THE  POWER  OF  PEOPLE

 

自民党憲法を国民が認めるはずがない宮澤 實


批判を許さない社会にしてはならない


 オバマに伏目がちだった安倍

 

 昨年末、自民党の単独過半数圧倒体制を背景に発足した第二次安倍政権は、自公体制をもってやりたい放題の観がある。それに比して、野に下った民主党は迫力もなければ、その存在感すら薄らいでいる。第三極と言われた日本維新の会も今のところ同じ現象だ。

支配階級の理想政治体制は保守二大政党による安定した政局を保つことにあるが、圧倒多数を制する自民党の独走はその体制を打ち破るかのようだ。

 2月22〜24日、日米首脳会談が開催された。安倍首相はオバマ米大統領と基本スタンスとして、日米同盟の絆を確認し、①TPP交渉参加表明、②辺野古への普天間基地「移設」の早期推進、③集団的自衛権行使容認や軍事費の増額など、④民主党政権で決定した原発ゼロを批判し、「原発ゼロ見直し」の誓約などが明確になった。日本国家としての国のあり方を問う問題を、安倍自民党は日米同盟深化と絆論の中で、主体を発揮できずに、ズブズブの隷米・隷属関係をあらためてさらけ出したのだ。


 7月参議院選挙を安倍政治の危機へ


 安倍政権が発足して3か月になろうとしているが、民主党政権の失点を教訓に、安倍首相自身の政権放棄の屈辱を胸に、安全操業に徹しているようだ。危機突破内閣を表看板に、アベノミクスなる経済財政政策・「3本の矢」(金融緩和、財政出動、成長戦略)をとっている。市場は円安・株高でマスコミの後押しもあり熱狂騒ぎである。デフレ脱却たる金融緩和で円安・製造業の業績向上・労働者への賃上げというサイクルをえがいているが実体のない、浮き草のようなカンフル剤は、一時的であり長続きはしないであろう。また、財政出動は13兆円を超える補正予算が成立した。財政再建どころか、軍事費の増額や公共事業偏重のばらまきになり、膨大な借金がかさみ、財政危機を一層深化させている。

だが、当の安倍政権は数の論理を背景に、どこ吹く風である。第2次安倍政権ではその「美しい国」から「新しい国」構想へとステップアップをはかり、新しい帝国主義時代への国づくりに力点を置いている。7月参議院選挙はすぐそこに来ている。安倍自民党政権は、ねじれ解消と絶対多数をめざし、戦後レジュームの転換の土台構築に向かうところに真の本質・ネライがある。7月参議院選挙までは経済効果一辺倒で押しまくり、その優位性をもって参議院選挙をたたかおうとしている。


 安倍改憲で権利も表現の自由もあぶない


 日本国憲法施行から本年で66年を迎えるが、国会発議にかかわる安倍自民党・改憲勢力の台頭によって、改憲が現実味をもってきた。昨年4月27日決定した自民党・「新憲法草案」は旧・憲法草案(05年の小泉政権)より帝国主義的・国家主義的色彩を持った内容になっている。安倍首相は総選挙大勝利後の記者会見では、「憲法改正に向け、発議要件を定めた96条の改正を先行させる考えを示した」(朝日新聞、12年12月18日)。それを基本スタンスにして改憲を争点にした参議院選挙に向かうことが想定される。そこに道筋をつけ、改憲活性化論の目玉として、「集団的自衛権行使は合憲」の閣議決定に着手するのも例外でなく、9条を改悪し、参議院選挙の改憲勢力の状況によっては憲法全面改正に迫ると思われる。

 自民党は党是でこれまで自主憲法論を提起してきた。すなわち日本の自立、そのための自主的憲法制定を思わせぶりに言ってきたがそうではない。すでに見たように、「アメリカに隷従しアメリカの軍事世界戦略に一体化した戦争国家」=そのための憲法的・思想的・政治的な体制を整えるというところに政治的本質がある。その見地から2、3指摘したい。

 第一は、自民党草案は憲法の象徴たる前文全体を修正でなく、置き換えをした。その内実は「人類普遍の原理」である、基本的人権の尊重・平和主義・国民主権の3大原則を否定し、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と規定する。改憲草案がもくろむ国家観=戦前の絶対主義的天皇制の単なる復古主義ではないがそこに根拠を置く天皇制国家日本として、その権威と支配原理の復活強化が色濃くにじみ出ているのだ。この規定のもとに、関係する条文はアメーバーのように浸透させている。具体的には天皇の「元首」化(1条)、天皇の「公的行為」の明文化(6条5項)、国旗・国家(3条)、元号(4条)規定など。とりわけ、「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」(3条2項)と規定しておりより深く教育現場だけでなく生きる場に強制力をもって弾圧・統制をはかるということである。

 第二は、「人類普遍の原理」否定とともに一体をなす、「非武装・絶対主義」である。自民党新草案では、日本帝国が犯した過去の戦争責任への反省や総括を一切葬り去るのだ。まともな精神や考え方ではない。その表れの象徴が現憲法の第2章規定の「戦争の放棄」が「安全保障」へと変えていることだ。表記が変わった程度ではない。9条の戦争放棄の理念を骨抜きにし、戦争放棄の真髄とされた「戦力及び交戦権の否認」はきれいさっぱり削除するのだ。その代りに「自衛権の発動を妨げない」との規定があらたに明記され、集団的自衛権行使に道を開く形をつくっている。これを前提にした組織体制が、9条の2項で「国防軍」と規定された。自衛隊の名称が変わった程度ではない。国民の安全や安心より「国家・国益」を最優先し、米国の軍事戦略と一体となって行動するれっきとした軍隊を意味する。

 第三は、第3章「国民の権利と義務」の制約・制限が顕著になっている。この項と密接にかかわる第10章の最高法規では「基本的人権の本質」・第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、犯すことのできない永久の権利として信託されたものである」(他のすべての法令に優先するもっとも高い地位を占める法)が切り捨てられている。その流れで、集会・結社・表現の自由の制約(21条2項)や公務員の労働基本権の制限(28条2項)などがある。人権規定を規定する表記として「公共の福祉」から「公益・公の秩序」へと変わった。国家権力にとって都合の悪いことは力でねじ伏せるという論理であり、批判を許さない社会につながってゆくのだ。

 まだまだ多くの問題点等が存在するし、これからも検討・研究を続け、運動につながるよう努力してゆきたい。いずれにしても、自民党憲法草案の意とするところは結局、現憲法の基本的スタンス論たる立憲主義(国家権力の暴走に歯止めをかける考え)を逆立ちさせることだ。すなわち、国家(天皇制としての国家)が人々を縛る法体系に替える仕組みとしての国のかたちは、アメリカの世界戦略と一体になった戦争国家の出来上がりなのだ。


 独善的で二枚舌の政治からは真のアジア主義は生まれない


 安倍自民党政権は「国のかたちを変える」「強い日本を取り戻す」等をキャッチフレーズの中で、東京裁判史観・暗黒史観・自虐史観からの脱却と称して、①日本帝国軍「慰安婦」問題で(おわびと反省)をした河野洋平官房長官談話(1993年)や日本帝国の植民地支配と侵略に「心からのお詫び」をした村山富市首相談話(95年)等の見直し、②中国や韓国を意識して、歴史教科書検定で「アジア配慮」条項修正検討なども浮上している。また、先鋭化している尖閣・竹島問題や朝鮮高校「無償化」問題等への問答無用の独善的・偏狭なナショナリズムは、混乱と対立と憎しみの繰り返しにすぎず、建設的ではない。

 こうした安倍自民党政権がいくら「未来志向」とか、「戦略的互恵関係」を言ったところで東アジアをはじめ世界から本当の信用や信頼を得ることができるだろうか。侵略戦争の犯した責任を反古にし、犯した負の歴史に正視することなく、嘘をつき、曖昧にしてゆく「二枚舌政治」は通用しないし、そこからは真のアジア主義は生まれない。


 自民党憲法草案を葬り—真正9条=徹底平和主義の道へ


 自民党憲法草案は葬り去るしかない。現憲法の歴史と崇高な理念と精神こそ継承し、既に本誌巻頭言で主張し、実践の運動基調になる「本当の意味の憲法9条」=「真正9条」(二度と武装も戦争もしない厳正な誓い)の生きた「徹底平和主義」に立ち、根もとから運動をつくってゆくことにある。私たちは、そこに結びつく行動として35年の歴史を持つ2・11を中心とした反天皇制全国行動(労働者としての思想と生き方、国家・社会・人間のあり方へと発展追求)を追求し、朝鮮問題研究会運動を通して、例えば、朝鮮の歴史や文化を学び、指紋押捺拒否闘争、在日韓国人政治犯救援運動をはじめ日韓労働者連帯(韓国労働者大会への参加、鉄道労組との交流、拘束労働者への激励など)、そして5年目を迎えた「3・1朝鮮独立闘争」(朝鮮への侵略と植民地化と暴虐を謝罪し、朝鮮人民の反日独立闘争に敬意を表し、「真の人間」への自己変革を誓う日と定めた)を行い、厳しい状況下に置かれている韓国済州島海軍基地反対闘争・カンジョン村の闘う住民への連帯支援などが目下の状況である。不充分さはあるが、根っこからの運動を追求してゆくことによって、東アジア平和共同帯の建設に結び付けてゆきたいと考える。(3月7日)