ウラジオストーク

 ウラジ  オストーク   意味はロシア語で東を征服せよ の意味  
 新潟空港から行きが1時間半 帰りが1時間20分の近い国だ。  時差は4月で2時間  4月初旬ウラジオストークに雪は無い  新潟や山形の山はまだしっかり雪がある 。
 今回の旅は気の合った仲間4人で出かけた  インドも一緒に行ったT氏は中国語が得意であり中国人旅行者によく声をかけていた。 旅行者は中国人が一番多い 中国も富裕層が多くなってきたせいか 2番目が日本人で年輩者が多いようだ  韓国 台湾は少ない ウラジオストークは日本に一番近いアジアのヨーロッパだ 歩いている人が違う  背が高い 足が長い 若い女の子は美人ばかりだ 年寄りはでぶばかりだ  ここの旅の楽しみは若い女性の美人を見ることだ。
 人工的なリゾートは無い 人口80万人  多くの人の楽しみは郊外にもっているダーチャ(菜園)へ週末に出かけることだ ダーチャには夫々の資力に応じて作業小屋から豪華な別荘を造っている 中でもマフィアのダーチャは豪邸だ 都市生活はほとんどがアパート マンション生活であり 週末になるとダーチャへ向けての大移動がはじまる。
シベリア鉄道の車中でダーチャへ出かける日本語の堪能なおばあさんに会った 彼女は東京オリンピックのときに2ヶ月東京に来ていたが それ以外は日本語が話せることで得したことは無かったそうだ 当時の日本語の歌を幾つも歌って聞かせてくれた ロシアでは年金は60歳からもらえる 彼女は年金生活に入っているとのことで 日本にもう一度行って見たいということであり 経費のことを聞かれたが  私達の乗った飛行機は往復49000円であり 富山から船で往復すれば25000円くらいであることを教えてあげた。 来たら案内してあげる約束をしておいた。 一緒に行ったNTTのO氏はシベリア鉄道でモスクワまで9288k
の旅をするのが今の夢だそうだ。
 町には車があふれている 信号はほとんど無い 日本車が9割以上だ パジェロやハイラックスなど4WDの高級車が多い マフィアのかかわっているものもあるかも知れない  輸入は生産後7年以内に制限されている。
 食事はホテルで食べているからどこでも同じだ  海岸端の道路ぎわで焼いている60ルーブルの焼肉とスタンドで売っている22ルーブルのビールもけっこういける。  1ルーブルは3.75円位だ。
 サッカー場隣のイタリアンレストランの彼女達は美人だ  但しレストランのビールは1本150ルーブル位だ。    
 


ウラジオストークは軍港だ                                                   オルガ

    

港の冬は凍っていて穴釣りができる         かには冷蔵庫で寝かせているせいか         道端でいっぱい
                                ぱさぱさしている。                     寒くはない

  



ウラジオストーク駅
        

極東軍基地                              ビールはあそこで買う

 

極東ロシア旅行記   相棒S・TAKANO氏記

 ウラジオストックを訳すと「ウラジオ、ボストーク・征服せよ、東を」と言う少々物騒な名前の都市。人口80万人、坂の街、港街、国境の街、ロシア人は人なつっこく親切で、ヨーロッパ人にはないアジア的な控えめさを持っている。ウラジオストックは日本に一番近いヨーロッパだ。今回の旅の楽しみは若い美人を見ることだ。

 新潟空港から行きが1時間30分、帰りが1時間20分、離陸して10分もすると新聞が配られる。飴なめ、ビール(ピーバ)、ワイン(ビーノ)、ブランデー(カニャーク)紅茶(チャイ)のいずれかを飲み。昼食をとり、デザートのりんご(ヤーブラカ)で仕上げ。飲み食いしているうちに着いてしまう。航空券往復49.000円(ちなみに富山港から船なら往復25.000円)長野市から新潟空港まで(高速料金+燃料代+駐車料金)往復20.000円(4人なので1人5.000円)

アイグン条約で中国領からロシア領になったそうだ。中国名ハイシンウエイからウラジオストックに名前が変わった、日本名は浦塩(潮)………ぼくのおやじが言うには「日本領でもあった事があり、日本人墓地がある」そうだ、………これは当てにはならネージ。

その頃の人口は数千人で虎が住む小さな漁村にすぎなかった。

 時差がややこしい、マイナス1時間なのに夏時間として2時間足してあるので、合計3時間のズレがあり、日本なら青果市場勤務、午前5時出勤、午後2時退社の中卸に勤めているような感じ、日の出時間を聞けば実際の時差が正確に分ると思う。午後8時まで明るいので屋外のことなら相当できる、サッカーは朝から入場していたが、明るい内に試合は終った、それにしても観客はすごく多かった。

1.車(マシーネ)

 ウラジオストックの車20万台は99%が日本車、その99%が中古車、ハングル文字のバスをたまに見かける。7年以上たった車は輸入禁止、10万円以上の車には税金がかかる、日本の車検切れ車なら安い車が有るかも知れない、ちなみにロシアでは車検がない。

久ぶりにスパイクタイアをはいた車を見た(タイヤの取れる自動車鰍フ車だってどんどん輸入している)

 毎日?、(確かに毎日と言っていた)富山港から何千台もの車が輸入されている、港から100メートル先にウラジオアウトック駅があり、貨物車でロシア全土へ送られている。ロシア鉄道は広軌道なので普通軌道の新幹線より大きい、列車はとにかく長い、何十両連ながっているズラね。

2.経済

 海運が盛んで、ここの船会社は世界へ進出している、南極探検をやっている会社もある。海運都市なので、市内には第2次産業らしいものはあまりない。 「海外で稼いでここへ落せ」レーニン像も右手を斜め前に出し海外で稼げのポーズをし、左手は下を向けている、この像はどんなポ−ズかイメージできますか。

このレーニン像は体制崩壊時に破壊されなかった数少ない像の一つですが、どうして破壊されなかったか、大きすぎて壊せせなかったそうです、たぶん近くに建物が有り重機が入らなかったからか。

 男性は船乗りが多いので市内は女性ばかりが目立つ。市内電車(3ル−ブル=12円)の運転手はほとんどが女性、バス(5R=20円)は男性。バスは信号機が少なく危険度が高いので男性か。皆、慣れているので信号機がなくても事故は少ないそうだ。信号機は市内で3機見ただけなので無いに等しい。信号機の無いことによる合理性を感じる。合理的と言えば車検のないのも合理的か、車検のない国など、いくらでも有る。そう言えばホテルでの男性は両替所のガードマン1人と食堂の1人しか見かけなかった

キヨースクも女性ばかり、第2次産業がないので男性の職場がない、このため男性はヨーロッパロシアへ行ってしまう、結婚しない、子供はつくらない、とも重なってウラジオストックの人口は年々減っているそうだ

3.中国との関係

生鮮野菜は中国から全て来ている、キュウリが短かくて太いのを除けば、あとは日本と同じ、リンゴは「ふじ」で小さいが味は良い小さいので、往復の機内食に出された。日本としても「みかん」などを売込めばよいのに。

 観光客は中国人(80%)20〜50代男性と日本人(20%)ジジ(ジーブシカ)ババ(バーブシカ)しか来ない。北方中国人はで寒さに慣れているので冬でも来るが、日本人は5月から10月までしか来ないとオリガ(ガイド嬢)が嘆いていた。。9月が一番温かいそうで、4月に来たのは我々が3組目だそうだ。気候は長野市と同じ、昼間は温かいが朝晩は冷える。長野、新潟の山々にはしっかり雪があるが、ここには雪はない。

 オリガさんは5月〜10月は土日もなく働き、夜は11時まで働くと言っていたが、なに、きのうは午前9時〜午後2時まで、今日は12時に来て2時に見送り、同時に新しい客を迎えて夕食まで、夜11時まで働くのは、週2便(木、日)、木曜日の客が来たときだけだから、なかなか良い商売ですよ。

EU各国はヨーロッパロシアまでしか来ない、韓国人は北朝鮮との関係か来ない。アメリカ、台湾、東南アジアも来ない、どこへ行っても中国人だらけ。

調べる必要はあるが、冬〜春に来ている中国人は北京周辺の人で、夏場になれば上海周辺の人が来ると思われる、中国では外国旅行は地域別許可制なので、まだ、中国東北部(黒竜江省、吉淋省、遼寧省)は外国観光許可が下りていないかも知れない。外国観光全面許可になれば、ウラジオストックばかりでなく、長野県のどこへ行っても中国人だらけとなるかもしれない。

 オリガの夏場の収入は月9万円になるが冬場は会社からの収入はゼロ円だそうだ、冬場ば本を読んだり翻訳をしているが、日露の交流が少ないので、翻訳の仕事も余りないらしい、ロシアでは家の中でする仕事は仕事とは言わないらしい。日本人なら冬場は出稼ぎに行くか、夏場の仕事と冬場の仕事を組合せて、周年働くだろうにと思う。船乗りの亭主も月収は17万円だが、陸に上がっている3ヶ月間は収入ゼロだそうだ。平均賃金4万円なので彼らの給料は相当高い。アパート1ヶ月、水道光熱費50j(冬は100j)ガソリン50j(1L12R) 駐車料金50j。

4.ダーチャ(菜園)

 ウラジオストック駅で出会った日本語の話せる女性は、ガイド等日本語を使う仕事をしたかったそうだが、日露関係がうまく改善されなかったため、ガイドの仕事がなく残念だったと言っていた。東京オリンピックの時に2ヶ月東京に住んでいたがその時は日本語ができたので、良い観光ができたそうだ。当時の日本語の歌を何曲も歌ってくれた。ロシアでは年金は60才からで、年金生活者だが、もう一度日本に行きたいそうで、交通費のことを聞かれた。航空券他の料金を教えてあげ、日本に来たら案内してあげる約束をしておいた。

彼女は極東国立大学東洋学部1期生(40年前)入学の60才の女性で、ババ(バーブシカ)と言うには若過ぎる人であった。、日本語で話かけられた記念に持ち合わせの日本菓子をやると、お返しの品物を探していたが、野菜の種しか持っていなかった、そこで、かぼちゃの種をくれた、検疫があるので種はお返ししたが、なぜ、デーブシカ(娘・ロシアでは20才〜70才までを娘と言うそうだ…日本だって同じだジ、と言っておいた)が、野菜の種しか持っていなかったのか、それはダーチャへ行く途中だったからです、ダーチャとは、郊外の家庭菜園のことで、アパートから30分〜1時間、国から借りた2000平方m(2反歩)、外国人には貸せないそうです。ここに小屋があり金曜日の午後出かけ日曜日の午後帰ってくる。このため金曜日(行き)日曜日(帰り)の交通渋滞はものすごい。

なぜダーチャへ行くのか、ほぼ全市民がアパート暮らしなので、やはり自然に触れる機会を持ちたいのだろう、ダーチャは庶民の作業小屋から金持ちの別荘まであるが、マフィアのダーチャは豪邸だ。

でも若者はダーチャ へは行かないらしい、もっぱら車、これも日本と同じ。ウラジオストック駅からサナトリューム駅まで35分(8R=24円)列車の乗客も皆ダーチャへ行くしたくをしていた。我々はウスリースキー湾の海水浴場へ、草むらと木の下へは行かない様にとの注意があった、なにしろ怖いダニがいるそうだ。

5.ロシアの4大珍味

(1)とりミルク(鳥ミルクはコンビニで売っていた、300〜400円位か、4人で買ったらすぐ無くなた、新しく1ケース分出てきたが4人で買ったらまたなくなった コンビニはキヨースク、またはマガジンと呼ぶらしい) 

(2)キャビヤ(50g300ルーブル=1200円)ガイドからは1人5個までと言われたが新潟税関では3個までと言われた、2個没収されたか?、初犯だったのですぐに釈放された。

(3)ウオッカ(やくやく重いものを買うことはなかった、日本のどこにでも売ている)

(4)女 性 (うちにあるので止めた、しかし、たまにはセガレにも珍味を食わせてやればよかったかな)      

日本の4大珍味

・くさや(さかなを漬けたものと言っておいた、これは珍味だわ)

・干柿 (ヨーロッパは緯度が高いので柿がない、ヨーロッパ人は世界一うまいくだものは柿だと思っているらしい、でも、しなびてしまっているが、まあいいか)

・蜂の子(スガレ)うじ虫に似ているが食べてくれるか

・さなぎ(シルクをつくる虫のさなぎだが)

  以上4品適当に上げてみたがはたして食べてもらえるか。

6.コーカサス料理

ロシア人はパンを食べていると思っていたら芋を食っていた?。牛肉じゃが、はおいしかった(フクースナ=おいしい)。食事はどこで食べても同じ様に感じてしまうが、なるべくホテルや有名レストランはやめて、庶民の行く食堂が良いと思う。最初からNツアーへ、食事はいらないと頼んでおけば良かった。海岸端の青空テーブルに座り、道路脇で焼いている焼肉2本(60R×2)瓶ビール3本(22R×3)4人で800円で充分だ、腹がへったらホテルの向い側にあるコンビニ(キオースク)で買えばいつでも食事はできる。有名レストランは高い、瓶ピーバ(ビール)1本600円(6ドル)、キオースクなら、せいぜい80〜100円。

ジプシーダンス

チップは払わなくてもよいそうだが2〜ドルずつ払っておいた。

7.婚結と離婚

結婚式衣装のままで、潜水艦博物館広場に行き記念撮影をするのが習慣だそうだ。

離婚率67%、3分の2は、いやになったらすぐに別れる

8.要塞博物館

 12時に大砲を鳴らすが、日により、12時より早かったり、遅かったり、ロシアだから気にしない。

9.鷹の巣展望台

金角湾がよく見える、光が反射して金の様に見える「ツノ」の形をした湾。