ご機嫌サンダル
                     宮川集造
 主人公、太田太一は作者と同等の設定。四十歳前で結婚六年目、子どもはいないが数ヶ月後に第一子誕生の予定。楽しみのあるはずの彼だが、不景気のあおりを受け家業の畳店も振るわず、子どもの養育のことなどを考えると暗い展望しかもてなく、自刃を真剣に考え始める。
 世の中、似た人が多いのか経済的破綻のため一家心中などで早死にする人が増えてきた。と同時に、臓器などの移植を希望する人も後を絶たない。この二つに着目した政府が「どうせ死ぬなら臓器くれ、最後にパーっと行きましょう」というキャンペーンを始めた。これは自殺を決意した人に、死後、臓器などを提供して貰う見返りに行政から一時金が支給される制度。太田太一はこれに応募するために家出した。
 ーーと、純三は、広告紙の裏の白い面に、次作の構想としてこんなことを書き出してみた。彼は、長年趣味で小説を書いているのだ。
 ひと仕事終えた心持ちで純三は、コーヒーをいれ飲みながら、殴り書きの広告紙の裏側を見ていると、妻の一恵が起きてきて、
「おはよう。朝っぱらから何をしているの」と、眠そうに目をこすった。
「ん、次作の構想を書き出してみたんだ。読んでみるかい」純三は、広告紙をつまんで見せた。
「えっーー、いや、まあ読んでみようかな。貸して」
「どうぞ」彼は、広告紙を一恵に渡す。
 間延びした動作でそれを受け取った一恵は、声を出しながら読み始めた。すると
「これって、役所が自殺をすすめているみたいにとれるじゃん。そんな事ありっこないし、なんか純ちゃん性格が歪んでいるんじゃないの」
「そうかなあ、でも最近、経済的に行き詰まった家族や、インターネットで知り合った仲間で心中がよくあるじゃないか。だからまんざら絵そら事でもないと思うけどな、俺」
「そうかも知れないけど、自殺した人の臓器を移植するなんて、どうもねえ。ーー朝から変なもん読まされて胎教に悪い。朝ご飯の用意するね」と言い、一恵は純三に広告紙を帰した。
 一恵は妊娠六ヶ月目。だいぶ腹も目立ってきた。純三たち夫婦に初めての子どもで、純三自身、子どもを待っていたのだが、実際に一恵のお腹が大きくなっていくのを目の当たりにすると、出産準備や誕生後すべき事が現実を帯びてきて、喜びよりも不安が大きくなっているこの頃だ。
「ごちそうさまでした。今日の予定はどうするの。休みなんでしょ」一恵は、食器を片づけながら立ち上がる。
 この日は平日だったが畳も忙しい用事もなく、純三は朝食を取りながら何をしようかと考えていた。コーヒーを飲みながら彼は、
「図書館へ行ったり買い物をしたり、時間があれば温泉にでも浸かってこようかな」
「わっ、出かけるんだ。いいなあ」洗い物をしながら一恵が言う。
「君も出かけるかい」
「途中で実家へ私を送っておいて帰りに迎えに寄ってよ」
 一恵は、妊娠か分かってからしばらくして会社を辞め、地区内にある実家とこの家を往復している。
「ああそうだ、出かけるのなら飲むのを二つ買ってきて。あとでお金やるから」
 飲むのとは、一恵がよく飲むヨーグルト飲料で、一個百円くらいで二百ミリリットル入りだ。一恵はこれを栄養剤のように飲んでいる。純三は、ちょっとしか入ってなく百円もするこの飲料を割高だと感じつつも、家内の和平を愛する彼としては、連れ合いの思い通りにさせている。
 純三は、図書館へ行く用意をし、ついでに温泉用のタオルを持ち、健康サンダルをつっかけて、車に乗り込んだ。そして一恵を実家で降ろし図書館へ向かった。
 平日だというのに図書館は混んでいた。数年前に比べ駐車場の空きを見つけにくくなった気がする。子どもや女性だけでなく、働き盛りの男たちが閲覧席に深く座り、ある人は本から目を離さず、ある人は静かに寝息を立てている。ここは時間を潰す場所を見つけられない人たちの溜まり場かな、と純三は思った。
 彼は数年来、定期的に図書館を訪れている。主な目的は面白い本に出会うためだが、最近は読書欲もあまりなく、ただ惰性で来ているようなところもある。
 座席に深く座っている男たちを見ながら純三は、俺だって他の人からすれば、あの男たちと同じように見られているのかな、と思ったりもした。
 ただ時間を潰すために図書館に集う人々、俺も含めてこの人間たちは何のために生きているのかしら。ふと純三の頭をこんな思いがよぎった。彼は、読みもしないだろう本を五冊選び受付を済ませると、灰色の空の下、ゆっくり駐車場へ向かった。
 次に彼は、スーパーへ行った。一恵に頼まれた飲み物を買う他は、これと言って買わねばならない物はなかった。
 スーパーの駐車場にはATMがあったが、青いビニールシートで覆われ、警察の名前が入ったテープで巻かれていた。純三は、今朝のテレビのニュースで報道していたのは、ここの事かと改めて思った。  事件は昨日の午後、金を降ろしに来た女性がATMから出てきたところを、中年の男が包丁を突きだし待ちかまえていて、女性に怪我を負わせ数万円を奪って逃げた。しばらくして犯人は捕まったが、その男はリストラに遭い、金に困っての犯行だったそうだ。純三は、少しの時間ATMを見つめた後、ゆっくりと店内に入った。
 客は女性が多い気がした。平日の昼間、スーパーに来店するのは、やはり主婦が多く男性の姿は見えない。純三は、何か気恥ずかしい心持ちでかごを持つと店内をぶらつき始める。
 彼は、肉や魚コーナーの割引や半額商品を捜したが、午前中のせいか値引きのシールを貼ってある物はまばらだった。彼は飲料物が陳列してある棚へ行き、一恵に頼まれたジュースを見つけた。確か二つ買ってきてと言われたな、と思いつつ純三は、四つ取りかごへ落とした。それから肉コーナーへ戻り、棚の隅っこにあるホルモンを物色する。ホルモン類は割安感があり、それを焼きながら食べ特価の焼酎を立ち飲みするのは、いつも金欠に悩む彼にとって至福のひと時だ。
 純三が鋭い目つきでホルモンを見比べている時、ブランドのバッグを提げた女性に気付いた。彼女の買い物かごにはステーキ用の分厚い肉が入っている。彼は、かごをじっと見てから視点を上げると、そのおばさんが純三をにらんでいた。彼は、すぐに目をそらしその場から立ち去った。
 レジを済ませ、かごから袋入れする台に移動すると、中年の小綺麗にしている男性が客にいた事で、純三はちょっと良い気分になった。彼は、自分も袋入れするために、男が立っている台へ向かった。男の買った物を見ると、全て半額シールを貼ってある商品ばかりだった。純三は、男の風体を伺うと、営業マンのような清潔な感じで、安物を好んで買う純三とは違うように見えた。男は、商品をかごに入れると、純三の方を見ないまま店を出た。純三は、男を見えなくなるまで目で追った。
 彼は、店から出てくると、高級外車を見つけた。何を思ったか純三はその車に近づくと、当たりに人がいないのを確かめ軽くタイヤを蹴って、自分の車に乗り込んだ。
 それから純三は、十円玉風呂と彼が名付けた温泉に向かった。この温泉は、湧き出たときは無色透明だが空気に触れると銅色というか茶色に変わる。だから十円玉風呂。この温泉は自宅から車で三十分と近く、入浴料も安いことなどから、純三はこの温泉をちょくちょく利用している。ーーとはいうものの最近では、一恵に気兼ねして、月一回位に抑えている。
 裸になり掛け湯を済ませて純三は、内風呂に入った。先客は三人。互いに面識がないのか、無口のまま手足を伸ばし、湯の動きに体を預けている。純三もじっとしてしばらく経つと、子ども連れの爺さんが入ってきた。子どもは、爺さんが注意するものの湯を飛ばしたり泳ぐ真似をしたりと、先ほどまでの静けさをぶち壊す。純三は、いたたまれなくなり股間をタオルで隠し、屋外にある露天風呂に向かった。
 寒空のせいか、露天風呂には一人しかいず、半ば寝ているように体を伸ばしている。純三もおじさんの真似をした。彼は、目を閉じて今朝あらすじを書き始めた小説を頭に浮かべた。
 ーーやっぱり、自殺と移植の問題をくっつけるのは拙いかなあ。でも自殺する人は後を絶たないし、正常に動く臓器などの移植を待ち望んでいる人たちがいるのも事実だろう。この二つを合わせるというのは、世の中のモラルに反するかしら。だけど難しい倫理などを考えなくちゃ健康な臓器がただ無くなっちゃうのは惜しい気がする。だからーー純三は、小説の主人公、太田太一が家出して、行政の募集に応募するため、役所に着く場面を思い浮かべた。
 家出した太田は、役所の受付へ行き、臓器提供のキャンペーンに応募したい旨を伝えた。
「はい、承知しました。つきましてはこちらの契約書と調査票に記入、捺印もしくは拇印をお願いします」役所の職員は、事務的に応え用紙をカウンターの上に置いた。純三はゆっくりそれらに書き込みながら、調査票の家族という項目で手を止めて、
「確か子どもがいる場合は、子どもにもお金が出るんでしたよね」
「あなた、お子さんがいるんですか」
「ええ、まだ生まれてないんですがーー」
「それじゃあだいぶ減額になるんですよ。こっちのケースですが」と言い、職員は別の書類を取り出し太田に見せながら、
「ここに書いてありますが、生まれてくる子供がいる場合、いろいろ余分な経費がかかるんです。第一、生まれてくる子どもがいるのに、先に逝ってしまうなんて、無責任じゃないですか」
「そうかもしれないけど、こんな不景気で夢のない社会にしたのは、あんたがた役人が悪いんだろ。行政が弱い人たちを守るのは、当然の義務だと思うけどな」
「そうやって、何でもかんでも人頼みにするから駄目なんです。ーーーとにかくこちらの決まりとして、生まれてくる子どもがいるのに、逝ってしまう男性に対しては、移植できる臓器を全ていただいても、ほんの気持ちしか出せません」
  「ああそうかい。ならいいよ」太田は、拳を振り上げカウンターを叩いた。
 ーー純三は、頭の中で公開できそうもない小説を書いて、この後の展開をどうしようか思案していると、突然、湯が激しく動いた。さっき内風呂で見かけた子どもが乱暴に入ってきたのだ。こらっ、と言いながらもその子の爺さんは笑っている。
「やあ、小林さん、あんたも浸かりに来たんだ」純三より早く入っていたおじさんが、子どもづれの爺さんに声をかけた。
「鈴木さん、どうも」
 子どもは、水面を楽しそうにバシャバシャやっているしぶきが純三まで飛んでくる。
「やめなさい。人様の迷惑になるだろう」子どもづれの爺さんが、少しきつく言うと、子どもは静かになった。
「男の子だからじっとしていないんだ。元気で良いねえ」
「すみません」
「こんな良いしゃばに生きられて、今の子どもたちは幸せだ」
「ふんとだ、何でも買えるし平和だ」
 純三は、笑談する爺さんたちをきつい目で見た。一人の爺さんと目が合い、
「にいさんもそう思うだろ」と声をかけられたが、黙って横を向き舌打ちをした。
 風呂から出て彼は、駐車場まで歩きながら、面白くない心持ちを感ぜずにはいられなかった。と同時に、面白くないと思う自身にも腹が立っていた。
 純三は、せかせか歩いているとサンダルが脱げそうになった。立ち止まると彼は何を思ったか、サンダルをはき直し、
「あ〜した天気になーれ」片足を軽く蹴り上げる。サンダルは底を上に向けて落ちた。彼は、再びサンダルを履き直し、
「あした、天気になーれ」今度は少し強く足を振った。サンダルは真横を天に向けた。純三には、サンダルの笑う声が聞こえた。
「ふざけんなよ」彼は軽く助走し足を思い切り振り上げた。いぼ付き健康サンダルは、高い放物線を描いて綺麗に着地、いや着水した。サンダルが落ちたのは、温泉の排水が流れる水路だったのだ。サンダルは流れに任せ下流へかなりのスピードで行く。向きを変えながら移動するのは、酔った勢いで愉快に千鳥足で踊っているようにも見えた。
「待ってくれ」純三は、サンダルを追いかけようとしたがすぐに諦めた。
 彼は立ち止まりやがて振り返り、初めての客には必ず温泉の説明をしないと気が済まないここの主人に、サンダルを借りてこようと決めた。
 歩き始めた純三の背中は、なんだか小さく見えた。






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