4号 2001年8月発行

目次 ご挨拶

    

   念仏踊り

   最近作ったもの 

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 7月にはいってから、まるで雨が降らなくなり、土が乾ききってしまってどうなることかと心配していたら、梅雨明け宣言があった次の日から毎日夕立ちが降るようになり、救われました。 去年に続き、暑い夏ですね。「暑いね」が挨拶言葉になっているのは和合だけではないでしょう。でも、おかげさまで、田んぼの稲がすこぶる良い出来です。この分でいくと、秋には大きな穂がたれるかと、今から楽しみです。

 農繁期も峠を越えたかな、と7月中旬くらいから思えるようになり、今は、畑でできる野菜を毎日収穫しながら、すごい勢いでどんどん伸びる草をとれるだけとる、刈れるだけ刈ることが仕事です。真っ青になった畑に呆然と立ちつくすこともしばしばです。 ノドがからからになり、フラフラしてくると、きゅうりを丸かじりして気をとりなおします。

 先週、イノシシが田んぼに偵察にきたようです。イノシシは稲の穂が出たらそれをみんなしごいて食べてしまうそうです。「イノシシが 少しでもついた米は臭くて食えん」というので、あわてて電柵の準備をはじめました。

お陰様で木工の仕事も忙しく、農と工のやりくりが大変です。

 

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[弓]

 今年私たちは、畑苗(はたなえ)又は、陸苗(おかなえ)といわれる水を入れない方法での稲苗作りに挑戦しました。以前、生命力あふれる畑苗の姿を見たことがあって、いつかはこんな苗を作りたいとずっと思い続けていたことがやっと実現したのです。和合でも田植え機が導入される前は畑苗を作っていた人が多かったようで「畑苗はいいぞ」という声をよく聞きます。結局予定の半分しかその苗を植えられなかったので、決して成功とは言えない結果でしたが、想像を越えた立派な苗がいくらかあり、来年への励みになりました。

 田植え後も好天に恵まれたこともあってでしょう、なかなか良い成長ぶりです。
 田んぼの除草作業がつらくて、もう辞めようと思いながらも稲を見ていると、凛々しい姿に感動しているうちに元気が出てきて「もうちょっとやろうか」という気になります。
 茎がずっしり太くなり、株元はおおぎのようにひらいて、青みを増した葉は精一杯高く伸び、垂れてきました。もう数週間で穂をはらみます。茎の中に抱かれた綿毛が、少しずつ伸びて、8月には一斉に青い稲穂となって首をたれるでしょう。稲の成長する姿がこんなに嬉しいなんて新鮮です。

 人は直接的な欲望だけでなく、こんなふうに感情を充たされることが大切な生き物なのだなぁと、はじめて自分たちで作った苗の成長を追いながら、あらためて思うのです。

 ところで、和合へ来てからは、街の暮らしに比べると、人どうしの関係がとても密で、人情にあふれているような気がしていたのですが、和合の人は、「昔はもっと情けが深くて、困っている人がいたら損得なんか考えずに寄り合った(手伝った)にな。」「田植えの時期には、耕作面積の広い狭いに関わらず、とにかく皆が終わるまで、寄り合った。その時期は、一年で最も忙しい作付けの時期だからやることはいくらでもあるのに、小さい田んぼしか持っていない家も大きい田んぼのある家を終わるまで手伝いに行く。皆が終わらんと田植えは終わらん、とういことだった」というのです。

 私はこういう話を聞いてからたびたび、どうして人がそんなに優しかったのか、今はどうして情が薄くなったのか、考えないわけにはいかなくなりました。

 今年は、田んぼで仕事をしながらずっとそのことを考えていました。
 そして、田んぼで稲の元気な姿に救われた時、ふと、思いついたのです。
 きっと昔は、助ける時の喜びや助けられたときのありがたい気持ち、そういうものが暮らしに満ち満ちていたのではないかと。

 この辺りでは塩以外は何でも賄えたというほど自給経済が確立していたそうなので、お金というものに用が無い時代は長かったことでしょう。その代り、自然災害とか病死とか、事故死とか、今では想像もつかないような苦労や悲しいことが日常にあふれていただろうし、山や田や畑などで成り立つ暮らしの営みの中で自然の恵を共に享受し、季節ごとの祭を一緒に楽しんでいたのでしょう。
 怒ったり、ねたんだりすることは疲れるけど、笑ったり、感謝することは元気を呼び覚まします。そういうことをこの豊かだけれど厳しい山の暮らしが知らしめていたのかもしれない、と思うのです。勝手な推測にすぎない話ですみません。

 それにしても、「薄情になった」という話を聞くと、どうしても寂しい気がしてしまいます。


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[脩]

 今年も和合の念仏踊りが近付いてきました。8月のお盆の時期に和合の中心部で行なわれる念仏踊りは、念仏や和讃を唱えながらその年に亡くなった人の供養をし、無病息災や豊作を祈願する踊りです。私たち夫婦もこの地へ来て以来、参加させてもらっています。

 一遍上人が始めた踊り念仏はその仏教儀礼的な意味合いに加えて、娯楽や芸能の要素が強くなると念仏踊りと称されるそうです。和合に伝わる念仏踊りは、260年ほど昔に江戸へ年貢の減免を申し出に行った庄屋がその帰りの道すがら覚えて帰ったとも、遠州(静岡県)から伝わったとも言われています。

 7月に入ると、念仏踊り保存会の会合が開かれます。ここで当日の運営の役割、練習の日程、和合の各戸から集める会費、招待者や新盆の家などが確認されます。そういった会合の後は必ず宴会になるのですが、特にお年寄りは「さあ今年も念仏が近付いて来たぞ。」という隠しきれない嬉しさで、大変上機嫌でお酒を飲んでいます。

 和合の念仏踊りには灯篭や旗を持って先導する人、太鼓、鉦(カネ)、笛、のほか、ヒッチキといって棒やささらを持って舞う役、ヤッコといってカヤをつけた長い竹を回しながら踊る役、花、柳といった飾り物を持つ役などがあります。それぞれの役は、ほぼ毎年決まった人がやることになっているようです。灯篭や旗といった権威ある役は長老とも言える人しかできません。一方、笛や花、柳は小学生も参加します。昔は参加する人もたいへん多く、人気のある太鼓の役などは誰がやるかで揉めたこともあったということですが、今では後継者不足で私のような他所から来た者にまで声をかけてもらえます。

 今まで旅をした中、様々な地方で民俗芸能といわれるこういった行事の保存には大変苦労をしている、という話しをよく聞きます。

 今年も8月13日から16日までの4日間の夜、念仏踊りが行なわれます。


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百葉箱の屋根の修理 [脩]

 私がこの和合に引っ越してきたのは一昨年の年末でした。和合のようなところでは都会ではめったに見られないような、部落の寄り合い、消防団、お祭り、などをはじめとした”地域でのお付き合い”があります。当然それらのことは知識として知っていましたし、別に避けたいとも思っていませんでした。いやむしろそういうことを望んでいた、と言ったほうがよいかもしれません。しかし、驚いたのは、引っ越して間もなく「PTA総会と転任していく先生の送別会のお知らせ」がポストに入っていたことです。子どもがいるどころか、独身だったのに!

 当時の和合小学校の児童は全部で7人、今年は11人です。兄弟姉妹で通っている子が多いので保護者は5世帯。先生は7人です。これだけの人数ではPTAが成立しないので、和合のみんながPTAの会員になっています。

 6月なかばの土曜日は毎年恒例の夏のPTA作業の日です。学校周辺の草刈り、枝打ち、ときには大きくなった樹木の伐倒、そんな仕事を和合の人たちが刈払い機、ノコとナタ、チェーンソーなど手に手に持ち寄って、なんなく片付けていきます。

 今回はいつもと違って大きな仕事が2つありました。百葉箱(温度、湿度などの気候の観測に使用する屋外にある箱です。)の屋根の修理と砂場の修理です。教頭先生から百葉箱の屋根の修理をしてくれないか、と連絡があったのはPTA作業の日のだいぶ前でした。もちろん喜んで引き受けた私は、梅雨の中休みのある日に小学校に下見に行きました。誰に呼び止められるでもなく、扉のない校門を通って校庭に入っていくと、m保育園の園児2人が遊んでいました。痛んだ屋根の状態を診ていると、その2人がやってきて「おじちゃんなにしてるの?これあげる。」と無邪気な様子で摘んだ花を持って来てくれます。大阪で大変な事件があった直後で、日本じゅうで学校の安全管理をどうするのかということが話題になっていることが、よその国のできごとのようです。

 PTA作業当日は梅雨の合間の好天に恵まれ、作業開始の午後1時半になるころにはそれぞれの道具を手にした人が校庭に集まりました。砂場の修理のために木製の古電柱と重機が運び込まれ、2、3人の人が段取りよく仕事を始めます。アマゴを飼っている小さな池の掃除をする人もいます。私は前日までに屋根の材料を加工し、塗料などを準備。2人ほどお手伝いの人を頼んで仕事にとりかかりました。どの作業も順調に進み、百葉箱の塗装が終るころには校庭の一角で焼肉の準備が始まりました。

 PTA作業の他にも、PTA総会、先生の歓送迎会、音楽会、運動会の運営、などあらゆる場面で小学校に和合じゅうの人々が集まってきます。そしてひと仕事終えた後、給食室で、体育館で、時には校庭で、酒宴が始まります。その宴会で、先生や保護者の人たちに混じって大きな声で笑っている、すでに子どもは大きくなって和合を出て行ったであろう人たちを見ると、小学校が果たす地域のシンボルとしての存在、みんなの寄り所としての存在の大きさを思い知らされます。単に保護者の人数が少ないからみんながPTAの会員として支えているわけじゃない、と思うのです。

 和合小学校の子どもはみんなの子ども。私達も自然とそう接しています。

伊豆さんの物置きの建具 [脩]


 大工の清川さんから伊豆さんの家の物置きの窓と扉を作ってくれと注文がありました。

 伊豆さんは同じ町内で平飼い養鶏を600羽ほどやり、自然卵とその卵から作った卵油を販売しています。最近は柴山羊の飼育も始めました。また清川さんは隣の阿智村に住んでいて、半農半工をモットーに田畑を耕しながら大工をしています。どちらの方も他所から移り住んできたいわゆるiターンで、以前からなにかと親しくしてもらっている人たちです。

 今回の仕事は清川さんにとって、昨年独立してから最初の仕事でした。在来工法や地域産の材木にこだわり、土壁、漆喰を塗った大変立派な小屋に仕上げました。伊豆さんは物置きだけにするにはもったいないと、片隅にパソコンと本棚を置いて物置き兼作業場兼書斎に使っています。

伊豆さんの卵は10個入り1パックで500円。卵油は飲みやすい丸薬になっています。
お問い合わせ先:伊豆光男 0260-22-3157  e-mail/mitavora@dia.janis.or.jp

またこの周辺で新築、増改築を考えている方。一度清川建築に御相談ください。

清川建築の三つのこだわり。
・化学物質にたよらず、地場の木材を使い、伝統工法に寄り添う。

お問い合わせ先:清川博明 0265-43-4752 e-mail/k.hiro@f3.dion.ne.jp

葛から繊維 [弓]

 根から葛粉がとれ、かつては重要な蛋白源だったとも聞く蔓性の草、葛をご存じでしょうか?
 葛布(くずふ)といわれる葛の織物があることは以前から知っていたので、周囲にたくさんはえている葛から繊維をとって、のれんやコースターなどが作れたら楽しいな、と思っていたら、教えてくださる方が見つかり、とびつきました。

 岐阜県の岩村の「志とり工房」を主宰する川淵和彦、恵子夫妻です。
 恵子先生は草木染め、和彦先生は機(はた)織りを教えていらっしゃいます。和彦先生が定年前に大学教授を退かれ、今の暮らしから失われてゆく手仕事を、少しでもとどめようと「志とり工房」をはじめられたそうです。自分の手で何かを作りだす感動、作ったものを大切にする心、などが現代の社会から消えてゆこうとしていることを先生は真に憂いていらっしゃるのです。

 小さな資料館には、珍しい道具や繊維、布だけでなく、世界各地の織物がどうやって織られるかよくわかるように、機にかかったままで所せましと展示してあります。
 資料館を案内してくださった和彦先生の話の中でとてもせつないお話がありました。
 衣類を賄うことが大切な女の仕事であった時のこと。出産前に産着つくりが間に合わなかったら、生まれた赤ちゃんはその家で育てあげる余裕が無いということだったから、赤ちゃんを川に流して捨てるよりしょうがなかったそうです。

 今となっては、作り手もなくなって消えてゆく各地の織り物は、まさに誰でもが必要とし、誰でもがしていた日ごとの仕事だったのです。身の周りにある限られた素材から、糸を績み、機を織る。数百円の下着や衣類が氾濫する現代では、忘れ去られた女の仕事。それが、環境破壊や汚染をする以前の人々のあたりまえの営みだったのですね。

 葛の繊維のとり方は以外に簡単です。

6月〜7月に葛を採取(採取しながら芯を除いてもよい)→灰で煮る→少し発酵させて表皮と芯をとりのぞき、干す→光沢のある白い繊維がとれる。

 興味のある人、やってみたい人はご一報ください。来年は是非一緒にやりましょう。

 今は、百姓仕事の合い間に身近な草木で、葛の繊維や縦糸に使うため購入した木綿の糸を染めています。染め上がった糸をながめながら、冬のゆっくりした時間にどんな柄を織ろうかと、考えるのは楽しいことです。


    

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