教育

 教育の分野におけるコダーイの業績は他の分野に劣らず重要である。

 音楽院では1907年から1940年まで作曲の講義をし、作曲にかかわるさまざまな科目すべて、すなわち和声、対位法、形式論、管弦楽法、スコア・リーディングの教授を引き受け、学生が全面的な発達をするよう努力したが、特に声楽ポリフォニーに習熟することを重要視した。どの分野においても文学の広範な知識を要求した。学生達は自らの専門技術を磨き一般社会に対して、責任を持ち、かつ敬意を表すべきであると教えられた。門下生の多くは国際的に知られた作曲家(シェイベル)、指揮者(ライナー、ショルティ、フィリッチャイ、ドラティ、ケルテス)教育者、音楽学者(サボルチ)となっている。

 コダーイが若者の教育について最初に関心を持ったのは1925年のことであった。まず合唱曲、講義論文、エッセイを書くことから初め、それから Bicinia hungarica 「ハンガリーのビチニウム」(1937年)に取り組み、歌とスコア・リーディングの練習曲の出版を含めて仕事の幅を広げていった。これら一連の教育作品は生涯を通じて重要なものであった。彼は尽きることのない根気と創造力をもって数百曲もの2声、3声の練習曲を書いた。他の人々の助けも借りて Iskolai énekgyüjtemény 「学校唱歌集」(1944〜1945、1948)を作成している。

 教育作品の主なものは次の通りであるが、合唱は無伴奏で書かれている。

(1)Bicinia hungarica 「ハンガリーのビチニウム」4巻(1937−1942)。2声歌曲。180曲中24曲は歌詞なし。音楽教育の本質は「歌う」という一言につきるとまで言うコダーイの音楽教育観を最もよく表している代表作。これから抜粋して Kis bicinia 「小さいビチニウム」2巻、 Válogatott biciniumok 「ビチニウム選集」が作られた。
(2)15,22,33,44,55,66,77 kétszólamú énekgyakorlat 「15223344556677の2声歌唱練習 (1941−1966)。コダーイが高く評価したベルタロッティ(Angelo Michele Bertalotti)(1666−1747)のソルフェージ練習曲への準備になるよう意図されている。
(3)Énekeljünk tisztán 「音程を正しく歌おう」(1941)。107曲。歌詞なし。全音進行による2声の練習曲。
(4)333 olvasógyakorlat 「333の視唱練習曲」ハンガリー民謡への導入。(1943)殆どの音域は6度を超えず、純粋な民謡の様式と精神で書かれた曲。
(5)24 kis kánon a fekete billentyükön 「黒鍵上の24の小カノン」(1945)。ピアノ学習者のための5音音階による小曲集。黒鍵で弾く。略譜で16曲。5線譜で8曲
(6)ötfokú zene T−W 「5音音階の(ペンタトニック)の音楽1巻〜4巻(1942−1947)。a.100 magyar népdal 「100のハンガリー民謡」 b.100 kis induló 「100の小さい行進曲」 c.100 mari dallam 「100のマリの歌」 d. 140 csuvas dallam 「140のチュヴァシュの歌」。順を追ってむずかしくなっていく。マリ(又はチェレミス)とチュヴァシュはヴォルガ中流域に住む少数民族で、古いハンガリーの民族的形成に深い関係があるといわれる。
(7)Tricinia 「トリチニウム」(1954)。歌詞の付いていない28曲の版と、歌詞対きで曲の順序も少し変わっている29曲の版と2種あり、無伴奏の3声歌曲。
(8)Kis emberek dalai 「小さい人間たち(幼子)の歌」(1960)。50曲。歌詞は3人のハンガリーの詩人による。6度を超えない5音音階で書かれ、無伴奏。コダーイは「子供の」と言わずに、あえて「小さい人間たちの」と題している。 

 これらの教育用作品が、ハンガリーの学校制度の中でどのように取り入れられているかについては、フォライ(Forrai Katalin) とセニイ(Szönyi Erzsébet) による「コダーイ・システムとは何か」(羽仁協子・谷本一之・中側弘一郎共訳、1974)を、彼の教育理念については、羽仁協子「コダーイの音楽教育観」(『音楽教育研究』第26〜41号、1968〜69)を参照されたい。

 彼の教育理念は世界中に「コダーイ・メソッド」として知られるようになったものの中に具体化した。その素材は本質的には民族音楽と民謡様式の作品から採られている。基本的な方法は集団で歌い、移動ド唱法を重要な手段とした。このメソッドの狙いは一般的な音楽能力を作り上げることに置かれている。「子供は、まず歌えるようになってから楽器に手をふれるべきである。子供の内的な聴覚を発達させることは、子供のもつ最初の音に対するイメージが、自分自身の歌から発生している場合にのみ可能である。」とコダーイは言う。彼はソルフェージ教育を重視し、トニック・ソルファを改良した略譜を用いて教育作品を記譜した。これはレター・サイン(d、r、m等の階名文字)と、5線記譜法から借りた音符によるリズム譜の組み合わせでできている。これと同時に、彼はハンガリーの民族的遺産の上に子供の音楽性を開花させようとした。ハンガリーの子供にとって、5音音階の音楽は母乳に等しいものと彼は考える。

 どの民族も、自分の国の音楽的伝承の上に音楽教育の基礎をすえるべきだ、というコダーイの理念と方法は各国に迎えられている。日本ではわらべうたにもとづく音楽教育と結びつき、東京にコダーイ芸術研究所が設立されている。(1968)