??

BOOKS
山海堂モーターブックスシリーズ
カーデザイン探偵団
第1巻 ミクロ編


ボンネットを開けないクルマの話

 ひとくちに「クルマ好き」といっても、ゼロヨン加速の数字にしか興味のない方、ビンテージカーの誕生秘話にくわしい方、女性がとなりの席に座っていることを前提とした「ドライブが趣味」の方など、その嗜好は多岐にわたる。しかし、どのようなタイプでも「クルマにデザインなんていらないよ」とおっしゃる方はいまい。(略)
 さまざまなクルマにこめられたデザイナーの発想やテクニックを見なおすことによって、これら「クルマ好き」ならだれもが感じているだろう疑問の答えをさぐってみようと思う。
 いつまでも見飽きぬスタイリング・デザイン。
 この本は、エンジンのスペックも、ハンドリングにも一言もふれない「クルマのデザインの本」である。しかし、鑑賞用の写真集ではない。
 ドアも開けず、エンジンも回さないで、少しはクルマの前に立ったまま、そのデザインを眺めながら「クルマの話」をしようではないか。

        「はじめに」より

 
1992年に初めて私が著したクルマの本。それもかの有名な山海堂のモーターブックスシリーズとして2巻の予定で出版されるうちの第1巻。世は正にバブル最盛期でセルシオ、GTR、NSXと世界の自動車界の天下を取ったかのような日本車の勢いであった。ただし、GTOなどを見るまでもなくデザインの貧しさはあちこちでささやかれ始めていた。そこで、それまでの日本車の辿ってきたデザインの紆余曲折を解き明かし、現在のカーデザインの方向性をやぶにらみを含めて解説したのがこの本である。時間軸に沿ってデザインのモチーフの変遷を中心にを解説する第1巻と、デザインのターニングポイントとなった個々のクルマを取り上げて解説する第2巻マクロ編という構成で、2巻とも校正まで終了していたが、最初に出た1巻がいかんせん売れなかったために第2巻は日の目を見ることはなかった。時代はバブルも崩壊してクルマを買い換えることなく長く乗るためのメンテナンス、日曜整備の本が売れる時代になっていた。表紙のイラストは何でもありの日本車を嘲笑しているつもりで描いたものだったが、評判は悪く、愛読者カードではさんざんの酷評を受けた。真顔で冗談言うという私の姿勢がよく理解されずに、こんなクルマかっこ悪い!というものが多かったように記憶している。ちなみにモデルは本文中にも登場するグラッシーキャビンの4ドア・ガルウィングで、FFなんだけれど、サイドにエアインテーク風のスリットがあって、折り畳み式のグリル付きというすごいクルマを「間違いだらけのクルマ選び」の初期の穂積和夫氏の表紙イラストを連想させるように描いたつもりであったが・・。いかんせん私の力不足で、協力いただいた多くの方にご迷惑をおかけすることになってしまった。
1 のっぺらぼうの百面相
・顔面相似形
・ファニーフェイスと鉄仮面
・表情の解剖学
・ハイパワーマシンはガンツケがお好き
・キュートな口もと、つぶらな瞳
・こんな女(クルマ)にだれがした
・のっぺらぼう世にはばかる
・RRにグリルはいらない
・テントウ虫とかぶと虫
・ハイパワー・グリルレス登場
・生まれた時代が悪いのか
・はじめにスラントノーズありき/ホンダ流グリルレス
・人間のふりしたのっぺらぼう/義眼のトリック
・画面崩壊をくいとめろ
・デザイン翻訳のテクニック/トヨタ流の料理法
・リトラクタブルヘッドライト一族の滅亡
・ポップアップでイメージダウン
・鼻の頭に妙案あり!
・もっと、もっと低く!
・自信は顔にあらわれる
 
 クルマのフロントは何故顔に見えるのか?そしてその表情のしくみは?人間の目の位置と車体との相関関係、そしてデザイナーがそれらを意図的に操作している事例を上げながら表情のしくみを解説する。後半ではグリルレスやリトラクタブルヘッドライトといった「のっぺらぼう」に与えられた表情をいかにデザイナーが苦労してあみ出していくかを追う。
2 レパードが迷い込んだガラスの城

・雨にぬれても
・デザイナーの見果てぬ夢
・安全性よりガラスがほしい/ラップラウンド
・ピラーを抹殺せよ/コンシールドピラー
・グラッシーキャビンのあだ花/コスモ
・ピラーなくして動感なし
・尻馬に乗る者、乗らぬ者/トヨタ、三菱のアプローチ
・見えないことはいいことだ/アクリル板の魔術
・黒く塗れ!/ブラックアウト
・ガラスのお城は不安定
・Aピラーで行こう
・マッスのかくし味
・迷宮の3人娘/NSX、SVX、セラ
・迷宮の出口はどこ?

ガラスで覆われた運転席、グラーッシーキャビンはデザイナーが昔からよく用いるモチーフである。ピラーの外側をガラスで覆うコンシールドピラーという手法に気づいたデザイナーはどんどんグラッシーキャビンを具現化しようとしていく。ところが、ピラー自体の持つ表情との間でデザイナーは苦悩する。特にピラーが柱としてでなく、ボディの一部としてデザインされるようになると、もっとグラッシーキャビンの仕切は厳しくなる。デザインの間で揺れ動くデザイナーの心の揺れを解き明かす。

ガラスで覆われるだけでなく、ラウンドした曲面のつながりをキャビンに求めていくと、ドアは開かない、窓は降りないといった機能面の破綻をきたす結果となる。そのイクスキューズとしてミドフレームやガルウィングといった方向にデザイナーは答えを求める。その言い訳に耳を傾けるとしますか。

 高級車伝説、たかまる

・高級車とはなにか/巨人トヨタのゆく道
・「いつかはクラウン」にみる階級社会
・昨日の笑い話は今日の高級車
・街にあふれるカメレオンたち
・大きなグリルは、よいグリル
・困ったときにヒカリモノ/トヨタの味つけ
・ギブミー、フルサイズカー
・保守奔流をゆく/セルシオの横綱相撲
・グリルがなくても、高級か?/ホンダの挫折
・グリルがなくても、高級だ/ホンダの逆襲
・マスクよりボディで勝負/インフィニティの挑戦
・チャンポンは悪酔いのもと/インフィニティの誤算
・鳥居をまつった高級車
・デジャヴ/セルシオの背後霊
・日本の高級車よ、どこへ行く

丁度セルシオ、インフィニティの高級車が発売されてにわかに高級車論議が沸き立った時期でもあって高級車を高級車たらしめているデザインとは何かを書いたつもりであった。結果としてセルシオは世界に通用する高級車であったわけだが、そのデザインは面の張り方といいメルセデスを多分に意識したものとなっていてとてもオリジナリティのあるものとは言い難いそれであった。しかもメルセデスのデザインは(当時)少しも洗練されておらず、保守的な安心感(分かり易さ)が高級車には不可欠であると揶揄した内容になっている。今でも高級車とは何かという答えは私自身出ていない。

 いろいろなイロの話

・クルマの色は履歴書
・日本列島、白黒景色
・テクニカラーの住所録
・オフカラーはとんがっているか?
・江戸前のオフカラー
・白と黒の説得力
・とことん白黒つけましょう
・デザイナーは泣いているぞ!
・かるく見られるカラーたち
・色は日の丸、人は武士
・暴走するしかない紫
・藍より青く
・青紫は守備範囲で勝負
・ガンメタだって青の親戚
・恵まれない緑に愛の手を
・スポーツカーはレモンの香り
・ホンダは黄色がお気に入り
・その配色がお気に入り
・ツートーンがさえない理由
・白色の連鎖反応
・あとはあなたが選ぶだけ

日本人に愛されるクルマの色は妙に偏りがある。白いクルマばかりがもてはやされた時代から黒のクルマが人気になっていた時代であった。なぜそんな偏りが生まれるのだろうかというとんでもない解説をまとめた章。少々日本人論的な色彩工学論で少々硬い内容。結論は自己主張を極端に嫌う民族性が「他人と同じ」という「集団カメレオン」であるとする高級車の章と重なる結論であった。もっと自己主張のあるクルマや色を選びましょう!ただし、この後、RVブームが訪れ「一億総バカンス」によって鮮やかな色のクルマが街にあふれかえったために、現在ではこの意見は成り立たない。日本人の色彩感覚もみごとに変換したものである。

日本人の嗜好とは全く別のところで、クルマのデザインに合った色彩というのもあるわけで、デザインがこれだけ大きく変わろうとしているのに、それらをぶちこわすようなボディカラーは選びたくないというのもこの章の趣旨。エッジの効いたデザインなら陰影のはっきりするボディカラー、コンシールドピラーを持つクルマならばグラスエリアの黒と対比できる明るめのボディカラー等、デザイナーの意図をくみ取れるボディカラーを選択すべきだと力説している。

一色じゃ我慢できない人のためにはツートーンという「一粒で二度おいしい」という選択も残されている。ボディ自体のデザインでは表現しきれなかった躍動感とかワイド感とかもこうした塗り分けのグラフィックデザインの助けをかりることによってデザイナーの思いを満願成就させることが可能となる。
5 美は光沢にやどる

・国民総洗車
・写らないんです、きれいに
・光あるところに陰がある
・映りこみの撮影学
・鏡の国のクルマたち
・サングラスカーと呼ばないで
・天と地と
・ヒカリモノ、困り者
・雲母、宝石となる
・マイカ?高級化?
・走る、変わる、魅入られる

クルマのボディに映り込む風景を解説した、意表をつくデザインの切り口。何故日本人は洗車が好きなのか?自分のクルマを上手に写真に収めるためにはどうすればいいのか?CFなどの表現手段を取り上げながら、クルマの車体に映し出される風景の美しさを解説する。長年培って来た「カーイラストレーションのノウハウも含めて著した、クルマのイラストやマンガを描かれる方にも是非読んでいただきたい入魂の一章。

クルマは家具とは異なり移動する道具である。移動する場所によって車体に映し出される風景は変わり、動くことによって映り込みの見え方も変化する。そうした走るという能力ををアピールする手段としてボディの艶を上げ、映り込む風景を見せるという方法が考えられる。人間は潜在的に移動する能力をアピールしたいのではないか。冷蔵庫にワックスをかけないのは移動しないから。

確かにカタログやTVCFなどはクルマのデザインを極端に美しく見せる。その隠された努力とノウハウを見ながら、自分のクルマにもそれだけの愛情を注ぐマニアックな偏愛を紐解く。

でもやっぱり、持っていなければ洗車できないのは昔も今も変わらない。

1992年7月20日第1刷発行
著 者  園原樹
発行者  石川悌二
編集制作 中小路寛
造本者  渡辺美知子
印刷所 (株)東京印書館
発行所 (株)山海堂