生い立ち
1943年12月1日に長野県伊那市横山で7 人兄弟の末っ子として誕生。しかし、父親は伸陽の顔を見ず一週間違いで死去、戦後の混乱と物不足の中母親一つ手で育てられた。母は99才で逝去しました。
青年時代は山に明け暮れミシンを踏みながらロッククライミングにも挑戦、今は体力に合った山菜取りや山歩きが最大の楽しみです。
中学卒業と同時に兄の病気で農業に従事、酪農の傍らで青年運動に参加。兄が復帰する中で上京、民主青年同盟に加盟。帰郷し民主青年同盟の上伊那地区委員長に、975年に世界青年学生平和友好祭(ベルリン大会)に日本代表の一員として参加。
絵手紙や油絵に挑戦中、5年くらい年賀は絵手紙で、赤旗にも2回ほど掲載された。右の絵は油絵の処女作品「夕焼け」左下は絵手紙の年賀状です。
その後、日本共産党の専従に、37才で箕輪町長選挙に出馬したが落選、翌年町議に当選3期勤める中で、:県下初の水源保護条例の制定に委員長として参画、町財政不祥事問題で丸一日の一般質問は今でも話題になっている。
今は、デジタルカメラに入れ込み中、このページのすべての写真は自作の写真です。今後長野県各地の花や、情報をデジタルカメラでお伝えします。早起きソフトボールにも参加スポーツも大好きです。
伊那谷に民主的な医療機関をとの強い要望を受け上伊那医療生活協同組合の設立に参加「伊那生協診療所」を開設、その後「生協診療いいじま」老人保健施設「はびろの里」などが開設されました。現在理事長に就任
長野県議会議員
  
農政林務委員
  

日本共産党
  県議団副団長・県委員
  上伊那地区副委員長

上伊那医療生活協同組合理事長

高圧線下補償対策協議会事務局長
家族
 妻、  
 長女、
 長男、
 次女、