テノール歌手の錦織健くんは,高校時代の同級生だ。 島根の田舎の高校に入学した私は,1年で健くんと同じクラスになり,入学時の記念写真のようなものをいっしょに撮っている。 中学校は健くんとは違うのだが,当時の男子中学生はみな丸刈りだったから,自分も健くんも中途半端に伸びた髪を頭に乗せて真顔でカメラに向かっている。 彼がテノール歌手としてメジャーになったあと,飯田市の中学校で一緒に働いていた音楽の先生が彼のファンだと言うので,その高校1年生の時の写真を見せてあげたら,健くんの童顔を見てキャーキャーいって喜んでくれた。 |
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高校1年の時の健くんの思い出で一番印象深いのは,広島県の江田島にある国立青年の家に宿泊訓練に行ったときのことだ。 彼は当時からバツグンに歌が上手く,ギターも弾けた。休憩室のような部屋に据えてあったギターをかかえて,彼はクラスの同級生と歌っていた。 ビートルズはもとより,定番のキャンプソングやアニメソングまで,何でも演奏した。消燈時間がくるまで,楽しい歌声と笑い声の輪の中心にいる彼を見て,すごい男がいるもんだと,特別何のとりえもない私は彼に少し嫉妬した。 |
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2年3年とクラスは別になってしまったので,彼の詳しい毎日は知らないが,3年時の芸術選択科目に音楽を選択した私は,その時間だけはまた彼と同じ授業を受け,同じ歌を歌った。 久しぶりに聞いた彼の声には圧倒された。声量といい,高音の響きといい,これが同じ高校生かと思った。私がヒーヒーいいながら出している,まるでニワトリが首をしめられたような声とは次元が違う。 あとになって健くんが,「どうしてテノール歌手になったかというと,周りの友達よりもずっと高い声が自分には簡単に出せることがわかったから」と,あるインタビューに答えていたと記憶するが,その周りの友達の一部が実は私たちだったわけだ。 そうしてみると,彼が第一線のテノール歌手になったほんの小さなきっかけづくりを,この私たちが後押ししたとも言えるわけで,それはそれでこのヘタクソニワトリ声もまんざら人迷惑ばかりとはいえない。 |
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いつかの立ち話で,案の定彼は音楽大学への進学を希望していると話し,不得意なピアノの練習をしているんだと言った。不得意といっても,もともと音楽の素養があるのだから,すぐに上達したのだろう。 |
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その健くんと約25年ぶりに再会したのは,上伊那郡の飯島町で開かれたコンサートだった。下の写真がそのコンサートを終えた後の記念写真で,私服に着替えた健くんとピアニストの女性,実行委員のみなさん方が一緒に撮ったもの。 「懐かしいねえ。こんなところで会えるなんて」と握手をかわしてから,ずうずうしくも最前列で撮らせてもらった。というのも,私は当時この町の中学校に勤務しており,町のコンサート実行委員会の方と知り合いだったのだ。 |
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コンサートの当日,お昼を過ぎてからだったと思うが,実行委員の方が健くんらをJRの駅まで迎えに行って下さった。飯島町のホールに向かう車中で,健くんにこう聞いてくれたらしい。 「実はこの町に,錦織さんの高校時代の同級生がいるようなんですよ。」 「へえ,誰ですか。」 「○○さんなんですが。」 「あー覚えてます覚えてます。そうですかあ」 と,まあこんな会話があったと聞いた。 「誰ですかそれ,知らないなあ。」なんて答えられたら,悲しくなるところだったが。 |
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私もちゃんとチケットを買って,観客席の最後列で彼の歌とトークを聞いた。実はそのコンサートの前にも一度,もっと大きなホールで彼のコンサートに行ったことがあるので,今回で2回目だった。前回と同様に,話しもうまいしおもしろい。歌はやさしくて艶のある声なので,女性ファンが圧倒的に多い。 演奏がすんで実行委員会といっしょに会場を片付けた。そして二人が来るのをステージで待つ。やがて健くんが楽屋からやってきたので,こちらから近寄った。向こうも私とすぐにわかってくれて握手。 「ぼくのこと覚えてくれてました?」 と尋ねたら, 「覚えてますともー。」と,くったくなく笑ってくれた。 高校生のときはすらりと細身な体だったと思うが,今はがっちりとした体格に変わっていた。大きな声量を出すためには,体格もある程度考えるんだということをトークの中で言っていた。 |
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そんな訳で,コンサート当日は会えるうれしさ半分と,知らん顔されたらどうしようという怖さ半分で,ドキドキの一日だった。健くんとの記念写真は,ミーハーな私にとっては宝物,宝物。 | |
おわり | |
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