日曜日
              山野勝平
 朝、目がさめると雨が降っていた。ポトリと音がした。
梅が落ちて屋根に当ったのだ。外は明るい。お母さんの
ふとんは空だ。しかし、お父さんは自分から起きようと
しなかった。今日はすることがなくなった、そう思った
からだ。またポトリと音がした。そろそろ梅雨の季節だ。
梅をもがなければならない。でも雨が上るのを待っても
遅くはない、お父さんは深くふとんをかぶった。
はたして、
「今日のゴルフ中止ですって。おきて下さい。十時を過
ぎましたよ」とお母さんが呼んだ。
「おう」お父さんは返事だけで、身体はふとんに入った
ままだ。
ーーまたポトリと音がした。
(そういえば、もう梅雨の頃か。一年なんて経っのは本
当に早いな。こうやって知らないうちに齢を取っていく
のかな)お父さんは少し淋しくなった。それをまぎらそ
うと、別のことを考えた。(ところで、あの梅はいつ植え
たのかな。子どもの小学校入学の時の記念にもらった
ものだが、ーー秋子だったか一彦だったのか。知らない
うちに苗木だったものが大きくなり、今では実を付ける
迄になった。いつ頃から実が取れるようになったのかも
俺は知らない。そういえば子どもたちだって・…-)お父
さんの心はさっきと同じ所に落ちていくようだ。これは
どうしようもない事だと思った。「生きる」ことの実体
をあらためて考え直す暇がない事それこそが「生きてい
る」というのかも知れない。しかし、それにしても、…。
いや、今は何も考えてはいけないんだ。そして、雨の中
での落梅の音を黙って聞いていればいいのだ。それが今
の俺にふさわしいのだ。ーーそうお父さんは思った。お
父さんは、ぽんやりした気分のまま、ふとんにもぐって
いた。雨が降り続き梅も落ちている。今日は本当にすべ
き事がないんだな、お父さんは肚でつぶやいた。
 ややあって、
「お父さん、もう十一時になりますよ。朝食はどうしま
すか。どこか身体の具合でも悪いんですか」とお母さん。
「いや、悪くないよ。あまり食べたくもないが、……で
も起きるとするか」
お父さんはイモ虫のようにはい出した。
茶の間に、寝巻きにカーディガンをはおっただけで来
ると、机に新聞が置いてある。それを広げながら、
「子どもたちがいないようだけど、どうした」お父さん
が奥にいるお母さんに聞いた。
「出かけましたよ。二人そろって」
「ふーん、めずらしいな」お父さんは新聞に目を落とす。
いろいろな記事がある。人殺し、自殺、恐喝、事故、心
が塞がるものばかりが目立つ。政治面では、対立する国
の大統領の発言が載せてある。どちらももっともだと思
う。しかし、どちらも正しいのに何故うまく行かないの
か。どちらかが欲ばりなのかウソを言っているのか。
ーーお父さんには不思議だった。みんなでうまくやろうと
しているのに、これ程、世の中はうまく行っていないの
だ。お父さんは納得できない分腹立たしかった。うるさ
いと思った。うるさ過ぎると思った。しかし、ーーうち
では今、梅の落ちる音が聞こえるくらい静かなのだ。平
和なのだ。ーーお父さんは、あらためて雨の庭を見る。
「お父さん、何を食べたいの」お母さんが顔を出した。
「パンがいいや」
「何をつけるの。1新聞は読んだ後、元通りに畳んで
おいて下さいよ」
「マーガリンで良いよ。お湯にひたして食べるよ。……な
あ」
「え」
「たまには何も書いてない新聞が読みたいとは思わんか
い」
「何を馬鹿げた事を言っているんです」お母さんは、食
パンとお湯を机に置いた。
「そう思わんかい」
「記事の載ってない新聞なんて、読んだってしょうがな
いでしょう」お母さんも座った。
「その通りだが、しかしね……」
「時々、お父さんは訳の分らない話をするんだから、こ
っちがかなわないわ。ーーそれよりね、こうやって二人
で日曜日をすごすのは何週間ぶりだか、お父さん知って
いるの」
「さあ」お父さんは、パンを一きれつまんで、マーガリン
をつける。
「先週の日曜日は、お父さんがゴルフ。その前の日曜日
は、わたしがお花のサークル。その前の日曜日は、お父
さんが仕事。その前のは、お父さんが野球大会。その前
のは……忘れたわ」自分で確かめるように言うお母さん`
を横目で兄ながらお父さんは、パンを食べた。
「ねえ、六回以上も二人だけの日曜日が続けてないのよ」
「そうかね」お父さんは生返事だ。
「そうかじゃなくて、……、久しぶりなのよ」
「ふうん」
「もう、イヤ」お母さんはむこうを向く。
お父さんは庭の方を見て、
「あの梅を植えたのは、秋子の入学の時だっけ、一彦の
時だっけ」と一言った。
「秋子の小学校入学の時に植えたものですよ」お母さん
も庭を見る。
「では、あれからもう十二年か。はやいものだなア」
「そうですね」この時、お父さんはお母さんとひとつの
気持ちになったように思った。
「植えた時は、ひょろ小さかったのに、今ではあんなに、
……子どもと同じか」
「ええ」
「なんていうかな、ひとつの憾慨だね」
「でも、きちんと手入れはしてあるから、育つのは当り
前ですけど」お母さんが言った。お父さんは、ある空気
が壊されたと思った。
「そうかい」と言って、お父さんはまだ雨の降っている
庭に傘をさして出た。
「ねえ、映画でも行きましょうよ」
「ー一」.
「ねえ、行きましょうよ」
「うん」お父さんは、落ちている梅の実を、ひとつ手に
取る。それを見る。
「お父さんがお金を出してね。わたしの財布さっき空に
なったの」
「いいけど、どうして」
「だって子どもたちがーー」
「……君は倖せな人だね」
「ええ、わたしは倖せよ」お母さんは自然に答えた。
(外は大変なのに、お前はこんなことでいいのか)
(いけない、ーだが俺はいま倖せなんだ)
(そうだろう、どうにかしろ)
(じゃあ、どうにかなるというんだ)
(ーー)
お父さんは梅を捨てた。そして家に入った。