第11号 2005年8月発行

目次 ご挨拶

    引っ越しました

   手織り

   最近作ったもの

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 長らく御無沙汰しておりました。通信は来ないし、ホームページも新しくなっていないけど、元気ですか?といろいろな方に御心配をおかけしていましたが、なんとかやっております。

 今年も10人ほどにお手伝いいただいて、田植えを済ますことができました。今年は初めて代掻きを3回やってみました。田んぼの水持ちがあまり良くないので、「3回は代掻きしたほうが良いよ」と言われていましたが、今までは余裕もなくできなかったのです。水持ちが良くなると冷たい水を入れる量が少なくなるし、草も生えにくくなり、稲の生育は今のところ順調です。

 実は3月に引っ越しをしました。引っ越しのお知らせが遅くなり申し訳ありません。ここでは、郵便屋さんも宅配屋さんも顔見知りなので、番地が変わってもさほど問題ないのです。


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[脩]

 以前住んでいた家は役場の出張所や農協などがある和合の中心地でした。新しく借りた家は、そこから国道に向かう県道を3Hほど下った道沿いに、他の集落とは離れてある1軒家です。

 阿南町は45年ほど前に、和合村、大下条村、富草村、旦開村(あさげむら)が合併してできた町です。ほぼ天竜川に沿って南北に広がる阿南町は、北から順番に富草村、大下条村、和合村、旦開村と並んでいました。

 私たちが選んだ和合という土地はもちろん旧和合村になり、天竜川へ流れ込む支流、和地野川沿いに広がる集落です。天竜川に沿って延びる国道151号線から和地野川沿いに県道があり、和合の集落の半分くらいはこの県道沿い(和地野川沿い)に点在します。

 新しく住むことになった家の大家さんに、この家の番地を尋ねたところ、「西条953番地」と言われました。西条といえば旧大下条村です。その家がてっきり和合かと思っていましたので、驚きました。なぜならその県道をもっと下った国道近くにも和合の集落は広がっていましたし、和合の中心地へ行く方が、大下条の中心地へいくよりずっと近いからです。

 そこで、昔の合併前の地図を飯田市の図書館で探してきました。すると私たちの今住んでいる辺りは、和地野川の北岸が大下条村、南岸が和合村になっていました。

 この土地へ住んでからいろいろな話しを年寄りたちに聞いてきましたが、車が通る現在の道ではなく、人が歩くのに使った昔の道の話しを思い出しました。県道は70年前、中京圏へ送電するための発電所を和合へ建設するときに造られたもので、それ以前は川沿いには道はなかったのです。

 昔の人は川沿いに道を造ることはめったになかった。川は氾濫することが度々あったし、支流をまたぐごとに橋を架けなければいけないからです。昔の道は尾根伝いや峠越えが普通で、川を渡るということは非常に大変なことだったのです。

 川沿いの道を車で走るときに、支流や谷をまたぐごとに橋を渡っていることに気付きますか。

 


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[弓]


 3年前に古い機織り機をいただいて、試行錯誤で縦糸をかけ、周囲の草木で染めた糸をかけて、やっとコースターやマフラーを織ってみたときは、とても楽しかったのだけれど、半面、このままでは上達しそうにもないし、途方にくれていました。

 手で織ったからといって、その布にどんな価値があるのだろう。機(はた)に向かっていて感じたこの課題は、非効率な斜面の畑での野菜つくりにも通じていました。

 「飯田つむぎ」を経営している廣瀬さんとの出会いは一昨年の秋のことでした。

 多くの人が着物を必要とし、手織りの布がどんどん売れた時代は、去り、織る人も少なくなりました。けれどその逆境のなかで、絹糸の質を生かす織り味を追求し、手でなければ織れない、機械では作れない布を廣瀬さんは自らも機を織って示してきました。

 幸いにも、その機織りを教えていただけることになり、一年半の間、週に一度通って、2反の反物を織らせてもらいました。

 用意されていたのは、たま繭といって、双子の繭からとった紬糸(つむぎいと)でした。生糸(きいと)というのは、繭を茹でながらカイコが作った繭をほどき、一筋の糸をとるものです。双子の繭からは生糸はとれません。ですから、繭を真綿(まわた:綿状に延ばしたもの)にしてから、糸に紡ぐので、節ができたり、太さが均等でない糸になります。生糸は均一で切れにくいので、機織りの縦糸に適しています。ところが廣瀬さんは、縦糸にもこのたま繭の紬糸を使っているのです。そして、1260本の縦糸は決してピンと張らずに、一段いちだんを丁寧に打ち込みます。凹凸感のある、それでいて柔らかい風合いの布に織り上げるのです。絹糸ならではの光沢が凹凸の中で乱反射し、無地でこそ深みのある、味わいの豊かな布になります。布の織り味が、手織りの良さをきちんと語っていて、とても説得力があります。

 紬糸を縦糸に使うと、とても切れやすく、常に繋ぎながら、絡んでつれるところをなおしながら織らなくてはなりません。はじめの半年は、いっこうに上達しなく、何度挫折すると思ったことでしょう。でも一年かけて一反を織り終わって、次の一反はだいぶ人並みの速度で織れるようになりました。けれど、ちょっとした打ち込みのタイミング、力の入れ具合で布の表情は変わり、まだまだ、均一なものが織れません。

 これからしばらく、家に機織り機をおいて、「飯田つむぎ」の下請けをさせてもらえることになりました。下請けでは、生糸の縞を織るのですが、数をこなすうちに、いつかはこれが私の織り味だというものが、この手に感じられるようになるのでしょう。

 きっと野菜つくりも同じなのだと思えるようになりました。種を繋ぎながら、今は、毎年試行錯誤している農法も、そのうち固定化し、私の野菜の味、自然とのつきあい方、というものが自ずと見えてくるのかもしれません。


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[脩]


ヒメコマツのテーブル

 同じ町内に住む人から、脚を組み換えるとテーブルにも座卓にもなるようなテーブルを作ってほしいと頼まれました。

 お施主さんは私がアルバイトをしている森林組合とは別の森林組合で働いている人です。自分で伐採したヒメコマツを板に挽いてあるので、それを使ってほしいとの注文でした。

 この方は九州出身ですが、奥様がこちらの方なので、埼玉から引っ越してきてこちらの森林組合に勤めています。

 ヒメコマツは別名五葉松ともいいます。赤松、黒松はとがった葉が2本1組になっていますが、五葉松は葉が5本1組になっていす。松に比べるとだいぶ柔らかい材料なのですが、建て具や建築材に使われるようです。

 ヒメコマツで家具を作るのは初めてでしたが、非常に柔らかい樹でした。ヒノキやアカマツも時々使うのですが、そういった針葉樹の中でも特に柔らかかった。

 堅い木と比べて柔らかい木は、実は扱いにくいのです。例えていうならば、包丁でお肉を切るときにそのままの状態だと切り口がきれいになりませんが、凍らせて固くすると切り口をきれいに切ることができますよね。そういう感じす。

 この樹はヤニが多いので、これから時間が経つにつれて色合いが変化していきます。

 ご近所なので時々訪ねて、かわっていく色合いを確かめてみようと思っています。

椅子は別です

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