不良老年
  吉原集造

 玄関にはそれぞれ、住む人の趣味が映る。モダンな感じが好きな人の家は、小奇麗な鉄製
の門であり、表札はローマ字で書いてあったりする。和風を好む向きには、通りから手入れさ
れた、庭木が見えたりする。ぼくが尊敬する故人になった作家は、梅干作りを趣味とし、入り口
に生えたアーチ状の紅白の梅の木を、門としている。 さて、わが家の場合といえば、家の前
の坂道を上って来ると、脇に人がぶら下がれる鉄棒が見える。これは、この家に子供がいた
頃の、名残りではない。出来たのは最近、作った人はこの散文のモデル(そのままではない)
である、今年、六十六才になった、ぼくの父なのだ。彼は、その鉄棒を自身のために作った。
 去年の冬、父は胃がんで一カ月ほど入院した。幸い初期だったため、胃を三分の二ぐらい切
り取り、再発の恐れはなくなった。
 やがて父は退院し、しばらくすると有り合わせの材料で、高さ約、二メートルの鉄棒を作っ
た。ぼくが、何の目的で作るのかと聞くと、
「これにぶら下がって、短くなった胃を延ばすんだ」と言う。もともと細身だったが、退院当初、
ガイ骨の様に痩せた父の目は真剣だ。ぼくは、そんなアホな、とは思ったが、晩年の川端康成
の様な視線に、口答えは出来なかった。作り始めた頃、父はぼくと母の冷やかな態度に、一人
で完成させるんだ、と意気込んでいたが、鉄棒の柱を地面に打ち込む段になると、柱にする棒
を押えろとか、紐で縛るのを手伝え、といろいろ要求するようになって
来た。この親父、約束が違うだろうと、ぼくは言いたかったが、そこは同じ家に住む人間のよし
みで、素直にしたがった。
 しかし、いざ完成してみると、父は鉄棒に二・三回ぶら下がっただけで、
「こりゃ痛い、駄目だ」とか言って、以後、鉄棒の話題は出さなくなった。
 今年、六十六才になった老人の奇行に、ぼくは、家族であるが故に、おかしさよりも、もの悲
しさを感じてしまうのだ。現在、鉄棒には蔦が絡まり、ちょっと見る位では、その存在は分から
なくなっている。これは我が家にとって、救いの様な気がしている。  
 また、父は、奇行に飽き足らず、悪事も働く。胃を切ったクセに、たばこを止めないのだ。そ
れも隠れるみたいにして吸う。だから不良老年。退院して間もないころは、吸うことは止めてい
た。しかし一カ月くらいたつと、押し入れの中から、たばこが見付かるようになった。以前、胃潰
瘍になり、同じような話を「層」に書いたことがあったが、その繰り返しなのだ。しかし今回は、
喫煙再開許すまじの強い決意のもと、ぼくと母は、父のたばこを注意していたが、敵はぼくらの
目を盗み、吸い続けた。そして客人が吸い始めると、当然といったふうに、父はたばこを取り出
したりもした。そんな事がしばらく続き、父の喫煙は、前と同じようになし崩しのカッコウで、見逃
される所となった。よほどたばこが好きなのか、ただ意志が弱いだけなのか、分かりかねる
が、喫煙が原因で死期を早めても、それは父の自業自得だと、ぼくは納得することにした。
 「死」といえば、ちょくちょく父は、死んだのではな
いかと思わせる行動を取る。すなわち、行方不明になるのだ。まあ、不明になるといっても、数
時間がせいぜいだけど、一緒に暮らしているものには、迷惑な話だ。以前、こんなことがあった
ーー。
 その前日、大雨が降り、近所の家の裏山が崩れて来そうになった。部落の人達で、崩れて来
ないように、土止めの工事を行った。その中に、ぼくと父がいた。やがて作業が終わり、ぼくは
すぐに帰宅した。しばらくすると隣の家の人が来て、
「おめえちの父ちゃん、帰って来たかエ」と言った。まだだ、と応えると、おかしいな、とっくに帰
って来てもいい頃だのに、もしかしたらどこかの崖崩れに、はまっているのじゃないかと、心配
気だ。ぼくは、父の行方不明というか放浪癖には慣れているから、大丈夫、そのうちに帰って
来ますよ、と笑いながら応えた。しかし二時間たっても父は帰らず、何の連絡もなかった。する
と、その時の状況のせいか、ひょっとすると父は、実際にどこかの崖に埋まっているのではな
いか、と思えてきた。それで、ぼくは、家を出て手部落を一巡しながら、父ちゃーんと呼んだり、
人に会うと父のことを聞いた。だいたい五キロを二時間かけて歩いた。だが父を見付けられ
ず、ぼくが戻って来ても、父は帰ってなかった。これは本当に行方不明になったと思い、近所の
人と話しているところに、父は何食わぬ顔で歩いて来た。父を発見したぼくは、駆け寄り彼を両
手で抱き締めた。そして泣いた。この時のことは、たばこの匂いと共に、おぞましい記憶とし
て、ぼくの心に残っている。父を抱くなんて'醜態'はこの場だけの行為だ。しかし、自然にこんな
行動が、取れる気持ちではあったのだが。ーーきっとぼくはもう、父を抱くことはないだろう。や
がて彼が死ぬ時も。ーー 他人ならば、風変わりなジジイとして、面白がっていればすむが、実
の親と子なんだからそうも行かず、彼には、閉口させられるばかりだ。 
 父は、製畳業のほかに、日々重要な作業を遂行している。それは排便だ。昔から、父は便秘
ぎみだったが、胃を切ってからこっち、その傾向が強くなった。そのため彼は、いつも「大きい
方」の事を気にして、
「薬を飲んだら、ウンコをしに行くぞ」と食事中に言う。ぼくは、それくらい聞いたって、食欲がな
くなるほどヤワじゃないから、平気で食べ続ける。本当は、少々たじろぐ。でも父の健康が一番
大切なので、彼の言いたい様に言わせておく。これぞわが家の家族愛ーーそうぼくは位置付け
たい。
 これまで、父の悪い面ばかり書いてきたが、少しは良いところも記しておこう。
 父は仕事好きだ。少なくもと、ぼくにはそう見える。まぁ、自営の畳屋なんだから、当たり前か
もしれないが、彼は、暇がある仕事場に入り、何かしらの作業をしている。そのせいか我が吉
原畳店は、なんとかもっている。父は、早く死んだ彼の父(ぼくにとっては祖父)が同じ職業だっ
たのに、親に何も教わらないままだつた。そして若いころ、仕方なしにこの商売に就いた。時お
り父は、他の仕事をしたかった様なことを言うが、子供達が一人前になったのだから、これは
これで良かったのではない
か、ーー子供のぼくが言うのも何だが、そう思う。
 しかし、こんな父でも最近は、六十六才という年のせいか、そろそろ引退したい、とボヤくよう
なった。骨と皮だけの様な彼にとって、重いものを持つこの仕事は、つらくなって来たのだろう。
近い将来、父がこの仕事から手を引くことになるが、それ迄は、気持ち良く働いていてもらいた
いと思う。また、ぼくは父がいなくても、一人で何でも出来るように、なっていなければならない。
 ーーと、まとめのような事を書いてきたが、最後に、近頃あったハプニングを書いて、この文
章を終わりにしたい。
 父が、車に乗って庭から崖下の墓地へ、ダイビングを試みたのだ。ーー
 その晩、ぼくが軽トラックに乗って帰って来たら、行き止まりの庭の先に、乗用車のトランクの
尻だけ持ちあがっいてるのが、ライトに写し出された。しかし車の屋根は見えない。一瞬ぼく
は、その場の状況をつかみかねた。が、次に何か叫んだかもしれないぼくは、エンジンを切ら
ぬまま、軽トランクを降り、乗用車へ駆け寄った。果して、車は庭の舗装を外れ、その先の角
度四十度くらいのはばに、その体を預けている。今にも崖下の墓地に落ちそうだ。
「なんじゃ、こりゃ!」ぼくは、すぐに家に入り、親の寝室の戸を開けた。
「車、どうしたんだエ」
 二人は寝ていたが、母は、ぼくに気付くとゆっくり明かりを点け、
「父ちゃんが、やったんだよ」と言い、父を見た。彼は、眩しそうに布団を被り、横を向く。
 ーー母の説明によると、こうだ。
 その日、乗用車は庭にあった。そこへ車が上って来た。父は、その車にUターンしてもらおう
と、乗用車を庭の隅にもって行こうとしたら、止まらずに落ちた。ブレーキに足が届かなかっ
た、と父は言った。幸い、父に怪我はなかった。それにしても、アクセルに届いた足が、ブレー
キを踏めないはずは、ないと思うのだか。まぁ、父は軽い気持ちで、座席を合わせずに運転し
て、焦ったのだろう。しかし、今でもいま一つふに落ちない。
 翌朝、乗用車を引き上げる方法を考えた。父は、軽トラックと乗用車をロープでつないで、二
台で動けば上がるだろうと言った。ちなみにうちの車は二台とも四駆だ。ぼくは、乗用車が少し
動いた瞬間、バランスを崩しロープが切れて、墓地へ落ちるのではないかと心配し、狂乱ぎみ
に反対した。その結果、近所の、車を吊り上げられる機械をもっている人に、電話をすることに
なった。一応の事情を聞いて、そのおじさんは、
「うちの機械が、お宅の庭まで入れるかな。とにかく行ってみるよ」近所のおじさんが駄目となる
と、自動車販売店に頼もうかと、言っているところに、そのおじさんが来て、
「これなら、軽トラックとロープでつないで引っぱれば、大丈夫だろう」と言う。僕が不安げに、落
ちないかと尋ねると、
「そんな事はないさ、さぁ、兄ちゃんはそっちに乗るんだ」と、乗用車に目をやる。はあ、なんて
ぼくは、怖々座席に納まる。目の前に広がるのは、崖下の墓地だ。こりゃ、ジェットコースター
より迫力があるとつぶやいててエンジンをかける。シートベルトを着けようとすると、ベルトが延
びない。いくら引いても延びない。ベルトをしないで、こんな危ないことが出来るかと、力任せに
引いてみるが、ベルトに変わりはない。そのうちに軽トラックにエンジンがかかり、動き出す。
「ちょっとちょっと待って、ベルトがまだーー。ギャー、ウォー」とぼくが叫んでいるのを、父が心
配そうに見ている。軽トラックは止まりそうにない。ぼくは、これはやるしかないと心に決め、ギ
ヤをバックに入れたまま、アクセルを踏み込む。すると、乗用車ははばを登り始めた。しかし、
車の底が舗装の端にこすれ続け、鈍い音が出ている。ぼくは、車が壊れるじゃないかと気が気
ではなく、ウォーとかギャーなんて叫び続けた。読者は、三十才を過ぎた男が、見苦しいと思う
かもしれないが、ぼくは、叫びだけを十ページ書きたい気分だ。
 ほどなく、乗用車は登った。おじさんは、簡単に済んで良かった、と帰って行った。
 ぼくが、ああ怖かった、そう言いながら車の底を覗いていると、
「お前の声のほうが、車が落ちたときより、ずっと怖かったわい」父が言った。
「なに言ってんだ!、誰のせいだ。オメなんか墓へ落ちいれば、葬式の手間が省けて済んだの
に」ぼくが、父を睨むと、
 彼は、横を向きたばこの煙を、勢い良くはいた。

                     
                          
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