行政書士諸君に問う!君に使命感があるやなしや

行政書士は街の法律家と心得候え

 行政書士法改正案は平成13年6月22日参議院で可決され、国会を通過しました。明治以来の悲願が漸く適い、我々に代理権が付与され、さらに法律相談業務も可能になりました。法律職行政書士制度改革を目指して心を一にし、そして実現したことを誇りにしようではありませんか。

行政書士 佐  藤  壽三郎


其の1 行政書士會の体質の弱さを垣間見て

昭和52年秋、行政書士認可試験に合格しましたが、司法試験受験の身であったこともあり、登録はしませんでした。

6年後である36歳の5月に行政書士登録をしました。女房を貰ったために糊口を凌ぐための手立てとしてであります。

翌年支部総会に出席して、行政書士の実像を目の当たり見て愕然としました。私は席上、「法律職である行政書士の社会的使命に適うためには、行政書士には代理権が必要だ。行政書士に代理権が与えられていないのがおかしい。」趣旨の発言しましたところ、支部役員は冷ややかに一笑に付す雰囲気でした。「畏れ多い考えだ」とか「行政書士には代理権は不要だ」とか「所詮、行政書士資格じゃないか。我々の資格と同等と思ってもらっては迷惑だな。」「行政書士を何様の資格と思っているのだ。」とまるで行政書士の総会なのか、税理士か司法書士、はたまた土地家屋調査士の総会なのか分らない内容となりました。「無いんだから仕方ないではない。国会で書士法を改正して代理権を付けてもらえばいい話ではないか」と私は反論しました。このときに行政書士制度の改革は始まったと申せます。私と激突した役員は、その後行政書士会の役員を辞められました。私にしてみれば、行政書士としてのプライドがない役員は、自ずから書士会の役員を辞めるのは当然の話であります。




其の2 行政書士は法律職である

登録するにあたって、初めて行政書士法を学習するに、法に依って与えられている地位は、法律職であるのに実際は権限は低く、弁護士に次いで広範な職務が認められているのに、特別法の形で出てくる新興の〇〇士にその地位を簡単に明け渡す歴史の繰り返しであることや、外圧に弱い組織の体質であることを知りました。「これでは法律家行政書士は育たない。将来青少年が行政書士を志す一流の法律職にして見せるぞ」。青春時代を司法試験一筋に過ごした私の正義の血が騒ぎました。「揉め事を防ぐには、世の中に弁護士と代理権を備えた行政書士と公証人がいればこと足りる。しからば、国(当時は自治省)に直談判して、行政書士を法律職(代理権の獲得)として認めさせよう。」と決意しました。

38歳の折、私は長野支部の分会組織である須高分会長として支部役員になりました。歳が若くても内規では分会長は副支部長でありました。まず、行政書士は国家試験合格者一本(当時は知事の認可試験)とすべししと、支部での会合の度に主張しますが、どうも支部会議での私の発言が、県書士会や連合会本部に全く届いていないことをひょんなん拍子で知りました。これでは埒があかない、他士と兼業していて役員になっていて、役員を名誉職ぐらいにしか考えていない行政書士を一掃しよう。それには私自身が県の理事になろうと決心しました。しかし書士会も他の組織と同じで組織の壁が厚く、一度なった役職にしがみつき、なかなか後輩に譲らない悪癖かはびこり、県理事になって発言をする機会は得られませんでした。

47歳の折、県書士会の理事になれたので、私は早速改革案を唱えました。例外であった公務員在籍10年特権の廃止と受験資格の学歴は高卒程度の撤廃代理権の問題、行政書士の社会的使命の明文化を主張しました。その結果比較的早期に、公務員特権は20年と変更され、学歴の高卒程度は撤廃されました。国会は僅かに動いたのであります。この僅かな動きが大きな自信となりました。




其の3 行政書士は市民のための法律家に徹すべし。

49歳の折、一線級実務家である「憂える行政書士」とGHK(行政書士を発展する会の略語)という会をつくり、書士制度の改革断行の旗をあげました。私は長野支部長に就任し、同時に県書士会の副会長、政治連盟の幹事長に就任し、まず行政書士法に『行政書士の使命』を明記すること。代理権獲得と法律職としての社会的使命の位置付け運動を国に展開しました。規制緩和の波が行政書士制度を揺るがす危機感もあって、我々の運動は全国規模となり、このうねりが功を奏し、『行政書士の使命』は私が副会長在任中に国会を通り行政書士法に書き加えられましたが、代理権獲得に手が届くと思えたとき、一部の狡猾な心無い仲間の逆襲にあい、最後の詰めの段階で凡そ2年間行政書士法改正が遅れてしまいました。

漸く今国会で行政書士法が改正され、@書類を官公署に提出する手続について代理すること。A契約その他に関する書類を代理人として作成すること。B法律相談業務が認められ法務専門家から国民の予防法的法律家として認知されました。私が行政書士開業とともに提唱した「街の法律家」としての行政書士像が実を結び、凡そ20年の歳月を経て市民の負託に応えられる時代がやっと到来しました。




其の4 行政書士制度の今後の課題

残された課題である「税理士試験合格者や公務員の特権による資格取得条項の廃止」と「報酬を得て」の条文の削除は、行政書士試験を合格した後輩の行政書士に任せたいと思います。

これからの行政書士試験は、法律職試験として極めて専門性を求める試験になると思われます。何回も受験する人のためにも公務員等の特権を許してはなりません。国家資格は何人も資格試験に合格すればなれる。あたりまえのことを気負いなく保障する。これが民主主義社会の大原則だと思います。

須坂市では最近ある現象が起きています。大学進学校の生徒が、「大学を出たあと行政書士になるためには」どうしたらよいかとの、進路資料として学校から問い合わせがあったり、「大きくなったら行政書士になって議員になるんだ。」と胸張る高校生や中学生が急増しているとのことです。一方「行政書士の資格をもっているのですが、食えますか?」との論外な問い合わせまで様々で大変な行政書士人気です。

思うに行政書士を法律職にするために強引に事を進めたために、ずいぶん敵も作りましたが、30代後半の支部総会に出席して決意した「行政書士制度を国民のためにする」手立ては、間違ってなかったと感じています。苦楽を共にした「GHK」の仲間も、今回の快挙をきっと喜んでると確信します。

因みに、平成12年度の行政書士試験はつぎのとおりでありました。

     

 

  受験者数

  合格者数

合格率

    長野県

    620人 

     18人

2.9%

    全  国

 44,446人

 3,558人

8.0%



   文中の(広義の)行政書士とは、新生明治政府は、明治5年太政官布告として代言人(今の弁護士)、代書人(今役の行政書士・旧内務省所管)、証書人(今の公証人)の制度を設けました。その後代書人は国民の便益ではなく、役人の縦割り社会の構図である各省庁の権益保持を目的とした資格〇〇代書人として特別法の形で誕生し、代書人(行政書士)から分権しました。〇〇士に公務員特権があるのは、このような各省庁の歴史的経緯があるからです。行政書士が他の法律に制限が無い限り、なんでも出来るのは分権前の名残と申せます。戦後〇〇代書人は〇〇士となり現在の行政書士(総務省)、弁理士(特許庁)、税理士(財務省ほか)、司法書士(法務省ほか)、土地家屋調査士(法務省)、社会保険労務士(厚生労働省)、建築士(国土交通省)等として今日に至ります。広義の行政書士とは、この分割された〇〇士のうち法律職部分を再統合して、国民の便益のために「事務弁護士」として、国民のために機能すべしとするのが、私の描く司法改革案の準法曹構想であります。



 なお、太政官布告でありながら、代言人と証書人は法務省所管一省であったこ とや、代言人はかの司法試験合格が大原則なことと、証書人は検事や判事の経験 者が定年後その職に就く等、憲法あるいは手続法においてその地位が明文されて いた経緯もあり、資格内での分割は免れました。