河原でおむすび
                         宮川集造
 チャイムが鳴り、昼休みに入った。純三は、手を止めてちょっと首をかしげる。今まで勤めてい

た会社から見放され、今年四二歳になった彼は、数ヶ月かかり、この日用雑貨の包装会社に拾

われた。仕事は機械を監視して、包装された商品を箱詰めしたりや不良品を除く、といった単純

なものだが気が抜けない。

「小山さん、飯だよ飯」杉原という三十代の男が、純三に声をかける。根は悪くなさそうだが、調

子が良すぎて迂闊なことは話せないなと、純三は思っている。

 ええ、彼は立ち上がりロッカーから弁当を取りだし、会議室へと向かう。ここで昼飯を開くのだ。

自動のお茶出し機から二個のお茶をいれ、それを並べて机に置き一つを手にする。やがて杉原が横に座り、

「いつもすみません。お茶をいれていただいて。小山さんはいつもの愛妻弁当ですか。奥さんに

愛 されていて羨ましいなあ。うちなんか共働きだから、ずっとこれですよ」と、宅配弁当をちょっと

持ち上げる。弁当屋が注文に応じ、昼休みにここへ弁当を届けてくれるシステムになっているのだ。もちろん自前の弁当でもかまわないが、社員の六・七割がこの宅配弁当屋を利用している。

「いえ、うちは金がないから節約してるだけで。連れ合いが勤めるようになったら、私も宅配弁当

を食べるかもしれません」と純三。

 その時、杉原の横の空いている席に宅配弁当とお茶を置く男がいた。工場長だ。歳は純三と同

じくらいか二・三歳上か。工場長が椅子に手をかけようとすると、杉原が素早く杉原が椅子を引

いてやる。そこに座りながら工場長は、

「やあ、杉原さんありがとう。小山さんもいたね。小山さんは奥さんの手作り弁当ですか。羨まし

いなあ。どうです仕事は慣れましたか」

「はい、おかげさまで。杉原さんや班長の野田さんに良くしていただいています」

「そういえば、野田さんいないねえ」工場長は室内を見渡す。純三もつられて見る。それを制する

かのように杉原が、

「班長は、いつも自分で作ったおにぎりを外で食べてますよ。会議室で食べるのを見たことないな

あ」ボソッと言う。

 野田は、三十後半くらいの感じ。独身。野田を班長にして杉原と純三が、同じ班として組んでい

る。純三は、この仕事について十日ばかり経つが、野田がどこで昼食をとるのか全く知らなかっ

た。会議室のどこかにいるのだろうと思っていた。

 昼休みが終わり、会議室から戻りながら純三は杉原に

「野田さんって、どういう方なんですか。あまり無駄口はしない方のようですし、この前の飲み会

には欠席されていたしーー」

「まあ、あの人はああいう他人と交わることが嫌いなんじゃないの。僕も個人的な話は聞いたこと

ないなあ。あの人はあれで満足しているんでしょ」

 はあ、純三は返事ともため息ともつかない言葉をもらした。

 午後の始業一分前になって、野田は姿を現し無表情で仕事を始めた。純三は、一瞬だがその

背中をしっかりと見た。

 その日、仕事から帰り空になった弁当を取り出しながら、

「ごちそうさま。美味しかったよ」と純三。そこへ二歳になる心温が寄ってきて、

「オトウシャン、オトウシャン」と言う。

「お父さんにみかん買ってきて欲しいんでしょ」と一恵が口を挟む。

「ウン、オトウシャン、みかんカッテキテ」

「みかんね、買ってくるね」純三は、心温の頭に手をのせた。

「仕事のほう、慣れた? やっていけそうかな」一恵は、台所に立ちこちらを向かずに手を動かし

ている。純三は、まあね、と言い自身で焼酎を注いで氷を入れ飲み始めた。

 彼は、どうやらこの仕事が続けられそうな自信が出てきてホッとしている。若い頃は家業の畳店

で食べていけるだけの収入があった。そのうちに畳屋が暇になり、前の仕事に就いた。若い頃に

公務員とか大会社の社員になっていれば、今こんな低収入で不安定な身分に甘んじていなかっただろ

うと考えると、後悔ばかりの気持ちになる。しかし自分の能力を思うと、今くらいの収入が身の丈

にあっているように思えてきて、ますます心は落ち込んでいくのだ。

「私に出来ることは、お弁当を作ってやる事ぐらいだからーー。とにかくせっかく入れたんだから、

頑張って続けて下さい。私も頑張ってお弁当作るから」

「うん」そう応えながら純三は、頭の中では宅配弁当が浮かんできた。すると何故だか、班長の野

田の姿が思い出された。

 それから数日が経ち、その日は杉原が休みで昼休みになり、純三がロッカーに弁当を取りに行く

と、野田が歩いているのを見かけた。純三は、好奇心から野田の後をつけようと思った。刑事気

分で距離をおきながら歩いていくと、野田は会社の敷地から出て、近くの河原へ向かった。 彼はそ

こが指定席のように、迷わず握り飯を包んでいた新聞紙を尻に敷き、食べ始めた。河原に吹く風の心地よさや、揺れる雑草の花を見ながら、純三は昼飯をここで食べる野田の気分が分かった気がした。純三は、野田の視界に入らない場所に腰を下ろす。飲み物がないのに気付き、近くの自販機からお茶を買って戻ってくると、純三が座ろうと決めた場所に、大型の犬が勢い良く小便をしている。犬を連れているのは、二十代くらいで口紅は真っ赤でアイシャドウまで入れてある厚化粧の女だ。日焼け対策なのか、帽子をしっかりかぶり腕にはそれ用の長い手袋をしている。滝のような小便をしながら、犬は大便もした。でかい体に見合った量だ。女は、小型のシャベルとビニール袋を持っていたが、糞に言い訳ほどの砂をかけ、何喰わぬ顔をしている。女と目が合うと、純三はにらまれた気がした。彼は、自分が悪いことをしたように目をそらし、その場を去り近くの橋の土台のコンクリートのほうへ歩いた。橋の下の日影には、焼き肉をしたようなブロックがそのまま置いてあり、側の斜面には、掛け布団が広げてある。台座のコンクリートの上には、丸い石が五,六個並んでいる。意識して並べてあるという置き方だが、石は特に変わった形をしているわけではない。純三には、何故ここにこんな石を並べるのか分からなかった。彼は、近くの草原に腰を下ろし弁当を広げた。中身はいつもと変わらないが美味しそうに見えた。

 飯を食べ終え、純三が会社へ戻り自分の仕事場へ戻ると、後から班長の野田がやって来て、

「おい小山さんよぉ、さっき俺の後を付けて来たろう。なにかさぐってんのかよう」と目つきがき

つい。

「さぐっているなんて別にーー。今日は杉原さんがいないし、一人で自前の弁当を食べるのも気が

引けたんで、他の場所がないかなと思っていたんです。以前から班長さんがお昼を取っているのか

不思議だったので、思わず後を追った次第です。さぐるなんてスパイみたいな気は全くなかったん

です。すみませんでした! 」純三はそう言いながら深く頭を下げた。純三の剣幕に、ちょっとた

じろいだ野田は、

「まっ、そんなに謝らなくてもいいよ。俺のじゃまをしたわけでもないし。ただ後を付けられたの

が初めてだったので、気になっただけさ。深く考えんな」

「そう言っていただいてすみません。ーーそれにしてもあの河原、気持ち良いですね。お昼を食べ

るのに、いい場所ですね」

 それを聞いた野田は、ニヤッと笑い、

「そうでしょ、あんまし人に教えんなよ」

「あのー、また私もあの場所でお昼を取っても良いですかね。班長さんのじゃまはしませんから」

と、純三が手もみでもするような口調で言うと、野田は、

「小山さんの好きにすれば」と言い捨て、自分の持ち場に着いた。

 純三は、家に帰ってくると弁当を出しながら、

「今日さぁ、昼に野田さんの後に付いていったら、やっこさん河原のほうへ行ってさあ。結構、飯

を食うにはいい場所なんだ。またそこで食べたいと思ったよ」

「そんなにいい場所があるんだ。良かったね」と一恵。続けて、

「でもさぁ、純ちゃんの仕事続けられそうで良かったわ。前の仕事辞めたときにはどうなるんだろ

うと心配したけれど、気に入ったお昼の所を見つけられるくらいなら、余裕も出てきたってことよ

ね」

「ああ、俺みたいな人間でも、まじめにやれば何とかなるってことだな」純三はそう言い、側にい

た心温の頭に手をのせた。

 次に杉原が休みの日、雨が降っていた。純三は、河原で飯を食べるのを諦め、会議室で昼を済ま

せた。野田の姿は見えなかったが、きっとどこかに座っているのだろうと思っていた。

 だが次に純三が河原で弁当を食べていると、以前大型犬を散歩していた若い女が犬を連れて通り

がかり、ぶっきらぼうな声で、

「おじさん、あっちのおじさんと知り合いなの」と言い、野田のいる方向を顎で示す。純三たちは、

会社名の入った作業着のまま外出していた。

「ええ、何かーー」

「あのおじさんさぁ、雨が降ったって雪になったって、傘までさして必ずあそこでおにぎりを食べ

ているんだ。ちょっと変わっているよね。どういう人なの」女がそう話していると、犬が小便を始

めた。数メートル離れているが、しぶきがこっちまで飛ぶような勢いだ。どういう人ってーー、純

三はこう言いかけて止めた。あんただって昼間に厚化粧をして、毎日のように犬を散歩していられ

る暇人じゃないのか、と思ったけれど口には出さず、

「普通の方ですよ。あまりおしゃべりではないですが」

「なんかさぁ、いつも同じ場所でおにぎり喰ってんの見ると、気持ち悪いんだよね。よっぽど頑固

な人じゃないの」女は自分の言いたいことだけ言い犬の小便が終わると、向こうへ行ってしまった。

 そういえば何かの折り、野田と二人になったとき彼が

「俺さぁ、人とつき合うのが面倒くさいんだよね。だから社内旅行なんてゴメンだし、昼飯も一人

で食べた方が気楽だし」

「もしかして野田さんが独身の訳もそのためなんですか」と純三が口を挟む。

「そうかもねぇ。嫁さん貰うといろいろ大変じゃない。杉原みたいな奴は、そこら辺上手くやって

いくかもしれないけど、俺は駄目だな。この年になると親戚なんかも結婚しろって、うるさく言わ

なくていいや」

「でも、家族って頑張れる源だと思いますけど」

「まあそういう人はそれで良いんじゃない。俺さあ頑張って何かをするって事、あまりないんだよ

ね。特に大人になってから。毎日白けて生きてますって感じかな」自嘲するような笑いを、野田は

浮かべた。

 純三は、野田と杉原と自分を思い比べてみる。自分は到底杉原のように調子よく人とは付き合え

ないし、仕事だって彼より出来ないだろう。そうかといって野田のように、人と交流をさけ、頑な

に自分のスタイルを通そうとするなんて事も無理な話だ。結局の所うだつの上がらない自分として

は、子どもが大きくなるまで何かの仕事をして行くしかないという気持ちに落ち着く。そう、子ど

もが一人前になるまでは頑張らねば。二歳のなったばかりの心温を思うと、ゴールは遙か彼方だな

と感じ、ーーそうなると、一人身の野田は気楽で良いなと羨ましくなる。

 数日後、杉原のいない晴れた日、純三がどこで飯を開こうかと河原を歩いていると、橋のコンク

リートの台座に置いてある石に目がとまった。以前からそこに五.六個の石が並べてあったが、

多少数が増えた気がする。しかし定かではない。それにしても誰が何の目的でこんな所に石を整

然と置いたのか。どれをとってもそこらに転がっている面白みのない石なのだ。小さな子どもが並

べたにしては綺麗だし、大人がやった事とすれば、どうしてこんな事をするのか疑問になってくる。謎の遺跡なんて物が世界中にあるが、それらは石が加工されていたり何かの意味を持たせているが、目の前にある石たちは、 河原で転がっているつまらない物ばかりだ。純三は、こんな馬鹿げた

企てをする人物の心理を計りかね、ボーっと石を見ていると、

「いやぁ、石を見てくれる人がいたんですねえ。ありがとう」と後から男の声がした。振り返ると、

特徴のない中年男が立っている。

「ーー」

「これ、私が並べたんですよ。嬉しいな見てくれる人がいて」

「あのー、これ何のためにやっているんですか」

「目的ですか。さあねえ、自分でもよく分からないなんてね。強いて言えば、自身の存在証明です

か」男は笑った。

「それに選ぶ基準が分からない。どれもつまらない物ばかりで、あえて特別扱いするまでもないと

思いますけど」

「あなたは、私がどんな見方でこれらの石を選んでいるのかちゃんと理解しているじゃな

いですか」

「はあ? 」

「つまりね」と言い、男は並べてある石の一つを手に取る。純三もその石に目をやる。

「私は、出来るだけ目立たないというか、平凡な石を見つけてはここに置くんです」

「そんな事をしたって、誰も喜ばないし意味ないと思いますよ。こんなこと」

「どう思うとそれは見る人の勝手ですが。私は、とるに足らないつまらない石でも、こうやって一

つひとつじっと見ると、それぞれ味があって面白い。ーー私はね、数ヶ月前まで普通に勤めてい

たんですよ。それが色々あって辞めたんです。そしたら自分の心にポッカリ穴が空いたようで。な

んかね目立たない石を見ていると安心するんですよ。おかしいでしょ。」そう言うと男は行ってしま

った。純三は、彼を目で追った。そして目の前の石を撫でてみた。

 それからしばらく経ったある日、純三は仕事を終えて帰ろうとしていると、野田が待っていて、

ちょっと見せたい物があるんだ、と上気した顔で言う。珍しいこともあるんだなと純三が思ってい

ると、野田は自分の携帯電話を取りだし、そこに保存してある写真を見せた。

「ほら、スイカが写っている。場所は俺の家の近くの駐車場だ。建物と舗装の隙間から自然に生

えたんだ。凄いだろ」野田は、純三の顔を目を大きく開いて見る。純三は、野田の表情に驚きな

がらも、

「へえ、珍しいですねえ」と口ではそう言う。

「何だ、少しも驚いていないじゃないか。ほらもう一枚。こっちははっきり写っているでしょ」と

見せた写真にはスイカが一個写っている。どうだい、野田は得意げに純三を見る。はあ、はっき

りしない純三に、少々怒った野田は、

「もういい」携帯電話をしまった。帰ろうとする野田に純三は、

「何でスイカの写真を僕に見せてくれたんですか」と声をかけた。

ええっ、野田は振り返ると、

「何だかさあ、この写真を誰かに見せたいと思ったら、河原で飯を食う小山さんを思い出してーー

アンタなら俺の驚きを分かってくれるかなと、思ったけれど駄目だった」

「すみません。気の利いたことを言えなくて」

「良いんだ、じゃあまた明日」

 純三は、肩を落としながら歩く野田の後ろ姿を見送りながら、彼の顔つきを思い出して、何だか

ホッとしたというか幸せを感じた。