七十年生きて今

これまでの体験を通じて「生きること」「学ぶこと」について記したいと思います。
私は現在71歳になります。20歳で漆職人としての道に入り、陶芸や茶道、そし
て仏教へと歩んで来ました。その道中で、心に深く残っているのは「自分の弱さ
との向き合い方」でした。私の話が、これから何かを始めようとされている方、
今立ち止まっている方にとって、少しでも受け取っていただければ幸いです。

勉強が苦手だった私は小学校・中学校と、登校はしていましたが、そこでは学
びに向かう気持ちがほとんどなく中卒で終わりをむかえました。しかし、卒業後
数年が経つと、「学歴がない」という現実が心に重くのしかかり、旅に出て自分
をごまかす日々。家に帰ればまた、劣等感に包まれる。結局、自分から逃げて
いてはなにも変わらないと気づいたのは21歳のときでした。定時制に入学し、
夜は高校で学びながら漆職人の世界に入り、朝から夕方までは職人として師
匠のもとで技術を覚えました。昼の仕事も厳しかったですが、夜の授業も正直
つらかった。それでも「何かを取り戻すため」に私は4年間通い、無事卒業する
ことができた時、自分の足で立てたような気がしました。30代になり、茶道を始
めました。師匠は30歳年上の方で、月に2度1時間かけて通いました。「心を整
える学び」としての茶道は私の人生観を変えて行きました。そして、ある日、師
匠からこう言われたのです。「自分で茶道具を作ってみたらどうかしら」そこから
陶芸への道が開け、登り窯を築き、ガス窯も購入しました。器をつくることが、私
にとって自分自身をつくることと重なるようになったのです。ただ生活には現実
があります。茶道大会の着物や道具をそろえるには資金が必要でした。普通に
働いていたら間に合わない。そこで私は重機の資格を取り、建設業で短期バイ
トをしました。1年後、必要な物をそろえ、残りは妻に手渡しました。思えば、手
段は求めずに目標に向かって動くことの大切さをこのとき学び、やがて専任講
師の資格をいただきました。(茶名 宗柴)

48歳のとき、金継ぎ講座の講師を依頼されました。最初は不安でしたが、「壊
れたものを美しくつなぐ」という精神に惹かれて引き受けました。金継ぎを通して
たくさんの人と出会い、今年であきる野教室は23年目、長野教室は7年。今も
月に1度生徒さんに会いに通います。「壊れたものを、壊れる前よりも美しくす
る」これは、人生にも通じる考え方だと今では確信しています。今年、75歳で一
区切りをつけようと考えて居ます。50歳のとき、仏教大学(京都)の通信課程
「浄土学科」の存在を雑誌で知りました。意を決して入学しましたが、すぐに自
信をなくして退学。しかし60歳になったとき、「このままでは悔いが残る」と再入
学。レポートの書き方もわからなかった私は文章で伝えるという行為がとても難
しかったことを記憶しています。なによりも「逃げたくない」という思いで学びを続
ける中で、自分の生き方を教えてくれました。そして、70歳で卒業することがで
きました。卒業後、私が学んだ宗派とは異なりますが、菩提寺の住職は快く願
いを聞き入れてくれて「得度」を受けました。(僧名は「明舜」といただきました)
仏教の教えは、個人的理解から他者理解へと常に更新されるべきものだと感
じています。「生きるとは何か」「人のためとは何か」この問いに向き合うこと
が、私の残りの人生の課題と考えます。学び、働き、出会い、別れ、祈り、つく
る・・・私はたくさんのものを受け取りながら、壊れたものを直し、誰かに手渡し
てきました。人生は、こわれたものは決してもとどおりにはなりません。でも壊れ
たからこそ美しくなる道もあるのです。これからは次の世代や周囲の方々に廻
向して行きたいと思っています。

2025年5月11日記       

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