◇縁起
大宝2年(702)、奈良東大寺の行基菩薩によって、仏教敷衍と学僧育成のために開かれた寺院です。 平安・鎌倉時代には「望月の牧」の牧官滋野一族、戦国には武田信玄、江戸に入ってからは小諸藩とのかかわりを持っていました。 現在は約18,000坪の境内地に、江戸時代中期の元禄15年(1702)建立の本堂[観音堂]を中心に10棟余りの堂宇が立ち並び、開山から1,300年の古刹の姿を今に伝えています。
◇談義所【学問寺】
当山は、古代東山道沿いに位置する東信濃の学問の拠点で、学僧の養成所でした。栃木の日光山輪王寺所蔵の古文書には、鎌倉時代中期の建治2年(1276)に「津金寺談所」の寺名が記され、今日における日本で最も古い天台宗の談義所です。近くには丸子町に越智福是山談所(廃絶)がありました。また南北朝時代にと当寺で著された「津金寺名目(仏教概論書)」は、天台宗内外の多くの寺で重く用いられ、比叡山や関東地方の談義所との交流も盛んに行われました。また当時の学僧の院坊の跡、上房(坊)・下房の字が今もこの地に残っています。
◇石造宝塔【長野県宝】
観音堂裏山中腹には鎌倉時代初期(1220)に造立された滋野一族の宝塔3基を始め、境内随所に約700基もの五輪塔や九重層塔・宝筐印塔などが林立しています。当時の人々の信仰の深さが伺われます。
◇自然【長野県郷土環境保全地域指定】
  大杉は談義所であった当時、比叡山から来た学頭(先生)が記念に植えたものと伝えられ、別名「学問杉」と呼ばれています。また早春からはアズマイチゲ、かたくりなどの様々な野草が咲き乱れ、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪景色と、一年を通じて移りゆく自然を楽しむことができます。
  ◇建物
妙見堂・仁王門は江戸時代末期に活躍した信濃の名工、立川流一門の建築です。