カルナック神殿
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訪問日 :2009年11月13日 14:50-16:10
入場料 :65LE(1170円)
建造年 :BC1400頃−AD400年頃
所在地 :ルクソール東岸
祀神 :主神殿 − アムン・ラー神 ・ コンス神
:付属神殿 − ムト女神(アムンの妻)
:
− メンチュ神
:
− その他多数の小神殿 |
人類史上最大の神殿複合体。アメン大神殿を中心に南にムトー神殿、北にメンチュ神殿を配し、アメン大神殿だけでも30ha、すべて合わせる
と100haを超す面積を有す。ムトー神殿とは、第10塔門から洋頭スフィンクス参道で結ばれ、さらに南方ナイル川河畔にあるルクソール神殿と
も3kmのスフィンクス参道で結ばれていた。(現在は結ばれていない) ここルクソールは古代にはテーベといわれ、中王国時代(BC2055-BC
1650年)から始まり新王国時代(BC1550-BC1069年)にわたりエジプトの行政上の首都となり、その後は数世紀にわたって宗教上の首都とし
て発展していった。カルナック神殿は、初期の頃は地方神のアメン神を祀る神殿だったが、首都になるとアメン神は太陽神のラーと合体し、国
家最高の神、アメン・ラー神となった。その後、ハトシェプスト女王やトトメス3世、セティ1世、ラムセス2世等が神殿を建設し、その後も増
改築が続き、プトレマイオス朝時代(BC332-BC32年)やローマ帝国時代(BC30-AD395年)の遺構も残る最大神殿へと発展していった。が、
それでもなおかつ、いまだ未完成と言うのが恐ろしい。(完成させる予定はないと思うが) |
第一塔門 |
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スフィンクス参道と第一塔門
かつては3km先のルクソール神殿まで連なっていた。
ただし、現在のこのスフィンクスは、もともと第一中庭に有ったものを運び出したもの。
また、スフィンクスのライオンの前脚の間には王の像が有るが、殆ど破壊している。
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塔門側から見た羊頭スフィンクス(左)
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羊頭スフィンクス(右)
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癒し系の顔をしていますネ
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第一塔門を入り、右の裏側に廻ると、そこには残土が。
これは、泥煉瓦でつくられた工事用の傾斜路で、
塔門が未完成である事を物語っている。
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奥の2本の列柱を見て下さい。凸凹しています。
これを見ると列柱の製造工程が理解できます。
石を概ね丸く平らにして積み上げ、その後で予定の形状に
削って最後に磨きをかけて仕上げていたようです。
イシス神殿の列柱についての記述を参考にして下さい。
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前足の間に王の像
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左側のスフィンクス列。顔が無事なのは、こちらの方がが少ない様ですね。
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右側の巨大な柱は、第25王朝タハルコ王(在位BC690−664年)
が建てたパピルス柱。元は10本有ったが現存は1本のみ。
その後ろは、第2塔門とその前に立つラムセス2世の像。
第2塔門は、第19王朝セティ1世(在位BC1294-1279年)が建設。 |
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第一中庭の右側にある「ラムセス3世神殿」
左端に微かに見えるのが、第2塔門。
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オシリス姿のラムセス2世像。
造ったのはラムセス2世だが、第21王朝の
パネジェム王(在位BC1069-1043))が書き換
えてしまった為、「パネジェムの巨像」とも呼ばれる。
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ラムセス2世像
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大列柱室
第二塔門を過ぎると、大列柱群が迫る。開花柱12本、閉花柱122本の計134本は壮観。
古代のナイル川にパピルスが繁茂する様を表現したのでしょうか?
列柱室の右側の列柱群が、映画「ナイル殺人事件」の撮影場所ですね。 |
開花パピルス柱。高さ21m。
両側に12本有ります。
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閉花パピルス柱。高さ15m
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明かり採りとして機能していた高窓と、
のきに施されたヒエログリフ。
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ヒエログリフに残る彩色
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パピルス柱のレリーフ
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詩情あふれるお姿
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トト神 / ? / ホルス神
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オベリスク
殆どが花崗岩の一枚岩でつくられており、断面が四角形で、上に行くほど徐々に細くなり、先端はピラ
ミッドと同じ四角錐となっている。特に新王国時代(BC1550-BC1069年)に多く制作され、神殿など
のモニュメントとして建てられた。 又、古代のピラミッドがオベリスク変化し、その代わりにピラミッ
ドが造られなくなったとの説もある。エジプトで建立されたオベリスクは、数百基と言われているが、現
在エジプトに立っているのは7基で、国外に持ち出された23基と合わせ30基が知られている。下記に
現存するオベリスクを大きい順に並べた。
順 |
建立した王 |
高さ |
現在の所在地 |
1 |
トトメス3世 |
32.18m |
イタリア |
ローマ |
サン・ジョヴァンニ広場 |
2 |
ハトシェプスト女王 |
29.56m |
エジプト |
ルクソール |
カルナック神殿(アムン大神殿) |
3 |
トトメス3世 |
28.95m |
トルコ |
イスタンブール |
ヒポドローム |
4 |
不明 |
25.37m |
イタリア |
ローマ |
サン・ピエトロ広場 |
5 |
ラムセス2世 |
25.00m |
エジプト |
ルクソール |
ルクソール神殿 |
6 |
セティ1世及びラムセス2世 |
23.20m |
イタリア |
ローマ |
ポポロ広場 |
7 |
ラムセス2世 |
22.55m |
フランス |
パリ |
コンコルド広場 |
8 |
プサムテク2世 |
21.79m |
イタリア |
ローマ |
チトリオの丘 |
9 |
トトメス3世 |
21.21m |
アメリカ |
ニューヨーク |
セントラルパーク |
10 |
トトメス3世 |
20.88m |
イギリス |
ロンドン |
テムズ川のエンバンクメント公園 |
11 |
センウスレト1世 |
20.41m |
エジプト |
ヘリオポリス |
カイロ郊外 |
12 |
トトメス1世 |
19.50m |
エジプト |
ルクソール |
カルナック神殿(アムン神殿) |
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トトメス1世のオベリスク
高さ23m(含台座)で赤色花崗岩製だが少し傾いている。
それでも倒壊の危険はないそうだ。また、もう一方のオベリ
スクは台座のみで、材料として使われてしまった様だが詳細は不明。
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ハトシェプスト女王のオベリスク
エジプト最大で高さ29.56m、重さ323トン。
建設当時は膨大なる琥珀金で覆われていたと言う。
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左がトトメス一世のオベリスク
右はハトシェプスト女王のオベリスク
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倒れてしまったハトシェプスト女王のオベリススク。
おかげさまで、先端が良く分かる。
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ご存じ、スカラベ。
日本名は糞転がし。なぜ、エジプトの守り神になったのか?古代エジプト人は糞玉を転がす
スカラベをみて、太陽の回転を司るケペラ神の化身とみなし、また糞玉から成虫となって出
てくることから、不死、復活の象徴として崇拝し、お守りとして崇めた。この、エジプト最大
(=世界最大)のスカベラは、赤色花崗岩製で第18王朝のアメンホテプ3世(在位BC1390-1352年)
が造った。
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スカラベを巡り、ひと騒動! |
ガイドさん |
「実は、このスカラベの周りを3回廻ると願い事が叶います」 |
お客A |
「え〜! ほんと! 私、廻ろう。」 |
全員 |
「それは良い事聞いた。それじゃ、私達も廻ろうかね。」 |
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と言うことで、皆で揃って、ゾロゾロ。無事3回廻りました。
皆が 廻り終わると、チャメッケたっぷりのガイドさんが。 |
ガイドさん
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「皆さ〜ん。御苦労さまでした。でも、今のは反対で〜す。
反時計回りが正しいで〜す。」 |
全員 |
「エー! 逆ですか? 早く言ってよ。わざとでしょ」 |
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と言いながら、始めからやり直しました。おかげさまで、皆さ
ん6回廻りました。あー、暑くて疲れた!
でもこの言い伝え、後から適当に作った話見たい!? |
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皆で、ウィワイガヤガヤ、スカラベを
グルリグルリ、右、左と、6回も廻りました。
良いこと有りますよね。絶対に!
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美しき偶像
欠損がホントに 惜しいですね。こんなの見ると、欲しくなります。
盗掘と判っていても手に入れたい人の気持ちが、少し分かりますネ。
でも、絶対にいけません! |
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トトメス3世祝祭殿
アムン神殿を通り抜けると広場に出ました。この広場にも、古の大昔、重要な神殿が建っていたと
思われますが、石材が奪い散られ、一部のアラバスターや方解石の痕跡が残る程度で、写真のよう
に何もない広場となってしまっている。そして、その広場の先には見えるているのが、トトメス3世
の祝祭殿です。列柱や壁面、天井にいたるまで、エジプト全土の植物が彫り込まれていることから、
「トトメス3世の植物園」とも言われている。 |
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かなり荒廃が進んでいますが、
それでも良く残っている方でしょうか
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トトメス3世祝祭殿からみたアムン神殿
ナツメヤシの木が旅情を誘う。
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モニュメントのオベリスクに、美しい雲が!
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スフィンクスに見送られ
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カルナック神殿を後にホテルへ。
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第一塔門から、明日の訪問地「王家の谷」を望む。
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