第9号 2004年1月発行

目次 ご挨拶

    しいたけの話し

   歩む

   最近作ったもの

よろず通信のページへ戻る


 

 昨年末に印刷するはずだった通信ですが、大きく遅れてしまい、新年の挨拶には間に合いませんでした。もうしわけありません。

 和合では畑に敷くための茅を冬の間に刈り取り、束ねて写真のように春まで起てておきます。こうしておけば多少の雨にあたっても痛むことなく春までおけます。この刈り取り作業は草刈り機ではなく、今でも鎌を使って手で刈り取ります。機械で刈るとどうしても地面から離れた上のほうを刈ることになりますが、そうすると丈が短くなって量が少なくなることと、残った切り株が堅くなってしまうので翌年刈り取るときに具合が悪いそうです。

 年初から自衛隊への派遣命令や憲法改正が新聞を騒がせていて、どうも危険なほうへ向っている予感を多くの人が持たれているのではないでしょうか。毎月飯田市でピースウォークを企画している仲間が、こんなことを言いました。「戦争から私たちを守ってきてくれた憲法9条を今度は私たちが守ろう。」と。ところが民主党などは改憲の論点を第9条だけではなく、憲法全体を対象にしようと言っています。

 世の中の動きをしっかり見つめて、国民投票になったときには後悔しない判断をしたいものです。
 

→目次へ



[脩]

 和合は昔からシイタケの栽培が盛んなところです。今でも干しシイタケを含めて、出荷のために生産している家が少なくありません。また出荷をやめても自家用にと、この季節には多くの家でほだ木を用意しています。

 400年ほど前から始まったシイタケ栽培は、最初は1メートルくらいに切ったクヌギやコナラの木にナタで傷をつけて自然に浮遊している菌がその傷口から侵入するのを待って利用したそうです。そして60年ほど前から、人工的にシイタケの菌を培養したものを原木に打ち込んで栽培する方法が一般的になりました。

 秋、紅葉の季節が終わるころ、クヌギ、コナラ、シデなどの木を根元から切って、そのまま山の中に放置します。葉が付いた状態だと、葉から水分が蒸発するので早く乾燥させることができます。(これは葉枯らしと言って建築用材にも利用されることもあります。)

 そして春先に1メートルくらいに玉切りをしてドリルで穴をあけ、菌が培養されている直径5ミリ、長さ10ミリくらいの木のコマを打ち込みます。これをシイタケの原木と言いますが、この原木を森林の中に仮伏せして1年半くらい寝かせます。その間に菌が原木内にくまなく回り込みます。仮伏せの期間内でときどき原木を積み換えてやると菌がいっそう回るということです。そしてコマを打った翌年の秋に本伏せをします。

 コマを打ってから2年目の春が来て、気温と湿度が上がるとシイタケが出てきます。生シイタケを出荷する家では、湿度を上げるために原木をいったん水槽に沈めて引き上げます。湿度を自然の天候にまかせる場合は降雨直後に大量に発生するため、収穫してすぐ乾燥機に入れて干しシイタケにします。和合では干しシイタケの生産も盛んですが、春先に雨が続いて降った日などは一日中収穫に追われ、その後徹夜で乾燥機を動かしているという話をよく聞きます。このように原木でシイタケを栽培する方法は、非常に手間がかかります。

 一方で、20年程前から木のおが屑と、栄養体と菌を固めた菌床栽培という技術が出てきました。ひとつの菌床は、直径15センチ、高さ30センチほどで、おが屑を固めたものですから非常に軽くできています。これをビニールハウスの中に作られた棚に並べ、ハウス内の温度、湿度を調整してやればほぼ1年を通してシイタケの栽培が可能です。また重い原木に比べ扱いやすいため、手間もずいぶんかからなくなります。和合森林組合でも菌床を作り、菌床栽培されたシイタケを沢山出荷しています。

 出荷できない菌床シイタケを頂く機会も多くありますが、味の深みや、香りの強さは原木栽培のものにはとてもかないません。私達も原木でシイタケを栽培していますが、うちの原木シイタケを収穫できる間はうちのシイタケにかぎります。

 私たちの家ではほだ木を伐ってくるような山は無いので、去年の春までは近所の人から原木を購入していました。ところが昨年の秋に「うちの山の木を伐るか。」と言ってくれた人がいて、秋の終わり頃、その人と一緒に山で適当な太さのコナラを何本か倒して置いてきました。春を迎えた3月の終わり頃から4月にかけての時期に、その山へ再び入って倒してあるコナラを1メートルくらいに玉伐りし、菌打ち、仮伏せする仕事をします。ひとつお願いがあるのですが、この仕事をどなたか一緒にやりませんか。もちろんお礼はシイタケです。

 

 現在市場に流通しているシイタケには生、乾燥にかかわらず中国産のものが大変多くなってきました。中国では原木がなかなか手に入りにくいため、菌床栽培がほとんどです。ただでさえ原木に比べて安価にできる菌床栽培ですが、さらに中国で作られれば国内で原木栽培される生シイタケはとても割りにあいません。現在市場に流通している生シイタケは国産、中国産とも菌床栽培のほうが多くなっています。しかも最近では原木栽培の味の濃さが消費者に敬遠されて、原木栽培といっても以前ほど高値で取り引きされることは無いとも聞きます。今後はますます原木の生シイタケは減って行くことでしょう。(ただ国産の干しシイタケは原木のものがほとんどだと言うことです。)そんな原木シイタケを食べたいと思いませんか。



菌床しいたけの培養ハウス

→目次へ



[弓]


 季節ごとの山の変化に寄り添った、暮らしの風景は、するべき仕事をこなすべき時にこなす、淡々ともくもくと働き続ける百姓の生きている証です。

 私がここへ来て5年目になりましたから、当時、70才前半だった人は後半になってしまいました。この人たちがこの和合の風景を守っているのです。  和合に来てしばらくは夢中で山に生きるなりわいを継承するのだ、とはりきっていました。

 けれど、3年も経つと早くも、それをやりとげる体力も精神力も私にはなく、また今の貨幣経済の輪からはずされた百姓(農業ではなく、土地とちで生きる術)を引き継ぐのは、困難だということをおもいしりました。

 自分の中でのこのような行き詰まりと同時に町村合併の問題に直面し、ここ1、2年は本当に悲しい過疎の現実を考えざるを得ない日々です。

 過去数十年の間で、労働力を街へとられ、学校や種々の組織は合併を強いられ、生活道路の維持など毎日の暮らしに関わる色々なことが少しずつ切り詰められ、住み続ける人にとっては厳しい待遇を受け続けてきました。

 合併の根拠となる国の700兆円もの借金を、地方交付税交付金の減額からはじめるというのは、何の根本的な解決でもないことは明らかです。日本全国にたくさんある過疎の村を切り捨て、土地とちに生きる知恵を絶やしてしまっていいのでしょうか。お金が世の中を左右するようになって、人が生きることそれ自体が、森羅万象の生命のつながりからは遠ざかってしまい、本当に複雑になりました。

 こういう山の中の暮らしがいいと、こんなに思うようになるまでにはそれなりの時間がかかっています。最初に就職した調査機関で政府開発援助の矛盾について学んだり、どうしたら援助という名の経済侵略(良い援助ももちろんあります)が無くなるのか、石油のための戦争や環境問題など色々ないやなことが無くなるのかきっかけがあるたびに、考えてきました。

 私の今のところの答は、一人ひとりからはじまり、自治体も国も、それぞれがよそのものに頼らず、奪って来なくても、自立して生きられること、ということです。だからこそ、自立の精神が野太くある和合の暮らしに惚れているのです。

 都市には、人が集まり過ぎていて、解決できない問題をたくさんかかえています。山間部には、人がいなくなりすぎて、地域社会が維持できるかの瀬戸際に立たされています。

 この表裏一体の問題を山の人だけで困らず、街の人だけで困らず、共に考えることは楽しいことらしい、ということが、一昨年からはじめた街の人を和合に呼ぶちょっとした企画から実感できるようになりました。

 街の人が来て、和合を褒め、励ましてくれると、和合も捨てたもんじゃないのだと、ここに生きる人が少しでも元気になれます。街にあるもの無いもの、山にあるもの無いものを人と人の心のつながりから交換しながら、共に育むものを見つけられるかもしれません。

 少し前向きにここで生きてゆく心の準備をはじめられました。

 和合のことは和合で考えます、と胸をはって言えるくらいの地域力が高まったら本当に理想です。

 私の気持ちなど足下にも及ばないほど和合をなんとかしようとがんばる地元の人たちについてゆきながら、石があったらどけ、川にさえぎられたら渡る知恵を絞り、もどかしいくらい歩幅の狭い一歩いっぽであっても、なんとか理想に向かって前に進んでゆければ、と念じています。



→目次へ





石臼の脚

 毎年一緒に餅つきさせてもらっている小掠さんの家の臼は石臼ですが、木でできた脚に乗っています。この脚が相当古くて痛んでいるので、作り直す仕事を頼まれました。しかし作ってみたものの餅をつくという行為は、わざわざ壊れるように叩いているようなものです。どうしても自分がつく時は恐る恐るついてしまいました。とりあえず今回1日は持ったので次の年末まであと1年は一安心です。



コンニャク芋から

コンニャク作り

 和合で何十年もコンニャク作りに使い続けられていた「ソーダ」(コンニャクを固める強アルカリの化学薬品)が食品添加物用ではないことから、食べるものには使わないようにと保健所から指導が入るようになりました。代わりにすすめられた水酸化カルシウムで作ったコンニャクは味も悪く日持ちもしない、と和合では評判が良くありません。前年からはじめた、コンニャク作りの講習会のイベントを目前に「どうしても水酸化カルシウムを使いたくない」という講師のおばあさんたちの言い分ももっともです。そこで思いきって、昔の通り、灰汁を使ってやってみようかということになりました。今70代の人たちは、自分たちが嫁にいってからは既にソーダばっかりを使っていたそうです。それでもうひと世代上のミハルさんに教わりながらの実験がはじまりました。

 「ザルに布をしいて、灰を入れ、煮え湯をかけると赤い汁が落ちる」と教わった通りに薪ストーブの灰で灰汁を作ってみました。さて、500グラムのコンニャク芋に対し、どれくらいの灰汁を入れたらいいのかと訪ねると、一言「いいっくらい」。そのいいっくらいがわからないのだと、困ってみせると、ミハルさんは私の持っていった灰汁をぺロッとなめて「あめぇ」と教えてくれました。とにかく灰汁の量を多くし、どうにかコンニャクが出来上がった時は感動ものでした。

 講習会では、なんとか4つの班がそれなりにできるように準備をするため、その後も色々な灰を使っての実験をくりかえしました。

 和合ではまだ炭を焼いている人が何人もいて、その炭は良く出来たものは売り、そうでないものを炬燵に使っています。その炬燵の灰をいただいて作った灰汁というのものは、透明に近いきれいなもので、なめるとピリっとするほど苦く、見事、なめらかな舌ざわりのコンニャクを作ることができました。和合で炭焼きが続けられているからこそできるコンニャクの再発見はなんとも嬉しいもの。そして何g、何cc、何分でしか作れなかったコンニャクが身体で考えて作れるようになったことは、新鮮な驚きであり、喜びでした。

 中国から輸入される安いコンニャク粉と薬品で作られるコンニャクとは違う和合ならではのコンニャクです。

 3、40年前は、コンニャク芋の出荷値が良く、和合の多くの坂畑ではコンニャク芋が栽培されました。コンニャク芋で子どもを大学まで出せたという70代の人たちが、今でも「お金にならないけど荒らすわけにもいかん」と栽培を続けています。

 5月になるとコンニャク芋を作っている坂畑は敷き草で黄金色に輝きます。四季折々の山の風景に溶け込んでいるコンニャク畑はとても素敵です。


テーブル

 和合の診療所に勤務しているお医者さんから新築した家のテーブルを頼まれました。高さを変えて座卓にもできるように、ということで天板と脚部を別々に作りました。

 この先生、上伊那のほうから引っ越してきたのは4年ほど前になるのですが、それ以来家の前の田んぼでお米を作っています。もちろん今まで田んぼにかかわったことはありません。

 先生が中心になって、この近所で米作りをしている仲間の有志が集まって勉強会を開いています。田植えの直前、夏の田んぼの見学会、脱穀後の反省会と、だいたい1年に3回ほど集まります。ほとんどは新規に就農した人なのですが、他人の話しを聞いていると良い励みになり来年はもっと工夫しよう、と決心(だけは)します。



    

→目次へ