信濃教育会生涯学習講座に参加して
                                   2008 ・ 9 

信濃教育会あり方検討委員として事業の参加とレポートの提出を求められているが、先日信濃教育会生涯学習センターで、哲学の道の講義を受講した。
 若い先生方からご高齢の方まで終始熱心に受講されていた。講義の内容は、日常の教育現場に直接つながっている話ではないが、先生方には教育現場での苦労や悩み、また、喜びなどから、ふと離れて、次元を変えて、社会や経済、また、人生を考えてみる良い機会のひと時ではなかっただろうか。

今回、私は、82日の岡田勝昭先生の講義「良寛思想と現代社会」と、96日内山節先生の講義「風土と哲学」を受講した。

82日は、大変な暑さ、車のナビに生涯学習センターの場所をセットして出かけたが、古いナビのせいか、近くの公園で、ナビに目的地に到達の案内がでて案内は終了し、道に迷って講義に遅れてしまった。
 この日は、大変な暑さのため、岡田先生は、汗をわきや背中に滲ませて 講演いただいた。最近冷房のない教室で話を聞いたことはなかったが、暑さの中歴史の刻まれた教室で、受講者の先生方は寝ている方もなく、目を開いて寝ているのは私ぐらいのものであったかもしれない。

哲学は、ギリシャ語で古代ギリシャでは学問一般を意味し、近代は諸科学の分化と独立によって、哲学が諸科学の基礎付けを目指す学問となり、生の哲学や世界・人生の根本原理を追求する学問となった。
 学者によってさまざまな分野からアプローチを行っているが岡田先生は良寛研究によって人の生き方について研究している。

私は、新潟生まれの良寛と北信濃の一茶の区別のつかない人間であり、ましてや、良寛の生き方など全く興味のない人間であったが、今回受講し世の中経済やコスト面等だけでなく 人間としてどうなのか生き方としてどうなのか 改めて考えさせられた。

 講義は岡田先生自身のこととして哲学を勉強し 昔なら亡くなる年齢の五十歳を過ぎ 自分自身どう年齢を重ねていったらよいかというところから良寛の研究に取り組んだこと

そして良寛に向かって考えていると自分自身の心が安らいだり清らかになったり楽しくなっていくことを感じること。

 そして現代競争社会の中 生も死も自己責任となっている中 思想が無いとうろうろしてしまう世の中 閉塞した社会 殺人や自殺も多く 閑「あかん」ひらけない・解決の道無い・逃げ道無い中 「空ける」あかんとこあけるのは空であり 西田哲学でいう 「矛盾的自己同一」あかないままであくこと=あかんでもそのままで空く道へ転換して解決すること、良寛の中には次元転換を生かすものがあり 自由さがあるようであること。

 岡田先生の「良寛への道」は ほんとうは自己へ通ずる道の探求であり 自己への道が良寛への道でもあり、現代人である自己の内に良寛を見出すことで 自己の問題を解決し生きる方向と可能性を見出し展開できるようになるはずという。

現代であれば空腹と寒さで我慢のできない生活と思うが 「乞食僧で身分・地位・財産も無く、なにも特別なこと為すこともなく、深い哲学的思索や自己の生き方への問いかけを続け 学問にも秀で書や漢詩にも一流のものをもち 酒たばこも好きで70歳を過ぎて恋もした人生」

 子供の頃聞いた良寛の話し、改めてその生き方を心に感じた。

  

96日、内山節先生の「風土と哲学」〜現代社会のよりよい生き方を考える〜を受講する。

 会場は受講者で満杯 前回に比し大分涼しくなり講義も現状認識が中心で解りやすい内容だった。

現状認識では信毎の文化面に毎週土曜日連載されている「日本の民衆思想とは何か」が中心であった。 人の生き方 信仰については昔からそれぞれの村地域に信仰があり神道があったが明治に国家神道に統一された。
 これにより国家神道や支配者の記録は残っているがそれ以前の信仰や民衆の記録は残っていない。

戸隠神社についても明治以前は修験道系の神であり心から心へ伝えられたもので一旦破壊されると記録としては残っていない。

ご先祖様についても明治以降は個々の先祖、家単位の先祖となったが、それ以前は自分達の村を作り暮らしの基礎を作ってくれた人々が皆のご先祖様でありおおらかな信仰であった。

江戸時代人々は講で旅費を融通し富士山参拝に出掛けたが 民衆の生き方、信仰は娯楽も兼ねていた 講は庶民金融の機能を有し助け合い共に生きる心で成り立っていた。

国についても時代とともに村から地方、藩、県、日本と民衆のお国も変わってきた、支配者も利権も争う対象となる国も変わってきた、国の戦争は地球国になればなくなる、もっとも民族紛争はなくならないが。 

現代は格差社会 自己の生き方を見失った多くの人々・凶悪な事件・多くの弱者。

人々は蜘蛛の糸にぶらさがっている蜘蛛のように 役所や会社・団体等の組織にぶらさがり、退職者は年金制度にぶらさがり、教育者も文部省・教育委員会・学校にぶらさがっている。

今の社会全て個人でぶらさがっているが、蜘蛛の糸が切れたとき、社会が変わったとき対応できない個人となっている。

アメリカにおいては、一貫して市場原理主義が徹底されてきた。

経済、金融においても市場原理主義が人々と世界を幸せにし発展するという哲学のもとに市場原理主義が貫かれてきた。

結果は、経済も金融も先物市場も混乱し続け、また、人口は増加し現在67億、から90億へ向けて増え続けている。

世界の食糧生産は、人々が肉や魚を食べることをやめ穀物だけ食べるようにすれば別だが、80億人が地球の食糧生産能力からして、地球の養える限界という見方も出されている。

内山先生の自給率の考え方とは多少違うが、先進国8億の贅沢が、先進国と新興国38億人の贅沢になれば、食料のみならず、原油も資源も枯渇する。右肩下がりの経済の中、人々が方向を見失っている。

原油・資源・食料が高騰し、サブプライムで金融システムも混乱し 世界の経済が縮小していく中 地球環境の変化への対応も科学の力の限界を超えている中 体も心も拡大基調のままで 右肩下がりの社会や縮小されていく社会への対応ができない。

個人でぶらさがっている誰もが蜘蛛の糸が切れて弱者となりうる。

右肩下がりの時代 格差社会にどう対応するか。

テレビの解説者や自分たちも強者であることを意識して社会を見て弱者を分かること、

自然とともに 地域とともに お互いを尊重し 共に生きる社会を創ること

昔は地域のお祭りは主催者も参加者も観客も同じで 共に役割を分担し助け合って地域で生活してきた 人々が共に生きる分権社会を創ること。

といった大筋であり 結論の部分は同感だが難しい部分もあり、現状認識は幅広い分野におよび大変勉強になった。

いずれにしても人は誰でも迷いながら生きており、教育者である先生方も迷う人を教育する面から迷うところは多いと思われ生涯学習講座の意義を強く感じた。

生涯学習講座に参加させていただき感謝致します。