THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考149 東日本大災害と政治の責任 常岡雅雄



完全「救済と保障」へ

総がかり政権樹立と政治を



 訴え「総がかり政権」樹立による「総がかり政治」へ


 〈東日本大震災の発生と福島原発事故による未曾有の大震災から一カ月余が経ちました。この災害によって亡くなられた方は1万3千人を超え、行方不明者も届け出がされている人だけでも1万4千人余を数えています。

この大災害によって尊い命をなくされていった幾万幾千の人々に心からの哀悼を申し上げます。

 さらに災害発生と同時に、家族を失い住む家も持ち物も失い、生活のすべてを投げ捨てて「避難生活」を余儀なくされている方は数十万人にのぼっています。その一人ひとりの深い悲しみや大きな不安は私たちの想像をはるかに超えていることでしょう。

 そこに「人災」としての福島原発事故が追い打ちをかけ、街も海も川も山も田畑も、いまや日々放射能に汚染されていく「死の地帯」へと一変しています。原子力安全委員会はチェルノブイリに匹敵する「究極の原発事故」として、その危険度を「レベル7」に引き上げましたが、今後その被害がどこまで拡大していくのかさえ分らない状態が続いています。

 この未曾有の災害と今なお進行している悲劇の真っ只中で、幾十万の被災者に対して、誰ひとりの漏れも例外もなく、完全な救済の手が差し伸べられなければなりません。耐え難い困難のなかにいる被災者の皆さんが、日本という国に生きていることを幸いと思えるように、誰ひとりの例外もなく救いだされなければなりません。

 そのために全政党総結集の「総がかり政権」を樹立し、政府・官庁から企業・財界、労働組合、農林漁業組合はじめ、あらゆる民衆諸団体が総結集して「完全救済完全保障」のための「総がかり政治」を断行することを訴えます。〉

 この「訴え」は、私たちの「人民の力東日本大災害対応推進本部(代表・常岡雅雄、推進本部長・宮澤實)」が4月14日付で、内閣、民主党・自民党・公明党・みんなの党・共産党・社民党・たちあがれ日本・国民新党はじめの国政全政党、連合・全労連・全労協・全農協・全漁協はじめの労農漁関係ナショナルセンターそして民衆運動有力人士に、本誌4月1日号巻頭言「天災と人災がもたらした複合悲劇一人も漏らさぬ救済と保障へそして大きく日本大改造へ」を参考添付として緊急送付した「訴え」である。


 一人も漏らさぬ救済と保障


 まさに、その通りではないだろうか。私たちはあらためて「一人も漏らさぬ救済と保障そして大きく日本大改造」への「総がかり政権の樹立」と「総がかりの政治」を焦眉の課題として訴える。

 先ずは、未曾有の東日本大震災勃発から既に一カ月と二週間が流れた4月23日のこの瞬間に、その最大の第一の焦眉の課題として、被災者たちが「一人の漏れも例外もなく完全に救済され完全に保障されなければならない」ことそのために政府が確固たる決断と毅然とした決意と最大限の迅速さをもって獅子奮迅の努力と献身をなすべきことをあらためて訴える。

 被災者たちの「一人の漏れも例外もない完全救済と完全保障」に、政府は、何が何でも絶対的に総力を注がなければならない。

 それは、国家を代表し、国民を統括し、一人も残さず全ての国民に責任を負っている政府として、絶対的な使命であり、絶対的な任務であり、絶対的な責任である。昨日(4月22日)の「警察庁まとめ」だけでも、犠牲者は、死亡1万4千208人、行方不明1万2千384人、避難13万852人にも達している(朝日新聞4月23日)。実際の犠牲者はもっともっと多数にのぼるはずだ。


 「ひとの命」は「絶対的!」である


 「ひとの命」は誰からも無視されてはならない。誰からも侵されてはならない。誰からも奪われてはならない。「ただ一人のひと」の「いのち」であっても、政権には、その政権生命を捧げなければならないだけの「絶対の重み」がある。「ひとの命」の「重さ」は、被災者の数や名札の多寡によって量られてはならない。犠牲者とは新聞が連日伝えているような積算された死亡数でも延々と並ぶ死亡告知欄でもない。無数の人々のなかの一人の「ひとの命」は、その「一人のひと」として、誰にも何物にも替え難く「絶対的!」である。

 「死亡者」にしても「行方不明者」にしても、その命を失った「本人その者」の身になれば、その人がどのような人であろうとも、「自分の命」は「誰にも何物にも替えることができなく大切で愛おしく絶対的に重い」ものであるに違いない。まだ母親の胎内にある芽生えたばかりの胎児にしても、どんな障害を抱えた人にしても、どんなに老いた人にしても、今にも死出の旅路に発とうとしている人にしても、「その人の命」は「その人自身」にとっては「絶対的!に重い」のであり、政府の「政治生命の重さ」などとは「比べるべくもなく重い」のである。

 そうであればこそ、政府は一人の「ひとの命」に「政権の誠」を尽くさなければならない。(一)今回の東日本大震災で命を失った幾万幾千の「ひと」たち(二)そして今この現在、命はあったにしても、明日からの先の見えない不安のなかに苛立ちと重苦しさに苛まれながら生きなければならない人たち(三)さらに今のままでは今日にも死にかねない人たちその被災者一人ひとりの「命の重さ!」に思いを致して、直ちに「完全な救済と保障の手」を政府として差し伸べるべきである。それがこそ、政府たるべきものの「今為すべき絶対の責務」である。

 現在の菅政権も決して無為無策ではない。チェルノブイリをもこえる原発事故の勃発が重なった日本有史以来の複合危機の襲来にさらされた菅政権の懸命の努力と奔走が見てとれないわけではない。「自分だったら如何しているだろうか?」と問い返せば、悲しいかな、「ただ右往左往しているだけ」かもしれない。

 しかし、だからこそ、その自分の思いにここで立ち止まってはならない。菅政権と国会議員たちの全てに対して厳しい注文をつけなければならない。現在までの菅政権の対災害施策は細切れであり緩慢である。料簡の狭い政局事情に絡まれて右往左往と試行錯誤である。決断力と迅速さと全面的な責任性と包括性に欠けている。その間にも、被災者たちは途方に暮れ不安に沈潜し、病人や老人などの弱者から相次いで「被災死亡者」にも数えられない「震災後死」に追い込まれていっている。


 事態は菅政権だけの問題ではない


 被災現地の人々や県市町村自治体などの死に物狂いの苦闘。全国から駆けつける無数のボランティア達の献身。全国の有志自治体の援助と協力。有志外国から寄せられる声援と援護活動など。これらが明確に教えてくれるように、事態は全面的で全国民的な事態にほかならない。そうであればこそ、直接の政権担当者である菅政権にかぎらず、事態への全身全霊の献身は、国政の場に席を占めている全政党の任務と責任である。与野党などという偏狭な党派根性を超えた、国会議員としての一人ひとりの「全国民的な政治家」としての任務と責任である。


 全ての議員は「良心と理性の政治家」たれ!


 国民から国政を委ねられた「全国民的な政治家」として、その一人ひとりの「全国民的な政治家」の「総和」として、未曾有の複合危機に対処する「総がかり政権」を創出すべきである。与野党の如何を問わず、政党所属のいずれかを問わず、一人ひとりの政治家が、人としての良心を何処までも深め、人間としての理性を何処までも研ぎ澄まして、直ちに「完全救済の総がかり政権」を創出して、その「良心と理性」を一人の漏れも例外もなく、これ以上は一人の死亡者も困窮者や不安者も生み出さない「完全な救済と保障の政治」に徹底発揮すべきである。(4月23日)