ヒマラヤ・マウンテンフライト 2000,11,5 |
2000年の秋、伊南中学生海外派遣国際交流事業の生徒引率として9日間、ネパールを旅してきた。
海外旅行は生まれて初めてで、事前の準備や旅行先の公式訪問など戸惑うこともたくさんあったが、何しろ旅の最後の日には大ヒマラヤのマウンテンフライトが待っていることが私にとっての最大の楽しみだった。
ネパールにはまた行こうと思っているので、参考のために今回の日程や経路を簡単に載せておく。
10月29日 名古屋空港からタイ・バンコクへ移動 バンコク市内のソル・ツインタワーズホテル宿泊
10月30日 バンコクからカトマンズへ移動 国内線でポカラへ移動 ホテルフェアプリンス宿泊
10月31日 学校訪問 ポカラでホームステイ
11月 1日 パーティー フェアプリンス宿泊
11月 2日 カトマンズへ移動 JICA訪問 ブルースターホテル宿泊
11月 3日 海外協力隊視察 カトマンズでホームステイ
11月 4日 ホストファミリーと行動 ホテルでお別れパーティ ブルースターホテル宿泊
11月 5日 ヒマラヤ・マウンテンフライト バンコクへ移動 深夜にバンコク発
11月 6日 朝、名古屋着 伊那谷に帰着
日程はたいへんハードで、中にはカトマンズのホームステイ中に体調を崩す生徒もいた。私も最後は少し体調を崩し、バンコク空港の待合ロビーで時間をつぶしているときに微熱が出た。すぐに風邪薬を飲んで、名古屋行きの飛行機の中で毛布をかけてぐっすり眠ったら、いっぺんに治った。機内から朝の名古屋の街を見下ろしたとき、夢のようなネパール旅行が終わったと実感した。
マウンテンフライトは小型のプロペラ機で約1時間のフライトだった。座席の窓が小さくて自由なアングルで撮れないのは少し残念だったが、それでも40枚ほどヒマラヤを撮った。写真ばかり撮っていると、生で見る感動がなくなるので、時々は生の山並みに見とれていた。写真はどれもフィルムで撮ったものなので、あとでスキャナーでデジタル化した。従って白とびが気になるがこればかりは仕方ない。
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まずこの写真はマウンテンフライトではなくて、行きのタイ航空の機内から見たアンナプルナ山群である。たまたま座席が左端だったのでカトマンズに近くなったときにポカラの方向に向いて撮った。ガラス越しなので色は悪い。
右の白くて大きい台形の山はアンナプルナU峰(7939m)で、写真のど真ん中にアンナプルナT峰(8091m)がある。かの有名なエルゾーグが大変な目にあいながらも初登頂した山である。
その左に大きな谷を隔ててそびえるのがダウラギリ(8167m)。1960年にスイス隊が登頂に成功した。 |
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カトマンズに着いたらそのまま国内線に乗り継いでポカラの町に向かった。この飛行機はボロかった。日本の昔のバスのシートがむき出しに並んでいるだけのような室内で、乗客はやはり外国人が多かった。地元の人はよほどのお金持ちしか乗らないのだろう。
ポカラの街からはマチャプチャレ(6993m)のとんがりがどこからでも見える。後ろのアンナプルナの山が低く見えるが実際は1000mも高い。山の距離感がつかめないために高度の感覚が麻痺しているのだ。
日本の山のようなわけにはいかないのである。
マチャプチャレには現在登山禁止令が出ていて登れないらしい。 |
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ポカラで泊まったホテルは日本人が経営しているので、食事は日本食だし、日本的な展望大浴場もある。外観はいたってネパール風なのだが、部屋は落ち着いて眠れた。翌朝目が覚めると外はヒマラヤ。まったく夢のような旅である。
上の写真は市内の寺院から撮り、この写真は街の東の郊外から撮ったものだが、上とほとんど同じ構図になっている。つまり、あの山はずっと遠くにあるため、たかだか数キロの移動ではアングルが変化しないのである。ホテルの後ろは田んぼで、ちょうど稲刈りの季節だった。 |
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ここからがいよいよマウンテンフライトの写真。
カトマンズから朝日を浴びながらまっすぐにエべレストに向かって飛ぶ。貸切なので座席は自由に動けるのが良かった。
写真はネパールの東の端にある世界で三番目に高い山、カンチェンジュンガ(8586m)である。1955年、イギリス隊が初登頂。そのすぐ右手前ににジャヌーが写っていると思うが違うだろうか。「ジャヌー北壁」は故小西政継さんの本で、私の愛読書でもある。東に見える圧倒的に高い山を探せばすぐに見つかると思う。 |
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次はマカルー(8463m)。
1955年にフランス隊が登頂した。トラブルも事故もなく、9人全員が登頂するという完璧な登山だったらしい。
ここまで飛行機が飛んでくると、ヒマラヤの山並みはまるで嵐の海に三角波が立っているような景観だった。とげとげした白と黒の山々は日本の山とはまるで違う、宇宙的な風景だと思った。
マカルーもエベレストより東の山なので、飛行機の右座席から撮った。 |
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そしてこれが世界の最高峰、エベレスト(8848m)。
ヒラリーとテンジンが1953年についに人類の夢を果たした山。頂上でピッケルを持ち上げて笑っているあの有名な写真の人物はテンジン(シェルパ)の方である。
手前の右端の山がローツェでこれも8000mを越えている。
機長は飛行機をエベレストに正面に向け、乗客をコックピットに順番に入れてくれる。ここで3枚撮った中の一番良く写った写真がこれである。
サウスコルはローツェの陰で見えないが、南峰が見えたりして、自分が登っているつもりになれる。
いつか自分も登ってみたい山。 |
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飛行機はやがて旋回して機首を西に向けた。
すると右座席から正面にご覧の風景が広がる。
右端の中ほどにアマダブラムが見えている。里から見上げると尖塔のようにとがった山である。
反対側の翼の右下にはプモリも光っている。ネパールからアプローチする登山隊は飛行機の真下の谷をキャラバンしてきて、さらにプモリの方の谷に進む。プモリの下にベースキャンプが張られるのである。 |
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プモリの拡大。
カラパタールの丘という小高い丘がそのふもとに見えている。ベースキャンプに着いた登山隊やトレッキングに来た人がよく登る丘だ。
エベレストは無理でも、せめてこの丘ぐらいまでなら私でも来られるだろうと希望を膨らませた。 |
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飛行機はエベレストから離れていく。これはエベレストの西にあるチョ・オユー(左)とギャチュンカン(右)である。
チョ・オユー(8201m)は1954年にオーストリア隊が初めて登っている山で、8000m峰の中では比較的登りやすいようである。
ギャチュンカン(7985m)は1964年に長野県山岳連盟隊の堺沢清人さん(駒ヶ根在住)らが初登頂である。
また、最近ではソロクライマーの山野井泰史さんらが北西壁からに登り、壮絶な生還を遂げた山でもある。 |
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最後はシシャパンマ(8013m)だと思う。ちょっと自信がない。
この写真だけなぜか、スキャンの設定が悪かったのか絵画風になってしまった。
シシャパンマは完全に中国領にある山で、中国隊が国の威信を懸けて1964年に登頂。
飛行機はこれより急速に高度を下げてカトマンズにもどってしまった。どんな楽しいことも必ず終わりがくるものである。
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私にとっては夢にまでみたヒマラヤの名だたる峰々がこの目で確かめられて、陶酔した気分だった。大変だった引率も、このフライト一つで報われた感じがする。現在、ネパールの治安が少し悪くなっているため、中学生の派遣は中断しているが、もし再び機会があれば行ってみたいと思う。その時のためにも体力だけはつけておかなくては。
注意:山座同定は細心の注意をはらったつもりですが、ひょっとしたら名前が違っているかもしれません。標高も諸説あるということなのでよくわかりません。もし、違っていたら教えて下さい。
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<参考文献>
・「ヒマラヤ50峰」 内田良平 2001 朝日ソノラマ
・「トレッキング in ヒマラヤ」 向一陽/向晶子 2001 中公新書
・「ヒマラヤ登攀史」 深田久弥 昭和32年 岩波新書
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