子どものころから野山を歩くのが好きだったためか、私は大学でも地質を学んだ。 地質を研究するためには地質調査をしなければならないから、山は山でも道のないところをよく歩いた。従って、2.5万図を持っていれば、山はたいていどこでも歩けるという自信のようなものがあった。おかげで現在でも、地形図を読んで目的地にたどりつくことに、そう困難はない。 ところが、かつて一回だけ、完全にどこだかわからなくなってしまって、座り込んだ経験がある。今回はその話をする。 |
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実はこの話は、過去に一回文章にして活字になった記憶があるが、それが何の文集だったか、それとも機関誌だったか思い出せない。長野に来る前のことには間違いがないから、今から20年ぐらい前のことである。 季節は秋だったように思うが、肝心の山の場所が思い出せない。この文章を書くにあたって、かなり多くの地図を見返したのだが、結局まだ不明のままである。島根の山だったか、それとも広島の山だったか。いずれにせよ大した山ではない。おそらく名前もないようなピークだったと思う。 いつものように地図を片手に山の尾根を歩いていた。歩いていた目的は地質調査ではなかったと思う。どうしてそう思うかというと、もし地質調査なら、クリノメーターというコンパスを必ず持っているからだ。その日は私はコンパスを持っていなかったのだ。だから迷ったと言ってもいい。もし、小さなコンパスでも持っていればあんなことにはならなかった。 |
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その山の地形図を思い出しながら手書きで書いてみた。 |
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勘のいい読者の方は、この地形図だけでもうおわかりだろう。落葉樹の密生したピーク。天気はくもり。 しかも私は、山頂でついうっかり体を回転してしまったのだ。もちろん、道や踏みあとはない。枯れ葉がつもっているだけの小さなピークであった。 |
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南西から尾根づたいに歩いてきてこのピークを越え、北東に続く尾根にぬけるつもりだったので、尾根上のこの小さなピークを登っているときには地図など見ていない。いま思えば登る前に地図を見ていれば、もっと警戒したかもしれない。 私は普段どおりにてっぺんまで来て腰をおろし、リュックから水か何かを出して飲んだ。それから立ち上がって木を見ながら思わず体を回転してしまった。その瞬間、方角がわからなくなってしまったのだ。 あわてて私は自分の足跡を探した。枯れ葉が一面に積もっていたので、ほんの少しの枯葉を蹴った跡とか、靴が滑った跡とかを、慎重に探した。4、5分は探したがダメだった。そこでようやく迷ったことを自覚した。地図を開いてこの地形に気がついて、樹林の中からはまわりの地形を見ようとしたが、木が密生してまったく見えない。コンパスに頼りたくても今日は持ってきていない。 |
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少しあせった。 あせって次に考えたことは見覚えのある木や石を見つけることだった。 それからは何度も下っては登りかえし、また下っては登った。どこからでも登りは登りなので、必ず同じピークに帰ってこられるから、その点は平原で迷ったのとは違う。 でも、ここから脱出できない。15分から20分ぐらい、付近をさまよったがどうしても見覚えのあるものがない。困った。とうとう私はピークで座り込んでしまった。 こんな経験は初めてだった。地形図だけで山は歩けるという自信がゆらいだ。 待てよ、落ち着け、何かいい方法があるはずだ。 私は気を落ち着けて作戦を練った。いちいち登り返さなくてもすむ方法はないかを考えた。そこでひらめいたのは、らせん。そうだ、らせん状に下ってみよう。 |
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つまり、この図のように下っていけば、どこかで必ず見覚えのある尾根にぶつかるはずだと考えたのだ。 |
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一回で勝負を決めようと思ったので、このらせん作戦は慎重に行った。ときどき立ち止まってピークの方向を見上げ、その光景に見覚えがないかを確認した。上のらせんからあまり大きく下に下らないようにも注意した。枯れ葉を踏んでぐるぐる回った。 そして、何回目かのらせんで、ついに見覚えのある転石を見つけた。地質屋の習性で、石を見たら無意識のうちに「砂岩!」とか思ってしまうので、その石を記憶しているのだろう。別にハンマーでたたいたわけではないのだが、たぶん私と同じような地質をやった人なら誰でも同じ習性を持っていると思う。おかげで私は助かった。 |
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これだ!この尾根だ! らせん作戦が成功したと思った。 迷ってから約1時間たっていた。でも、道に迷っての1時間はかなり長く感じた。 もうあとは来た道を引き返すだけだ。当初の目的の尾根歩きはやめてさっさと帰ることにする。 この体験以後は、小さなコンパスを幾つか買って、どのザックにもくくりつけて歩くことにした。地図とコンパス、それと、今自分がどこに立っているかを地形図と実際の風景から読み取る技術。そういうものが一つでも欠けていると、どんな人でも迷うことがあるということがわかった。 |
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今は時計にコンパスが内臓されているものや、GPSなるものがあります。GPSはそれなりの値段がしますが、とてもいいと思います。地図上に自分の位置が明示される機種もあるので、極端に言えば地形図さえも不要です。でも、電池が切れたら恐ろしいことになりますが。 自分の力量を見極めて、安全に登りましょう。無理はしないことです。 |
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おわり | |
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