THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考140 あらためて労働者階級を問う 常岡雅雄


脱「隷米ニッポン・成長主義・国民主義」の道に立って


ゼネストを打つ労働者階級へ


 変えよう冷たく無関心な労働組合

   築こう深い心と熱い意志の労働運動



 アメリカ隷従と資本制的「成長主義と国民主義」で

 反転逆行の道をすすみはじめた民主党政権


 人間として備えていてこそ当たり前の「理性もヒューマニズム」も堂々として清々しい「公明正大さ」も、それらの人間たる資格のひとかけらもなく腐敗しきってきた保守反動の長期政権それが自民党政権であった。

 自民党政権は、日本の労働者階級にたいしてはもちろん、隣国の韓国・朝鮮はじめアジア太平洋の人びとにたいしても、高圧的で傲慢で卑劣で理不尽であった。だが、その反面、太平洋戦争で天皇制日本が無条件屈服した帝国主義アメリカにたいしては限りなく卑屈に隷従しつづけてきた。

 自民党政権は、沖縄をはじめ日本全国を帝国主義アメリカの軍事基地に提供してきた。独立して自立自主の国家であるはずの日本を帝国主義アメリカの世界覇権とアジア太平洋への侵略と支配の「不沈空母」に堕落させてきた。朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク戦争はじめ戦後帝国主義アメリカのあらゆる侵略戦争を自民党政権は支持し協力しつづけてきた。帝国主義アメリカの対日政治と世界覇権政治にひたすら隷従するために日本国民を欺いて隠然と秘密外交をくりかえし、帝国主義アメリカとのあいだに密約の山を築きあげてきた。

 明治以来の侵略戦争と抑圧政治の反省の結果として、当然にも(一)「非武装・戦争放棄の平和主義国家」であるべき「戦後日本の国是」であり、(二)アジア太平洋・全世界への「平和主義政治の推進」の「精神であり指針」であるべき戦後憲法9条を、帝国主義アメリカ隷従の自民党政権は公然と踏みにじって、再軍備となし崩しの憲法改悪をつみかさねて、戦後日本を世界第一級の武装国家へと堕落させてきた。

 人間としての理性にもヒューマニズムにも公明正大さにも無縁な自民党長期政権の保守反動政治の数々をかぞえあげればきりがない。

 その反人間的で反理性的な保守反動政治の自民党政権から「無血の平成維新」をうたいながら画期的な政権交代をとげて登場した、ブルジョア的で保守的ではあっても、民衆の心と願いと営為に心を寄せ眼差しをむけた「前向きの政権」それが民主党政権であった。しかし、その初代鳩山政権は、公約「県外国外への移設」をめざした「普天間基地」問題で帝国主義アメリカの巨大な壁と日本官僚主義の抵抗の前に逡巡に逡巡をくりかえしながら為す術もなく挫け折れ、僅か半年余のシャボン玉のような超短命政権として弾けとび、「日米同盟」=「抑止力」論と「辺野古新基地建設」日米合意という反転逆行政治を残して、菅直人政権にバトンタッチした。

 かわった菅直人政権は、つるべ落としの支持率低下をたどった鳩山政権にとって代わって一たんは支持率の回復曲線をたどりはしたが、しかし、参議院選挙で予想外の惨めな大敗北を喫した。菅政権の政策基調「強い経済、強い財政、強い社会保障」のカナメとして菅首相が国民のまえに強烈におしだした「10%への消費税アップ」という増税政策への国民の猛反発が菅民主党政権を直撃したのである。

 政権末期の鳩山「反転逆行」に更に拍車をかけ「日米同盟の深化」「日米同盟は国際的な共有財産」とまで揚言して「底知れぬ隷米ニッポン」路線へと舵を切って鳩山にかわった菅政権は、しかし、参院「惨敗」と衆参「ねじれ」と民主内矛盾の深化によって、執政2か月にも満たずして、早くも、政権維持が危ぶまれる混迷の深い霧と泥濘へとおちこんで行っている。


 歴史的転形期の政治舞台に登場しない労働者階級


 戦後日本政治史に画期的な政権交代をとげながらも、一瞬の輝きと次第に深まりゆく混迷と逡巡と反転逆行のうちに「鳩山菅」民主党政権と流れている超短命政治をめぐるこの間の一連の政治状況を見つめるとき、労働者階級の一員としての私は、あらためて思いを深くさせられる。

 労働者階級とは、現代資本制社会をなす圧倒的多数者でありながら虐げられた者であり犠牲者であり構造的弱者にほかならない。そうであればこそ、社会の動脈であり、進歩の推進力であり、社会的弱者がリードする未来社会の創造者であり構築者であるべき労働者階級が、この戦後日本政治の歴史的転形期において、主体的な政治遂行者としては機能していない。いや更に、機能していないだけではなく、そもそも登場さえしていない。影も形も見えず、声さえも聞こえない。

 例えば、転形期の日米関係にふさわしく、鳩山政権が「普天間基地の県外国外移設」として日本政治の前面に推しだした沖縄問題に当たって、労働者階級は何処にいたのか。労働者階級の組織実践体としてのナショナルセンター「連合」は何をしていたのか。産別は何をしていたのか。単位労組は何をしていたのか。地本は、支部は、分会は何をしていたのか。


 全島一丸となった沖縄の流れに

 労働運動はゼネストで合流すべきではないのか


 「辺野古新基地」建設に反対し普天間基地の「県外国外」撤去を求めつづけて、遂には「全沖縄が一丸」となり、その全沖縄の「反基地」沸騰のまえに立たされて、鳩山政権が呻吟していたとき、ナショナルセンター「連合」はじめ日本の労働運動は何をしていたのか。

 その世紀の政治舞台に、労働運動にふさわしい思いと熱と姿をもっては、全く登場しなかったのではないだろうか。議会主義政党の動員部隊や小間使いとしてではなく、独自の主体的な政治行動者としてなぜ登場しなかったのであろうか。更にナショナルセンターだけでなく、個別の単位労組はもちろん産業別労働組合は、大義ある悲願のために一丸となって沸騰する沖縄と共に、なぜ、主体的に街頭行動に打ってでなかったのであろうか。沖縄と共に、なぜ、主体的にストライキに起ちあがらなかったのであろうか。「連合」はじめのナショナルセンターは、全島一丸の沖縄の闘いに思いを等しくして、なぜ、全単組・全産別・全労働組合を「総がかりの政治行動」に導かなかったのであろうか。沖縄が全島一丸となって「全島ゼネスト」状態へとむかっているときに、ナショナルセンターは、なぜ、ゼネストへと前進しなかったのであろうか。

 もし、そこまで前進できたならば、沖縄問題は「沖縄だけ」にとどまらなかったであろう。「帝国主義アメリカへの隷従日本」という戦後保守反動の道から、沖縄を「全国民的闘争の最前線」としながら、脱「アメリカ隷従」の道へと日本政治全体の大きな潮流転換の可能性すら生じたかもしれない。そして、鳩山政権の命運も「逆行への転換」とは大きく異なった姿とコースをとって行っていたであろう。


 労働運動は熱烈政治行動で

 福島政治に応えるべきではなかったのか


 社民党の福島瑞穂党首が「閣僚罷免!」「連立離脱!」覚悟で「普天間NO!」を固く守りつづけたとき、日本労働運動は、なぜ、その福島「反戦平和」政治への共感と支持を全労働者・全国民に呼びかけて熱烈広範な政治行動を展開しなかったのであろうか。もし、そうしていたならば、鳩山「民主・社民・国新」連立政権には、社民排除ではなく「福島政治」への方向転換さえ生じえたかもしれない。そうしておれば、参院選は大きく変貌した政治状況の真っ只中で展開されて、社民党の後退とは違った位置を福島党首以下の社民党に与えたかもしれない。そうしておれば、福島政治を転形期日米関係の輝きとして、参院選は、渡辺「みんなの党」如きの表層的瞬間的な躍進ではなく、国民のなかにおける社民党の存在意義を高からしめることができたであろう。しかし、日本労働運動は、支えて推しあげるべき福島党首を冷やかに見捨て、社民党を落ちるにまかせたのである。


 鳩山「県外国外移設」を挫折させたのは

 「連合」下の労働運動ではないのだろうか


 日本労働運動は、沖縄の心と政治を共にすることができず、沖縄を見捨て、そして更に、裏切っているのではないだろうか。

 鳩山政権を帝国主義アメリカの巨大な壁とアメリカ隷従「日本官僚主義」の卑劣反動的な抵抗のまえに挫けさせたのは、問題を労働者階級として主体的に理解するならば、即ち自分自身のあり方の問題として捉えるならば、それまさに「連合」覇権下の日本労働運動それ自身なのではないだろうか。

 日本労働運動が、「普天間撤去」に呻吟する鳩山政治の意義を正当に評価し、帝国主義アメリカこそが自分たちの真正面の闘争対象と見定めて、街頭行動、ストライキ、ひいては究極のゼネストへと主体的に闘いつめて行っていたならば、鳩山政治は無惨な挫折におちいらずにすんだのではないだろうか。違った前向きの軌跡を残しえたのではないだろうか。


 まさに体制的な帝国主義攻撃であった

 労戦「統一」国鉄労働運動解体総評解体「連合」覇権


 60年「安保・三池闘争」以降の日本労働運動における(一)闘う労働組合への分裂攻撃と労働戦線の帝国主義的「再編・統一」攻勢から(二)国鉄「分割・民営化」攻撃をへて(三)総評の崩壊と「連合」覇権へと流れてきた日本労働運動の展開過程を、今あらためて思い返せば、総評「崩壊」と連合「覇権」という時代的事態の「後ろ向きの意味」=「帝国主義的な意味」を疑問の余地なく見てとることができる。

 総評運動を健在的(更に発展的)に存続させてくることができていたならば、その総評は、決して十分ではなく、決して決定的ではないにしても、歴史的な政権交代が登場させた鳩山政権による沖縄「普天間」政治に直面して、沖縄と共に主体的に頑張りぬいてゆく道をとったはずである。決して十分ではなく、決して決定的ではなかったにしても、沖縄の心を自分の心とし、沖縄の願いを全日本の願いとして、全島一丸となった沖縄と共に前進したはずである。

 そしてさらに、中曽根政権が強行した国鉄「分割・民営化」攻撃=「国鉄労働運動分解国労解体」攻撃の決定的な「後ろ向きの意味」もまた鮮明に見てとることができる。この時代的な国家的攻撃によって、国労はじめの旧国鉄内の闘う労働組合は(A)徹底的に劣弱化されたうえに(B)大量の解雇者を抱え込まされた。国鉄労働運動は壊滅的に衰微させられた。こうして追い込まれ衰微させられた国鉄労働運動は、その負わされた「解雇撤回」闘争に20余年にわたって拘束され続けてきた。

 歴史的な民主党政権の登場と鳩山政権の沖縄「普天間」政治の真っ只中にありながらも、国鉄労働運動は、20余年の長期にわたって緊縛されつづけてきて疲労困憊した「解雇撤回」闘争の「政治解決」問題にひたすら没頭することしかできなかった。歴史的な登場をとげた民主党政権にたいしては、その「政治解決」という自己課題の達成のために「すがる」以上のことはできなかった。沖縄「普天間」政治を鳩山政権とともに展開することはできなかった。

 国鉄労働運動は、鳩山民主党政権に「すがる」ことはあっても、脱「隷米ニッポン」への可能性をひめた鳩山政治に志を等しくする者として登場することはなかったのである。

 かくして、話しを根本にもどせば、日本労働者階級の「自覚した階級」としての形成は、そのための献身者たちに無限とも云える辛苦の前途を残して、スタートラインの遥か手前に立っているのである。(10・7・25)