第2号 2001年1月発行

目次 御挨拶

最近作ったもの  ・猪レバーの燻製、ソーセージ ・ケヤキのテーブル

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 新年明けましておめでとうございます。といってもこの通信が届くころは、正月気分もとっくに抜け、寒中お見舞のほうがふさわしい頃かもしれません。通信の第2号は年始の挨拶にしよう、との計画も年末の慌ただしさの中であえなく潰え、ご挨拶がすっかり遅れてしまいました。
 農作業、木工、印刷業など生業の他に、生活空間の整備や消防団、祭、頼まれ仕事など、地域でのつきあいが結構あります。そういった毎日の生活にまだまだ2人のリズムが追いついていない、そんな状態です。いろんなことが見えて、きちんとした生活のリズムを刻むには、まだまだ整えるべきことが沢山あります。今年はもう少し足もとをしっかり固められる1年にしたいと思います。
 昨年10月25日に6匹も生まれた小犬が皆もらわれてゆき、寂しくなったわが家。これから15日の小正月までは何かと雑事が続きます。真ん中の写真は、丸太や木の枝で豊作を願い作られる小正月のための飾り(地主さんの家で)。そして15日の前後には正月飾りを集めて5〜6mもの高さに積み上げて燃やすどんと焼きが部落ごとに行なわれます。巨大キャンプファイヤーの火の粉が舞う中、餅や肴を火であぶって食べたり、飲んだり。大人も子どもも楽しみます。


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 和合に住み、2回目の冬が来ました。
 遅い朝が明けると辺り一面、霜が降りて真っ白。見るだけでしもやけができそうです。寒くて外仕事が億劫になってから、「あぁ、あれもこれも出来なかった」と反省する毎日。その反面、思っていたより出来たということもあり、帳尻はチョンチョンってとこでしょうか。 

 私は、これまで冬の季節を好きだと思ったことは無かったのですが、ゆったりと流れる時間、炬燵や薪ストーブの温もりがたまらなく好きになり、おかげで一年中どの季節も待ち遠しくなってしまいました。

 冬はまた一年のなかでとても大切な季節でもあります。
 春からの農繁期の仕事をいかにうまくこなせるかどうかは、このゆったりとした季節をどう過ごすかということにかかっているように思うのです。
 農繁期になると、作ること食べることに追われ、ゆっくり考えたり、道具を用意する時間が充分にはありません。冬こそ、体力や知識を蓄えながら、春からの仕事の準備をする貴重な、そして楽しみな時間なのです。

 和合は、穏やかに低く連なる山々のあちこちで水が湧き、その水がそそぐ二つの川が谷を刻むように流れていて、急傾斜地の多いところです。わずかな平地には家が建てられ、少しずつ人力で斜面を切りくずして田んぼが作られてきました。畑はだいたい斜面にあります。そして川の向こうは南斜面、こっちは北斜面というように同じ集落のなかでも、対岸ではお茶が育ったり、キャベツの苗が冬を越せるなど別世界のように違います。ですから北斜面に住む人は、陽だまりの中にある対岸を見て「けなるいなぁ(うらやましいなぁ)」と言いながら冬を過ごすのです。
 私たちも北斜面に住んでおり、借りている田んぼも畑も北斜面にあります。 住まいも田や畑も条件の良いところを選べるにこしたことはありません。けれど、考えてみると北斜面に代々住み続けている家の暮らしぶりからは一向に不自由さが感じらません。それどころか、その着実な仕事ぶりにいつも感心させられるばかりなのです。


 例えば1年目は大失敗した大豆。2年目は上手く実が入ったので、味噌や醤油を作ることを楽しみにしていたのに、秋の断続的な降雨に加え、例年になく暖かい日が続き、多くの豆にカビが生えてしまいました。おまけに今だにサヤが湿っぽくて豆が落ちないので、片付かず大変こまっています。ところが、同じ条件で大豆を作ったノブさんのところでは、大豆のこなしもとっくに終わってゆうゆうと冬を迎えているようです。
 そういえばノブさんは大豆を刈り取る前に葉を全部むしりとっていました。「何でそんなことするのかな」という疑問と一緒に頭の片隅にあったその映像の記憶が、今は私の頭の中で何倍にも膨れています。「よし、来年こそは私も自然に落ちない葉はむしってとって、陽当たりも風通しも悪いこの畑で、ちゃんと大豆を乾かしてみせよう」と。
 条件の悪いところでやれば、やるなりの智恵が生み出されるわけで、悪条件も条件として飲み込んで克服しまえば、上手くやっていけるのでしょう。

 南北に長い列島の大部分が山であるこの国の地形から考えても、様々な住環境があるだろうことが想像できます。この数十年で、山奥の小さな村の多くは過疎となってしまったけれど、さまざまな土地柄で、それぞれに智恵を蓄えて生きることの大切さやその喜びのことを想い、私も一つずつこの土地での暮らしの技を身につけていきたいと考えています。
 というわけで、この冬は来る農繁期に向けてちょっとした小道具を作ったり、畑や田んぼの仕事が少しでもスムーズに進むよう、対策を練っておこうと思います。そして、春からはじまる冬への備えもまた一歩上手になって、次の冬はより愉快に過ごせるようになりたいと思うのです。

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猪レバーの薫製・ソーセージ  

 前回のよろず通信に猪の罠のパンフレットのことを載せましたが、北は埼玉から南は鹿児島まで、パンフレットを欲しいという問い合わせが10件近くに上りました。現在、猪に田畑や植林した苗木を荒されるという被害は全国に見られるようですね。

 ここ和合では昔から猪の猟が盛んです。昔は協猟といって、追う人、仕留める人などに分かれ、10人くらいのグループを組んで猪猟が行なわれていました。何日もかかってやっと一頭しとめるといった具合だったそうです。今は罠を使いますが、1人でいくつもの罠を掛けておいて数日に1度見回ります。そのために捕獲できる頭数がだいぶ増えました。

 わが家の隣に住んでいる広田くんは、沼津から4年ほど前に和合へ引っ越してきた青年です。彼は森林組合に勤めるかたわら猟師の免許を取りました。 イノシシの狩猟最盛期は発情期である1月半ばなのですが、今期、腕をあげた広田くんのワナには昨年のうちにすでにシカが2頭、イノシシが2頭かかり、まだ畑や田んぼの片付け仕事も終わらず、猟に対する心の準備が出来てなかった私たちは慌ててしまいました。(ちなみに猟期は11月15日から2月15日までです)でも、結局貴重な肉の加工が優先となり、畑や田んぼの片付けがほおりだされたままです。でも、おかげで年末年始の帰省の際にいいお土産ができました。

 解体された肉は手伝いに集まった人たちに決められた分量が分けられ、残りは捕まえた人のものになります。解体が終わると、猪肉やあばら骨の煮込みを囲んで、必ず宴会になり、猟の話に花が咲きます。一般に獣の肉は臭いと言われますが、きちんと血抜きされた新鮮な猪の肉はまったく臭くありません。捕ったばかりの猪のあばらの煮込みは、脂がのっていてそれはおいしいものです。

 猪の内臓が欲しい、と言えばほとんどの場合、「全部持っていけ」となります。猟や解体に関わる人間が多くて、獲物が少ない昔は猪の内臓までもが貴重品でしたが、捕獲数が増えたうえ毎日の食卓に肉類がのるようになった現在では、手間のかかる内臓は捨てられることが多くなりました。

 そういう内臓をもらってきては、レバーの薫製とイノシシの腸に脂身や端切れ肉を挽いて詰めて燻したソーセージを作るのがわが家の定番となりつあります。

 イノシシのレバーの薫製はまろやかで絶品です。野性の動物は、山のものしか食べていないのでまさに安全そのものとも言えるでしょう。

 ソーセージは、前年試行錯誤をしながら竹と晒布で作った絞り器具を使って作ります。3層で構成されている腸をまん中の薄皮だけにしたものに香り付け、味付けした挽き肉を絞りこんで、最後にねじって乾かし、燻し、ゆでます。慣れてみると意外に簡単です。

 先日は近所でイノシシを解体している人から「おい、ハラ(内臓全部)やるか」と声をかけられ、まだ体温のあるハラを丸ごともらいました。もしかして「吉田はハラ食うぞ」なんてウワサが広まっているのかしら、と内心ヒヤヒヤ。でも何と言われようとハラを食べられる幸せには代え難いので仕方ありません。

 野菜や穀物だけでなく、肉の加工品までも自前で出来るとは思ってもみなかったので、嬉しい限りです。機会があったら是非味わいに来てください。

 左の写真は竹をナタで削り、紙やすりで一生懸命磨いてツルツルに仕上げたソーセージ詰め具です。(弓作)

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欅(ケヤキ)のテーブル

   巾×奥行×高さ(mm)1500×850×680

 近所の製材屋さんから、手持ちの欅の板を天板にしたテーブルを作ってくれ、と頼まれました。うちで作る家具の第1号になりました。いつも丸太を挽いてもらったり、物置小屋などを作るときの材料を安く分けてもらったり、大変お世話になっている製材所です。

 和合では、林業の仕事に就いている人が何人もいますし、代々自分の山林の手入れをしている家も多くあります。うちはストーブやお風呂に薪を使っているのですが、そういう土地なので、焚きものには不自由しません。そのうえ「何か作るならこの木使うか」、と広葉樹の丸太を譲ってくれたり、タダでくれたりする人がいて、最初はちょっと驚きでした。以前飛騨にいるときには、木工といえば板になって乾燥された材料を買うことしかしていませんでした。それらの中には、外国から輸入されたモノや、用材として一度に大量に伐採されたモノも含まれていることでしょう。しかし和合のような環境の中で最近思っていることは、できるだけ身近で、やむをえず伐られた樹をなんとか活かしていくことはできないか、ということです。

 例えば道路の工事のためや、新たに植林をするために伐られたりとか、災害で倒れたとか、間伐されたとか。そういった木のうち、特に価値の無い木はその場に捨てられるかチップにさる運命です。(しかも価値がある木というのは、ごくわずかです。)しかし、このような現実を一概に非難することもできません。林業の現場に身近に接していると、木を伐って出すことがいかに大変なことなのかが、とてもよく解ります。輸入材におされて木材価格が下がる一方で、現場で働く人の賃金も出さなくてはなりません。そうすると価値の無い丸太を出して運んでも一文の得にもならない、という話はよく耳にすることです。(なにも林業だけではなく、こういった構図は第一次産業全般において見られることで、これを読む人の中には充分体感している方もいらっしゃると思いますが。)

 そうは言っても、丸太を製材して桟を入れて積み上げ、完全に乾燥が済むまでにはかなりの時間と手間がかかるし、軽トラックしか持っていない身としては、丸太を運ぶというのもなかなか難しいのですが。

 ちなみに今回の欅は、県境を挟んでお隣の豊根村の人が伐った樹で、その人に電話して訪ねると、和合の中の日吉という集落で15年ほど前に伐ったものだということがわかりました。この樹は誰が伐ったのだろう、いつどこで伐ったのだろう、ということを順々に調べて回ると、意外に身近なところに行き着いたのです。

 たまたま地域の人たちが集まる機会があったので、日吉に住んでいる人に話しかけてみました。すると、「あーあの××さんのとこの欅かぁ」と、とても嬉しそうに話し出すのです。するとそれを聞いていた何人かの人も、「あの樹を伐るときは大変だったんだ」「誰んとこから行ったんだ?」「そりゃ根っこの部分だろ」など口々にいろんな話しをしてくれました。

 それは大きい欅だったそうで、一番玉を4メートルの長さに伐ったときに、末口の直径が120センチもあったそうです。一番玉というのは一番根元に近いところのまっすぐな部分のことで、末口というのは丸太の先の部分のこと。ということは、この欅が生えていたときには、地上4メートルを越える部分で直径が120センチ、という大木だったということです。しかも驚いた事に私が使った板は、その欅の根張りの部分だったそうです。これを伐った山師の人が、丁寧に伐り分けて持って帰ったものが、巡り巡ってうちの作業場にあったということになります。どうりで木目や形が複雑で、仕上げがやっかいだった訳です。

 それにしても日吉の人達がその樹のことを良く覚えていて、しかも嬉しそうに話をしてくれたことはとても印象に残りました。あの欅がすごい大木で、その樹が人々の意識をとても強く惹き付けていたのでしょう。

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