THE  POWER  OF  PEOPLE

 

今こそ問われている労働運動群馬 高橋扶吉


ヒューマニズム社会主義と

真正の憲法9条社会への実体化へ


世界は新しい帝国主義の対立と抗戦の時代にはいる

それを超えるには理性とヒューマニズム社会主義


 1989年の冷戦終結から25年過ぎた今日世界は、新しい帝国主義の覇権争い、そのなかに国家主義、民族主義、宗教主義、人種主義などが暴力と敵対と戦争による悲劇の連鎖のなかに落とし込まれている。

 米ソ冷戦終結後世界唯一の大国になった米国は、好調な経済を背景に超パワーぶりを発揮してきた。だが冷戦終結宣言以降初めての国際的危機は、90年のイラクによるクウェート侵攻であった。米軍を中心とする多国籍軍は圧倒的な勝利をもたらし、米軍を中心の「新世界秩序」の建設が宣言された。

 冷戦時代の、世界各地の地域紛争が終るかと思われたが、米国をターゲットにした2001年9月の米同時多発テロはアフガン、イラク戦争につながった。

 ブッシュ政権は対テロ戦争を宣言し、アフガニスタン空爆とイラク侵攻へと突き進んだ。イラク戦争を通じた単独行動主義は隘路に入り込み泥沼化をし、テロ戦争は限界の糸口は見えていない。

 米国発の金融危機での指導力低下した米国は、世界のリーダーとしての権威を失墜させてきた。経済のグローバル化はアジア、アフリカや中南米など多くの途上国に経済的発展をさせたが貧富の格差を拡大させた。中国やロシアなど新興大国の急速な経済成長も周辺諸国との摩擦を引き起こしている。核拡散や資源獲得競争、地球温暖化などが新たな脅威を生む危険性をはらんでいる。

 中東では、「イスラム国」の台頭と欧米との新たな衝突よって、アメリカは8月にイラクを空爆。イスラエルによるガザ地区を支配しているイスラム組織ハマスを「テロ組織」として、境界封鎖し軍事行動を繰り返している。暴力と敵対と戦争の連鎖を超えるには、人間としての理性とヒューマニズム、9条の実体化が問われている。


世界の新たな帝国主義による覇権争いの激化の中で

安倍政権は新しい帝国主義政治へと走っている


 「企業の『稼ぐ力』の向上はこれからが正念場である」として、企業の生産性や国際協力を高める必要性を訴え「鍵となる施策」として、法人税20%減税を挙げた、新成長戦略は国民生活よりも経済成長を優先させていこうとする姿勢であった。

 新たな成長戦略の全体像は、日本の労働力を劣化させかねない「日本産業再興」、世界への市場拡大へ、なりふりかまわない「戦略市場の創造」、TPP交渉の早期妥結を求める「国際展開戦略」の3つの戦略になっている。


●日本産業再興と成果主義の導入


 労働時間規制の適用を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入や成果主義の導入により、残業が無いまま長時間労働が強められ、企業が人件費の抑制ができる道を開くだけでなく、派遣法の見直しが加わることで労働者をいつでも解雇できる道を開くことができる。

 女性を働き手として活用するとしているが、所得税の配偶者控除や専業主婦などの対象で社会保険料の負担がない「第三号被保険者制度」の見直しが明記されている。貧困労働者には更なる負担が増してくる。

 再興戦略のもと、安倍首相は1年9ヶ月で49カ国を回り、原発輸出や武器輸出と日本企業の経済侵略を推進、海外企業の日本誘致などが積極的に進められている。


●集団的自衛権の行使容認よりも

自衛隊員が人を殺さず殺されなかった憲法9条政治を


 国民の生活よりも大企業擁護を鮮明にする安倍政権は、国民の「知る権利」を脅かす秘密保護法を反対し続ける声に耳を傾けずに2013年12月に強権的に強行採決をした。政府の裁量で秘密指定の範囲が広がる恐れのある、特定秘密保護法の運用基準が閣議決定された。施行が12月10日である。更に4月、原則禁止してきた武器輸出三原則を一転し、武器輸出新原則を閣議決定した。武器輸出の緩和は国際紛争を助長することになりかねない。

 「最高責任者は私」、立憲主義を否定し「私が法」、とうそぶく独裁的な安倍首相は、集団的自衛権の行使容認を7月1日に閣議決定した。その行為、は海外で武力行使を禁じた憲法9条を破棄することに等しい暴挙である。今回の閣議を経て、年内に「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)も見直され、自衛隊と米軍の新しい役割分担に合意することになっている。


●地球的社会主義にたった思想と

憲法9条の実体化を生きる場から


 10月3日に開催された日米安保条約の指針(ガイドライン)見直しに関する日米安全保障協議会(SCC)の中間報告は、①切れ目のない、日米共同の対応、②日米同盟のグローバルな性質、③地域の他のパートナーとの協力、④日米両政府の国家安全保障政策間の相乗効果、⑤政府一体となっての同盟としての取り組みなどであるが、まさにアメリカ隷従に他ならない。

 憲法破壊の集団的自衛権行使容認は「アメリカ隷従の戦争国家への道」を開く、戦争できない国から戦争できる国に形を変えようとしているのが安倍政権である。

 再び、子供たちを戦場に送り出さないためにも帝国主義政治に抗し、理性と憲法9条の実体化と地球的社会主義にたった思想とおこないを、生きる場からできるところから一つひとつ創り上げていくことが私自身に問われている。


開かれた労働組合運動と

「労働の場」「生きる場」から闘う労働運動の建設を


 ついに安倍晋三政権は、独裁的に集団的自衛権の容認を閣議決定、アメリカに隷従し「自衛隊の地球規模展開」の道を開き、国家の最高規範である憲法「非武装と戦争放棄」の絶対平和主義をうたう「平和国家」の日本が戦争する国の形へ変えるまでにきたのである。

 この国家の政治行為—戦争行為である特定秘密保護法や武器輸出新三原則、集団的自衛権行使容認とアメリカに隷従する安保条約などの政治状況に直面しているにも関わらず、日本の労働運動はどうしているのだろうか。組織された労働者たちは、明確な批判と断固たる対決の行動を労働の場から起こさないのだろうか。

 経済のグロバール化のもとに、労働者階級に襲いかかってくる「成果主義」と「残業代ゼロ」の労働時間規制の緩和することは、時間労働を保証している労働基準法の根幹を変える攻撃に対して日本労働運動はなぜ職場から対決してゆかないのであろうか。そして今、労働の場から行動を起こす労働運動が問われている。

 その労働労者が組織されている労働組合は、大衆の中に溶け込み、大衆と共に歩き、社会性のある労働組合であって、階級的で、普遍的な「開かれた労働組合」が 日本労働運動全般に広がり、日本社会に存在感のある労働組合を「労働する場」「生きる場」から創りだすことが、私自身に問われている。


生きる場で—憲法9条を語り真正9条社会をつくる


 戦後69年を迎え、安倍政権が解釈改憲で集団的自衛権の行使容認を推し進める中で、地方行政では戦争の加害や悲惨さを記した碑や説明版などの撤去が相次いでいる。地方の教育委員会や公民館では、「政治活動」に当たるという理由で憲法9条の講演などの後援や支援を拒否し、公報などに「憲法9条守れ」の短歌の記載拒否、9条講演などの会場使用拒否などが相次いている。

 群馬県高崎市の「群馬の森」に「記憶 反省 そして友好追悼碑」(朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑)を県が設置許可を更新しない決定をした。その行為は県が日本社会に必要な歴史の事実に向き合い、そして戦争責任や犯罪性を見えなくする行為であって許せない行為である。このような生きる場で起きている問題に向き合い、地域の活動と結びつきながら、「あらゆる場」で憲法9条を語り、自分の身のまわりの人たちと、アジアの人々と人間的なつながりを創りながら、理性とヒューマニズム社会を目指すおこないを人々と共に、一つひとつ創りあげてゆく。(11月4日)