八嶽山(1140m)  2006,4,23
愛知県境の山を愛知側から登ってみたら、なんだか伊那谷の山の気がしなかった。でも登ってみるといい山だったので、伊那谷の山ということにしておく。

どこがいいかというと、まず登りがいがある。たっぷり2時間の急登は一汗どころか二汗も三汗もかく。県南部のたかだか1100mの山では、普通はこうはいかない。

次に、山頂からの眺めがまずまずだ。稜線に点在するブナもうれしい。そしてなんといっても東又の集落跡というのが良かった。人によっては薄気味悪いというかもしれないが、私が立ち寄った時は日の光がサンサンと照りつけて、石垣や石階段に枯れ葉が積もった美しい史跡に見えた。
こんな場所にどうして集落があったのだろうと不思議に思う。ぜひ一度お立ち寄りを。

ルートマップはこちら

熊野神社鳥居から佐久間ダム湖

湖畔に建っている富山支所の駐車場から、民家の間の階段をつかってここまで登ってくる。茶畑が広がっていた。
ここから本殿の右に向かって歩くと登山口がある。
この地図のルートはデタラメだ

このマップに使われている地図は地理院の2.5万図だが、破線道がてんでデタラメだ。そのデタラメな破線道を信じて説明文が記入してあるので、なんとも痛々しい。

登りは尾根からはずれることはないし、東又峠や東又集落跡にいたっては、まったく違うところに書いてある。

正しいのは当HPのルートマップの方である。
ニギンジってなんだ

スギの植林地を斜登して尾根に出たところの地名がニギンジ。ニギンジってなんだ?
漢字か、方言か、はたまたアイヌ語か。

で、その次の地名もハナノキアラシ。
ハナノキ荒らし、なのか。そんな悪いやつがいるところなのか。不思議な山だ。
モノレールには幻滅

スギ木立ちの中をモノレールの架線が登っていく9合目。なんともゲンナリな風景だ。何のためのものかわからずにそばを登ったが、山頂に着くとそれがわかった。電波反射板の建築資材を上げたようである。完成したらさっさと撤去しましょう。
山頂三角点は展望なし

最後の急斜面をあえぎながら登りきると、南はヒノキの植林地、北は落葉広葉樹林に挟まれた小さな山頂があった。展望は良くない。西側直下の空き地に下りて、小さな展望台に登ると眺めがいい。

浜松から来られたというご夫婦としばし山談義。
奥三河の山を教えてもらった。
樹間からわずかに南駒

山頂付近を移動してみても、北の展望がいいところはあまりない。北斜面は緩やかで登りやすそうに見えた。
東又峠

いかにも峠らしい地形だ。写真の右側はほぼ平坦なヒノキの植林地なのに対して、左側は急斜面の笹原だった。この非対称地形は天竜川が長い年月をかけて削ったせいだろう。
袖山まで30分のプレート

その峠にあった、袖山への道標。昨年秋のものらしいが30分とは健脚な気がする。袖山の方が八嶽山より標高はずっと高いので、次の機会には登ってみたい。
東又峠直下には林道が来ていた

上の袖山プレートの右に白いものが写っているが、これが林道である。きれい過ぎるぐらいに整地された真新しい林道だ。長野県側の坂部、柿の平集落から登ってくる林道だと思う。
旧東又集落跡

幾重にも重なった段々畑の石垣。家や小屋といった建物はまったく見当たらない。何軒あったのかもわからないが、生活するのはさぞ大変だったことだろう。
生活圏は富山に下るより、峠を越えて坂部に向かった方が近いのではなかったか。
ふもとの集落にもどってきた

長い長い巻き道をたどって、ようやく集落にもどった。富山小中学校の体育館、兼グランドの白屋根が見える。佐久間ダム湖に向かって緩やかに落ちる斜面にへばりつくような町並み。どの家も横長の家だった。

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