THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考178地球規模の人民連帯人民の力代表 常岡雅雄


自分を自分で欺かない自分になる


「新しい帝国主義」時代に

人らしく生きるために


「普通の人間」として問われている「人民の力」


 前回の「社会主義考177」の結びで「自分を自分で欺かない自分」になると題して次のように語りました。


 〈国家や支配勢力に「騙されない自分」になる!〉〈「自分を自分で欺かない自分」になる!〉—そこにこそ「全ての根」があり、全ては「そこから始まる」のではないでしょうか。問われているのは「私たち自身」なのであります。問われ試されていくのは「私たち自身」なのであります。


 こう巻頭言している本人である私自身にとってこそ、これは人生における「最大の難問」であります。

 少し考えてみれば分かることですが、〈国家や支配勢力に「騙されない自分」になる〉ことは〈不可能なこと〉ではありません。〈「社会を全面的に見る」ように心掛ける〉とか〈「社会を深く分析する」ように努力する〉とかで、不可能なことではありません。できないわけではありません。努めればそれを可能にする情報が社会には山のように積まれています。洪水のように溢れています。事実は深海に隠されていても、潜る苦労と恐怖を厭わなければ、遂には、真実を探り当てることもできます。

 だがしかし、「自分自身のこと」だけは、口ほどに簡単ではありません。「自分自身のこと」こそ、この人間社会での最大の難問であり、解き明かすことの難しい最高の謎ではないでしょうか。

 〈「自分を自分で欺かない自分」になる〉とは、この「最大の難問」「最高の謎」である「自分自身のこと」なわけですから、それこそ「難問中の難問」「謎の中の謎」なのであります。


 1971年7月結成以来、労働運動に出自をおく社会主義者として40年の茨路を生きてきた私たち「人民の力」の一人ひとりの同志においても、それは決して例外ではないでしょう。

 だからこそ、前号の巻頭言の『結び』で〈そこにこそ「全ての根」があり、全ては「そこから始まる」〉と言いました。すなわち、私たち「人民の力」が新しく生きていく「生命の根」は、その「自分自身を問い」直し、「自分自身の『事実』を見つめ」て、自分自身を「自分を自分で欺かない自分」へと自分の「つくり変え」を行っていくこと—これこそ人間論風に言えば〈自分を人間的に「解き放っていく〉ことにあると、自分自身の自覚を語ったのであります。


私たち「人民の力」の「理想と歴史的使命」


 その前号(社会主義考177号)の「結び」に至る直前に、私たち「人民の力」の「理想」と「歴史的な使命」について、次のように語りました。


 「新しい社会主義者としての私たち「人民の力」には「大きな理想」があります。〈人類の有史以来まだ見たことのない「武装も戦争もない平和主義世界」を切り拓いてゆく〉という「人類史的な理想」です。

 私たち「人民の力」は「現世の生活をかかえて懸命に生きる普通の人々」とともに心を合わせ力を出しあって、その「人類史的な理想」を実現していく道を、どんなに遠かろうとも進みつづけてゆきます。


近代世界の二重構造と地球規模の変革主体づくり


 或いはまた、私たちの機関誌『人民の力』の42年前の創刊(1968年6月1日)を記念する今年6月1日の巻頭言(社会主義考174号)では、〈構造的に転形する世界—「新しい帝国主義」世界にあって〉と現代の最も本質的で構造的な特徴づけを行いながら、そこにおける私たち「人民の力」自身の基本的進路を〈全世界の歴史的今日的な弱者を全地球規模の「変革主体」へ〉と全地球的な規模で明確にいたしました。

 その上で、私たちの世界認識と基本進路(綱領的な進路)を更に具体的には、次のように語りました。

 近代500年の世界は、欧米白人勢力の地球規模の暴虐な「侵略と収奪と支配の世界」でありました。したがって、それは同時に、白人勢力に侵略され収奪され破壊され支配されて無惨な非白人世界」でありました。すなわち、近代500年の人類世界とは、(一)欧米白人帝国主義勢力と(二)その「侵略と収奪と破壊と支配」を受けてきた非白人世界=非帝国主義世界との二大人類勢力の「階級的政治的闘争の世界」であったのであります。明治以降の後発資本主義である天皇制日本は欧米白人勢力の一角に参入してアジア太平洋地域に帝国主義的な暴虐のかぎりを尽くしました。

 20世紀の「旧い帝国主義」世界から「新しい帝国主義」世界へと深く構造的転形を遂げつつある21世紀人類世界とは、この二大人類勢力の「階級的政治的な闘争」が自然には解消されず、引き続き、しかも新たな構造と様相をもって、より深刻さを増して継続展開する世界となるでありましょう。(中略)

 すなわち、「全世界の歴史的今日的な弱者」を「21世紀の新しい帝国主義」にたいして「闘う全地球規模の変革勢力」に編み上げてゆくために、その一端にあって努めることこそ、私たち「人民の力」の21世紀の「社会主義道」なのであります。

 こうして、私たち「人民の力」の新しい思いは次々に固まり広がってきました。したがって、今年7月1日号巻頭言(社会主義考175号)では、「無限路をゆく人民の力」と私たちの前途の遠いことを自覚したうえで次のように私たち「人民の力」の社会主義運動上の性格を「人力社会主義」と性格付けして、その「結び」を〈(四)「人力社会主義」として悠々と〉として、次のように語りました。

 私たち「人民の力」が「結成いらい40年の歴史」で切りひらいて積み上げてきたことの全ては「人力社会主義」なのであります。そして、これから「無限路をゆく人民の力」が切り拓き積み上げていく全てがまた「人力社会主義」なのであります。


 そして、その「人力社会主義」の地球規模に進む方向を次のように明確にしました。

 「新しい帝国主義」世界に「地球規模の人民の力」へ—どこまでも歩きつづける新しい社会主義の道—「一人の悲劇もない世界」に向かって人力社会主義は進む


 かくして、21世界の時代的構造的特徴としての「新しい帝国主義」が「帝国主義の本性」として「国民主義・国家主義・民族主義・人種主義・宗教主義」のうねりを新しい思潮と手法で高めていく只中にあって、〈古色蒼然たる「大国主義と天皇主義」に惑わされない〉〈「米国隷従」主義の「日米同盟」論に誤魔化されない〉〈脱「国家」の道〉に立って次のように私たち「人民の力」は「地球人の道を進むべきこと」を語りました。

 狭くて浅くて野蛮な「国家・民族・人種・宗教」主義を超えて

 —広く深く、そして遠く無限の「地球人の道」を進む

 そうであるならば、問われるのは誰あろう、私たち「人民の力」の同志一人ひとりなのであります。まさに私たち一人ひとりは、「新しい帝国主義」時代にふさわしい「新しい人間へ」と「自己解放をとげていかなければならない」のであります。

 自分を自分で欺かない自分になる!

(2013年9月26日)