。


278. シューマン ピアノ協奏曲イ短調Op.54
リパッティ(p)、カラヤン、PO<48> EMI シューマンと言えばやはり真っ先に取り上げねばならぬのがこの演奏だろう。兎にも角にも他の演奏とは全く異なるのだから。このような演奏を他の人が真似しようと思ったって出きるものではない。確かにこれは天才にのみなし得る技である。
グルダ(p)、アンドレア、VPO DECCA シューマンのピアノ協奏曲の持つ幻想的、詩的な内容、独自なピアニズムを表現しうるもう一人の天才はやはりグルダだろうか。アンドレアは凡庸だがVPOの伴奏というのも良い。


57. チャイコフスキー ピアノ協奏曲
リヒテル、カラヤン、VSO DG これも歴史的名盤である。カラヤンはコンチェルトはどちらかといえば、若手とか自分の掌中にある人と行って、カラヤンのコンチェルトになる色彩が濃厚なのに、この場合は巨匠リヒテルとがっぷり右四つ。緊張感の漂う素晴らしい名演となった。1楽章はを除いて野暮ったさがあるこの曲もカラヤンのおかげで豪華絢爛な曲となった。
クライバーン、コンドラシン、SO RCA これはちょっと悲しい盤である。アメリカ人で初めてのチャイコフスキーコンクール優勝者バン・クライバーンは一躍時代の寵児となってしまった。音楽上のというよりは政治的に利用された感が強く、その後、ラフマニノフ、グリーグの曲を録ったくらいで泣かず飛ばずになってしまったのは非常に残念である。芸術家も商品。市場原理がここでも働く。



その他

187. ベートーベン 3重協奏曲
オイストラッフ、ロストロポービッチ、リヒテル、カラヤン、BPO EMI これもこれほどの巨匠達が滅多に揃うことのない名演。今後も恐らくは出ることは無いように思える、黄金コンビ。それだけに充分楽しめる。今、これだけの人たちがいないというのは誠に残念である。


225. モーツアルト 協奏交響曲変ホ長調K.466
ビュッヒナー(Vn)、シュミット(Vla)、リステンパルト、ザール室内O ERATO ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲というよりもその数が少ないためにヴィオラ協奏曲と言った方が良いような曲である。それにしても2楽章のこの美しさはどうであろう。昔、ラジオで流れてきた時、切ない思いにとらわれた。


235. モーツアルト フルート協奏曲第1番K.313&第2番K.314
ランパル、グシュウルバウアー、VSO ERATO 1番と2番とあるが2番はオーボエ協奏曲ハ長調からの編曲。これは筆者も昔練習していたことがあって愛着の深い曲。FMからオーボエで流れてきた時、あれっと思ったものだ。ランパルの響きは明るく雄弁、グシュウルバウアーの指揮も真摯である。


236. モーツアルト フルートとハープのための協奏曲K.299
ランパル、ラスキーヌ、パイヤール、パイヤール室内O ERATO この盤はもはや定番。というよりはこの盤あってのこの曲という気がするからだ。結婚のお祝い用に何組贈ったことだろう。卓抜なフルートとハープが醸し出すギャラントな明るく華やかなスタイルは、いかにも新婚家庭にピッタリの気がする。浮き浮きした気分は結婚披露宴開始前のお客の待ち合わせ時に使っても良い。(実は私の時に使った。(^^ゞ)


237. モーツアルト クラリネット協奏曲イ長調K.622
プリンツ、ベーム、VPO DG モーツアルトほど、木管特にクラリネットの扱いが巧い人はいないだろう。交響曲第39番のクラリネットなどまさに最高である。そのモーツアルトのクラリネット協奏曲。まさに空前絶後。これに勝るものはいまだに出ていない。プリンツの深い音色とベームの端正な音造り。VPO名手達のの響き。派手さがない分だけ名演となっている。


238. モーツアルト ホルン協奏曲全曲
ブレイン、カラヤン、PO EMI 不世出のホルン奏者、デニス・ブレインがカラヤン、フィルハーモニアOと録音したこの盤は天下の名盤と言えるだろう。36才という若さで亡くなってしまったのも天才ならではであろうか。「ホルンを吹く権利を持っているただ一人の男」と評されたその名人芸を充分に堪能していただきたい。
ザイフェルト、カラヤン、BPO DG ザイフェルトのホルンはブレインと比べるとよりドイツ的であろうか、名人芸を聞かせる演奏というのではなく、曲そのものに沿った演奏となっている。その分、この4曲を聞くにはまさにうってつけである。同じカラヤンであるが、フィルハーモニア時代とBPOでは基本的な解釈は変わらないモノの、音色的にはやはり異なる。


262 ロドリーゴ 「アランフェスの協奏曲」
イエペス、アルヘンタ、スペイン国立O<58頃> DECCA イエペスにこの曲の初演者であるアルヘンタ指揮の演奏。クラシックという枠を越えて広く親しまれている名曲であり、多くの人が耳にしているのもこのイエペスの演奏であろう。


297. テレマン トランペット協奏曲
クルト・レーデル、ミュンヘン・プロ・アルテ室内O、シェルバウム(TP) ERATO トランペット協奏曲をメインに挙げたが、実はこの盤は他はフルート協奏曲、オーボエ協奏曲、ヴィオラ協奏曲である。当時ERATOレーベルが廉価版で出したもので、廉価版とすれば最高度の音質であり、最初のペットの繊細な音の鳴らし方など私にとっては重要なオーディオ・ファイルとなった。さすがDENONのコロンビアだと当時思わせたものである。


299. ヴィヴァルディ フルート協奏曲Op.10
ランパル(Fl)、シモーネ、イ・ソリスティ・ベネティ ERATO ランパルはなんといってもフルートの第一人者、クラウディオ・シモーネとイ・ソリスティ・ベネティは何と言っても優れた合奏団である。この2つが結びつくのだからこれが悪かろう筈がない。これも元々はERATOの廉価版・優秀録音で出たものです。