第6号 2002年6月発行

目次 ご挨拶

    樹の大きさ

   御葬式でいろいろ考える

   ボタ草刈り

   最近作ったもの

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 手のひらに固く黄色くなったマメが冬の間にすっかり消えてしまい、寂しいなぁと思っていたら、農繁期を迎え、また固いマメが両手にできはじめました。 今年は春が早かったわりには、朝晩冷え込む日がいつまでも続いていて、野菜や稲の成長はいまひとつ芳しくないようです。おまけに、田んぼにはイネミズゾウムシが大発生。アメリカから輸入穀物とともに最近わたってきた害虫で、天敵もなく、葉を成虫が食べたあと、幼虫が根を食べるそうです。食用油をまいてある程度駆除できましたが、次なる害虫、ドロオイムシも出だしたので、ゆうつです。

 今、田んぼのボタにはオダマキソウが咲いています。可憐な姿で心をなごませてくれます。

 小麦を播いた頃に5号を発行してから、とうとう、麦秋を迎え、麦刈りを済ませて、やっと6号を発送できる運びとなりました。

 3ヶ月に一通発行するつもりで始めましたが、半年以上空いてしまいました。もう次の会費を心配してくださる方があるのですが、基本的には4回で400円としています。こちらから会費切れのお知らせをさせていただいた時に継続をご検討くだされば幸いです。

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[脩]


 和合で全長が2キロほどの新しい林道を敷設する工事がありました。

 この道を作るため伐採される樹木の中に広葉樹があるが、どうせ捨てるかチップになるのでよかったら使わないか、との話が森林組合の組合長からありました。現場を見に行くと、伐採されて運び出された樹の中に直径が50〜60センチほどのブナと桜が数本ありました。

 直径が50センチというと、そんなに太い樹じゃないと思われますか?

 よくテレビや本などで取り上げられるブナの大木ならば、大人でも一抱え以上はありますよね。また、一枚板のテーブルの天板なんて直径が1メートルを越える樹を伐採したものでしょう。

 しかし直径が50センチの樹でもその高さは20メートルを越え、近くに寄ると圧倒的な存在感を持って聳え立ちます。試しにメジャーを持って近所にある公園に出かけて下さい。地面から1メートルほどの部分の直径を胸高直径といい樹木の大きさの指標とされていますが、メジャーで測ってみて下さい。どうですか、直径が50センチという樹の大きさがわかりますか?

 林学を勉強していた人ならば別ですが、メジャーで樹の太さを測ることなんてあまり経験がないのではないでしょうか。いつもなにげなく見過ごしている公園の樹でも、こうやって肌に触れてみると特別な近親感が湧きませんか?

 木工をやっている人がよく「100年育った樹を100年使える家具に」という言葉を使います。これは長い時間をかけて育った樹を使わせて頂くならば、できるだけ無駄にならないようにという自分自身に対しての戒めだと思います。決していつも100年育った樹を使っているわけでは無いし、もう100年も育った大木はむやみに伐るべきではないでしょう。

 今回伐採された樹はいつもお世話になっている製材所に運び込んで、板に挽いてもらいました。今は、一枚一枚桟を入れて隙間を作り乾燥しているところです。


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[脩]


 去る3月5日に隣の家のおじいさんがお亡くなりになりました。数えで83歳。去年の田んぼの仕事は脱穀まで元気でやられていたのに。新米百姓の私たちにいつもいろいろなことを教えていてくれたのに。残念でなりません。

 御冥福をお祈りします。

 御想像がつくこととと思いますが、私たちが住んでいるような土地では御葬式のある家へは近隣の家々から手伝いの人たちが集まります。私たちは和合へ引っ越して来て初めての経験だったのですが、区長さんはじめ周りの方々にいろいろ教えてもらいながら準備から後片付けまでを手伝いました。女衆は準備や御葬式に集まってきてくれる人たちのために、料理やお酒の段取りをします。男衆は、お墓の穴を掘る仕事や御葬式のときの行列に使う道具を作る仕事、料理のうちの天ぷらを揚げる仕事、御香典の管理など様々です。そして御葬式の前日から翌日の朝まで、沢山の人がそれぞれの仕事を慌ただしくこなしながら、故人の思い出話しなどをするのです。

 考えてみれば自分の祖父母の葬式のときは、まだ幼かったとか、遠くに住んでいたなどの理由で、死そのものから葬儀の終わりまでをこんなふうには経験していませんでした。

 日本人は宗教に無関心だと言われますが、こと死に関しては極めて宗教的な儀式がおこなわれます。

 弔いの儀式を厳格に執り行う理由というものは人間の(自分の)死そのものに対する恐れや畏れ、あるいは死後に自分の事が人々の記憶の中で風化していく事に対する怯えというものにある、と私は今まで考えていました。が、親戚や近隣の住人が集まって、決められた多くの仕事をこなしていく中で、近い存在であった人を亡くしたという悲しみを序々受け入れていくことができる、そういった故人のためだけでなく遺された人たちにも必要な儀式である、ということを今回感じました。

 とはいえこのような御葬式はもう世間では珍しく、簡素化された御葬式が増えているのも事実です。そういった世の中の流れを嘆くつもりは毛頭ありませんし、自分自身についても、「葬式はできるだけ簡素に、できることならやってほしくない。」と考えているのですが、、。

 隣のおじいさんには、生前ほんとうに色々なことを教わりました。最後の最後にひとつ考えさせられることを遺して逝ってしまいました。


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[弓]


  いつの頃からか、田んぼのボタ草がきれいに刈り込まれている風景に出会うと、不思議に心が和むようになっていました。

 けれど、自分が田んぼや畑をやれるようになってからは、とにかく種まきと収穫までの作業だけにいつも追われていて、ボタ草をきちんと刈る余裕がなかなかありませんでした。

 ここ和合で、綺麗に刈り込まれたボタを維持している人は、田植えの前後と、盆前、稲刈りの前後と、年に3回もボタ草を刈るのです。

 新米百姓としては、気にはなっても、とてもボタ草を刈ることなど手がまわらないのが現実です。

 ところが、田んぼの地主の、みな子さんは、気心が知れているということもあって「ボタ草はいつ刈るの?」「みんなのように化学肥料も農薬も使わないでやるなら、草とかの有機質をたくさん入れないと米ができないよ」「草は一年刈らないと、次の年はもっと大変になるんだよ」。と教えてくれます。おっしゃるとおりです。返す言葉もありません。

 「こうなったらやるしかない」、そう決めて、麦まきもなんとか終えて、はりきって草刈り機を手に急斜面のボタ草を毎日3〜4時間ずつ刈りはじめました。斜面でを使う自分というのはなかなか想像できなかったのですが、やってみると、われながら上手にできるものです。

 田んぼのボタは仕事をした分だけ、心和む景色に変わってゆきました。小躍りしたくなるような嬉しい気持ちになり、不思議に、来年も田んぼを作るんだという気持ちが高まってゆきます。

 高い草の影に、青紫色のきれいなリンドウの花がひっそりと咲いていました。稲刈り前後にちゃんと草を刈っていれば、もっとどうどうと咲くリンドウの花が見られるのかもしれません。 さらに、つる細工に楽しそうなアオツヅラフジのつるがたくさんみつかり、良いご褒美となりました。

 けれど、最も急な斜面のところにさしかかってから思うように仕事がはかどらず、そのうちに、やはりの振動が良く無いのか、排気ガスを吸いつづけたことが良く無かったのか、食欲がなくなって、腰も痛くなってきて、挫折し、そのまま年末にかけて久しぶりに長い風邪をひいてしまい、とうとう出来ずじまいになってしまいました。あと、ほんの少しだったのに。

 その難関の場所は、草というよりは、ヤナギなどがもう直径2〜3センチくらいの木になっていたし、太く、強くなったつるは、からみあってをがんじがらめにしてしまいます。足場が悪いことに加えて作業がしんどくなりました。きっとここだけは、何年も草を刈られていなかったのでしょう。「一年刈らないと、次の年はその分大変なんだよ」という、みな子さんの言葉もよく噛み締めることができました。

 そして、人がここで田んぼを作ろうが作るまいが、山は容赦なく山の摂理によって巡ることを思い知らされたのです。この山の中で人が生きてゆく場所は、人の力によって拓かれ、人の力によってまもられてきたのです。

 そうやって代々受け継がれてきた田んぼのボタには、春になると食べきれないほどのワラビやゼンマイが生えて来ます。

 ふところ深い山の恩恵をめいっぱい受けるため、この山に住む人は、黙々と身体を動かしてきたのだということを斜面に両足をふんばって実感した秋終盤でした。

 さて、ここまでは、去年のうちに書いたのですが、この春になって、草を刈ったボタには、小さなスミレの花が咲くのが見られ、ワラビはとても採りやすく、たくさん食べることができました。

 そして、田植えの前後にもなんとか、草を刈りました。去年鍛えた甲斐があって、大分楽にできるようになり、または一日1時間以上は使わないと決めたことで、バテずに少しずつ進んでいます。刈った草は集めて束ねて畑に運び、野菜の畝間に敷いたり、堆肥に積むことが、あたりまえに受け継がれています。

 刈り草を畝間に敷くと、草の成長を押さえ、また次の作物の時に鋤き込むので畑が肥えるのです。秋に刈った草は田んぼに入れます。おじいさん、おばあさんが、こういう仕事をたんたんとこなしているのをただただびっくりして眺めていたのですが、私も少しずつできるようになってきました。

 初夏にボタを刈らないと、大きく茂った雑草は地表を覆ってしまい、陽があたらないので、根をはる小さな草が成長できないため、ボタはどんどんやわらかくなって崩れやすくなってしまうことも、実感としてわかりました。

 田んぼのボタを維持するために草を刈り、刈った草を畑や田んぼで有効に利用するなんて、本当に素晴らしい技術だと、この山で生き抜く日ごとの業に感心することしきりです。

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       鮮やかな紫色のリンドウ



キャンプ場什器一式 [脩]

 

 隣の売木村にある、星の森オートキャンプ場でキャンプをしにきた子どもや親子に竹とんぼ作りの教室を行って、もう3年目になります。このキャンプ場にこうしたモノ作りや料理教室のための施設ができました。この前の冬はその中の什器類を一式作らせてもらいました。とても独りではやりきれずに、何人かお手伝いを頼んでやっとのことで納品しました。

 この不景気に仕事があるのはありがたいのですが、春から秋は農作業を、冬の間はのんびり木工をなどと考えて始めたものの、現実には年がら年中仕事に追われる、慌ただしい日々です。

 最近、人に勧められて「スロー・イズ・ビューティフル」(辻信一著)という本を読みました。ファーストフードに対抗してスローフードという言葉をよく耳にするこの頃ですが、この本の中では食べ物の他、住環境、仕事、コミュニケーション、人間関係など様々な事柄について、現代社会の効率最優先の考えを「ちょっと違うんじゃないか」という視点から考察しています。なかなか面白い本です。(ただスローな事例を多数取り上げているので、どうしても広く浅くとなり多少物足りなさを感じますが。)

 現代人は様々な技術を開発してきたおかげで、昔に比べると膨大な時間が節約できるようになりました。しかし、この節約した時間はいったいどこへ消えたのだろう?!エンデの書いた「モモ」という話しにも共通するテーマです。

 この通信を読まれている方は判ると思いますが、僕らの生活は人並みに比べて大分スローです。今から次の冬に備えて薪を割り、食べ物は種から作り、卵を得るために鶏に餌をやり、、、、。

しかしどうにも目先の仕事ばかりに追われ慌ただしく毎日が過ぎて行くのはなぜなんでしょう?せっかくスローな生活を実践しているのだから、自分ももう少し生活を楽しむゆとりみたいなモノを持つべきだな、と考える読後の今日このごろです。もう少し要領良く仕事をこなしていくとか気持ちの持ちようを変えるとかでなんとかなると思うのですが、、、、、。


鍋しき [弓]

 藁で作るドーナツ型の鍋しきを作りました。

 前回このコーナーで紹介した藁ぼうきを輪になって作っているところへ、こんなのも作ってみてはどうか、と見本を貸してくれた方があり、それをお手本にしながら、考えて作りました。

 藁を輪にした芯に、縁にきれいな編み目が出るように細い縄を巻いてゆくのです。

 作り方は、なんとかわかっても、私には、細く長い縄をなうことがどうしても出来ませんでした。そのことを話すと、「私は運動会の選手だったんだ」と言うみのえさんが縄ないを教えてくれました。

 若い頃は、冬の夜なべ仕事に、囲炉裏端で縄をなって、昼間は陽のあたる小屋で炭だわらやむしろを編むのがどうしてもやらなければならない仕事だったそうです。嫁勤めの辛かった話も聞かせてくれました。

 藁は湿らせておいて、よく木槌でたたいてからなうのですが、その縄ないの早いこと、早いこと。本当に魔法のように、こすり合わせた両手のあいだから、スルスルと縄がでてきます。暮らしの中の必要に迫られて磨かれた技です。

 運動会では、よーいどん、で縄をない、最後に俵をつけてひっぱり、切れない部分がどれだけ長いかが競われたそうです。生活に密着した競技だなぁ、と感心しました。

 この見本の鍋敷きは、数年前におみやげ屋で買ったものだそうですが、和合でも、かまどに火をくべて底の丸い釜でご飯を炊いていた頃は、こういうドーナツ型の鍋敷きがどの家にもあったようです。釜の底が丸いのでドーナツ型の鍋敷きでないと、安定しなかったのだそうです。

 なるほど、たかが鍋敷きをわざわざドーナツ型にデザインするには、ちゃんと理由があるものです。何故、こんなに手間をかけて丈夫に作るのかも合点がゆきました。

 藁ぼうきとこの鍋敷きを和合の民芸品として売ろうか、という話しにもなりかけたのですが、なかなか量産体制が整わないうちに、春が来て、各々に田や畑の仕事に追われる季節になってしまい、また次の冬へと持ち越されました。

 前回の藁ぼうきに早速いくつか引き合いをいただきましたが、残念ながら商品としてお分けできる分を作れませんでした。本当にすみませんでした。来春御期待ください。



    

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