THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考144 再びの愚かさ日本ナショナリズム 常岡雅雄



日本ナショナリズムは再びの破壊への泥沼

経済圏構想は強者による侵略と破壊の蟻地獄


成長主義ではなく安定再生産へ

競争主義ではなく安心の社会へ

それは新しい社会主義の探求!


 権力者を奉仕者へ議員と財界と富者を非正規労働者並みへ

 非正規なき安心社会へ暴力装置自衛隊を非武装奉仕部隊へ


 今年も早くも師走の足音が聞こえる。

 今年の私の巻頭言「社会主義考」もいよいよ最後となった。私たち「人民の力」誌の巻頭言は人力全国の責任を負って誠実に奮闘しつづけている同志たちの交代執筆によって成立している。執筆担当になった同志たちにとっては、本来、労働者活動家であって専門の執筆家などではまったくないのだから、日々の組織的・実践的な活動に加えて「不慣れな執筆という難業」の責任を絶対完遂しなければならないという「辛さ」が襲いかかってくるのだ。

 そして、私は毎月の1日号の巻頭言執筆を受けもっている。情報世界の目まぐるしく転変する情勢と非力な主体と私自身の限られた能力との厳しい緊張関係に苛まれながらの巻頭言「社会主義考」執筆は、わずかに月一回とはいえ、私にとっては焦りと辛さの難行苦行である。


 愚かで軽薄な日本ナショナリズム


 今日11月20日、この今年最後の私の巻頭言「社会主義考」のテーマを思案しつつ、文房具屋も兼ねた近くの小さな駅前書店に入った。幾冊かの雑誌が目にとまった。かつて自衛隊の第29代航空幕僚長で現在「頑張れ日本!全国実行委員会代表」と称して憲法9条破壊と日本ナショナリズム煽動の超保守言動に全国的に疾走している田母神俊雄(1948年福島県生)の最新著『田母神国軍』(産経新聞10年10月)も棚に並んでいる。

 駅前の片隅のこんな小さな書店にも、愚かな後ろ向きの波がおし寄せているこれが、憲法9条を国是にかかげて非武装=絶対平和主義の新国家であったはずの戦後65年の日本の「哀れにも悲しく愚かな時代状況」なのだ。手に触れるのさえ拒否反応を覚える。しかし、「ばかばかしい!」と素通りしてはならないのだ。許し難いからこそ、しっかりと見詰めなければならないのだ。そう、思い定めて買い込んだ。(敬称略、以下同様)


▼編集責任「花田紀凱」の月刊『Will』11月号「緊急増刊」は、表紙に「略奪国家中国」「守れ、尖閣諸島!」と反中国・日本ナショナリズムを煽って大書している。

 主要な執筆者をみる。西村眞悟(京大法卒、前衆院議員)「無残なり!売国的敗退」安倍晋三(元首相)「民主政権でわが領土は守れない」西尾幹二(東大文卒・『国民の歴史』著者・評論家)「米中に挟撃される日本」桜井よしこ(フリージャーナリスト・元日本テレビニュースキャスター)「尖閣に自衛隊を常駐させよ」小林よしのり(漫画家・ゴーマニズム宣言・『戦争論』『天皇論』著者)「もう日中戦争は始まっている」という具合に、無思慮な日本ナショナリズムと反中国煽動と戦争主義である。


▼同じ『Will』12月号「超特大号」は、「総力大特集恫喝中国に屈するな!」と表紙大書して、次のように底の浅い「知識人」諸氏に書かせている。

 中西輝政(京都大学教授)「日本は『大義の旗』を掲げよ」小林よしのり「本家ゴーマニズム宣言ルール無視の暴力団、中国」西村眞悟が中国を標的に「その傲慢、腹に据えかねる」潮匡人「ノーベル平和賞妨害はナチスの再来だ」西部邁(評論家・元東大学生自治会指導者・秀明大学学頭・前雑誌『発言者』主幹)「自衛隊増強、国防力増強を」〈美女対談〉渡部昇一・小池百合子「万死に値する恥ずべき政権」〈緊急シンポジウム〉桜井よしこ・潮匡人・田久保忠衛・山田吉彦「中国の侵略に屈した民主党政権」山際澄夫「日本のメディアは中国の御用機関か」等々。


▼編集人「立林昭彦」の隔月刊『歴史通』11月号は「尖閣列島!ならず者国家の侵略がはじまった」と「緊急特集」して、石原慎太郎(東京都知事)に「歴史に復讐される日本」と、桜井よしこに「銃弾なき侵略『真珠の首飾り』で」と語らせ、佐々淳行(初代内閣安全保障室長)に「尖閣を実行支配せよ島へ!今なら制空権も制海権もある」と叫ばせている。

 日本人として友好と協調にこそつとめるべき中国を平然と「ならず者国家」呼ばわりするとは「虎の威を借る狐」にもひとしい軽薄さではないだろうか。日本こそ中国・アジア太平洋に「ならず者国家」ではなかったのだろうか。その「ならず者国家=日本」の歴史を事実通りに理解する理性も日本人として反省する誠実さもない、この人々こそ、まさに「ならず者知識人」なのではないだろうか。


▼編集長「上島嘉郎」の別冊『正論』第13号(9月8日発行)は、「終戦から65年、日米安保改定から50年・・・されど日米戦争は終わっていない」「日米『宿命』の対決日本の根本課題がここにある!」と表紙大書しながら、「日本よ、国家たれ!」と石原慎太郎と日下公人(評論家、日本財団特別顧問)に対談させ、西部邁に「戦後日本の無念祖国がアメリカの属州となる長き体験」、佐藤優(作家・元外務省主任分析官)に「思想戦としての大東亜戦争」として「なぜ戦わなければならなかったのか。正しいけれど敗れたという現実の再認識から考える親日保守の回復」と説かせている。

 「アメリカ隷従日本」の克服にむかって闘いぬいていく自立精神も気迫もなくただひたすら「隷米日本」に安住している政治屋と知識人たちが、軽薄に反米を語り日本ナショナリズムを煽りたてている。

 小さな駅前書店で目にとまった、わずか数冊の雑誌なのだが、まさに、反中国主義と日本ナショナリズムを煽りにあおっている。日本中の商業雑誌界の一端の一端でさえこの様である。今日の日本人が情的にも知的にも、これら反中国主義と日本ナショナリズムの煽動に侵されていっていることの一端をここにみることができる。

ところで、私は、この一年間に、自分が執筆担当してきた毎月1日号の巻頭言「社会主義考」で何を語ってきたのであろうか。今年毎号の私の巻頭言「社会主義考」の表題だけでもふり返って、明ける来年への立場と道筋を新ためて確かめておこう。


 この一年間の「社会主義考」の軌跡


(一)新春合併号・社会主義考133「理性とヒューマニズムの社会主義民主主義の意義と悠々社会主義の心と進路」

(二)2月1日号・社会主義考134「韓国併合100年・日米安保改訂50年自立日本=9条国家の坂を登る」

(三)3月1日号・社会主義考135「普天間と日本とアメリカ「裏返し日本の表返しへ青年よ!9条革命の大志を抱こう!脱米の日本を実現できる新しい党と潮流の創生へ無数の青年政治同盟を生きる場と学びの場に」

(四)4月1日号・社会主義考136「普天間問題と鳩山政治と国家脱米自立への日本の国家と精神の変革普天間基地撤去は『核なき世界』への一里塚沖縄の心とともに闘い抜いてこそ友愛の政治」

(五)5月1日号・社会主義考137「9条=平和主義日本で東アジア共同体へ崩れゆく谷垣自民党苦悶する鳩山民主党政権脱アメリカ9条日本への道その覚悟と模索をこそ時代が日本に求めている」

(六)6月1日号社会主義考138「福島瑞穂党首見事なり福島『罷免』どころか福島的進路への鳩山政治の方向転換こそが真の抑止力なのだ」

(七)7月1日号・社会主義考139「菅直人政治の明と暗新成長主義を掲げて逆行しはじめた民主党政治求められる価値観の転換脱『成長主義』と脱『アメリカ隷従』へ」

(八)夏季合併号・社会主義考140「あらためて労働者階級を問う脱『隷米ニッポン・成長主義・国民主義』の道に立ってゼネストを打つ労働者階級へ変えよう無関心な労働組合築こう深い心と熱い意志の労働運動」

(九)9月1日号・社会主義考141「菅首相談話と転形期のアジアと世界韓国併合(強奪)100年菅直人首相談話『反省とお詫び』『自分のこと』として考える『反省とお詫び』はそこから始まる『殺された人』『傷つけられた人』『辱められた人』『苦しめられた人』『奪われた人』それらの無数の人々の『殺され方』『傷つけられ方』『辱められ方』『苦しめられ方』『奪われ方』を『我が事』として思い浮かべるそこからしか『反省とお詫び』は始まらない」

(十)10月1日号・社会主義考142「危機はらむ『尖閣諸島=釣魚島』問題『脱国家』世界への全人類的道=類的正道に立って領土紛争地帯を超国家的な共同管理へ」

(十一)11月1日号・社会主義考143「沖縄県知事選沖縄と日本の岐路伊波洋一沖縄県知事の実現へ辺野古に新基地建設許さず・普天間基地撤去・基地なき沖縄の実現・脱『アメリカ隷従日本』・自主自立日本・9条実現・共存共栄アジア陽は西から昇る」


 そして今、沖縄では伊波洋一氏が沖縄県知事の座をめざして奮闘しつづけている。沖縄現地のみならず、全日本の、さらに韓国・アジア諸国の良心が伊波洋一沖縄県知事の実現を願っている。6日後の28日が投票日だ。それは伊波洋一氏の沖縄県知事が実現する日新しい沖縄が始まる日だ。「陽はまさに西から昇る」のだ。


 人民の力は前衛主義ではなく推進力だ

 人力社会主義は左翼でも右翼でもなく尾翼だ


 私たち「人民の力社会主義」は「前衛主義」ではない。

社会主義運動史の理解としても、自分たち自身の自己認識としても、「前衛主義」の誤りと愚かさを確認できたとき、私たち人力社会主義は「前衛主義」の事大主義と旧い衣を脱ぎ捨てた。さらに、自分たち自身の現実を見つめることができるようになったとき、私たち人力社会主義は、実体離れの空虚な「前衛主義」から「推進力と徹底民衆主義」への自己止揚を心に定めた。

 抑えつけられ、絞り取られ、奪われ、苛められながら日々を懸命に生きている人びとの中で、人びとと共に、自分自身の位置から、自分自身の資質と能力に応じて、前向きに、活動していくのが、私たち人力社会主義なのである。

 私たち人力社会主義の精神は当然のことながら「右翼」ではない。しかし、同時に、悪しき「左翼主義」でもありたくない。私たち人力社会主義とは「尾翼」こそもっとも自己納得できる位置と役割なのである。


 「日本ナショナリズム」狂騒と「経済圏」騒動の中で

 資本主義から「新しい社会主義」への

 人類史的な価値観と構造の根本転換の道へ


 この「理性とヒューマニズムと徹底民衆主義」そして「尾翼」としての人力社会主義の精神と立場を心掛けて語りつづけてきたこの一年間の社会主義考の軌道の上を、私は、さらに新しい2011年に向かう。

 そこは、明らかに、19世紀とも20世紀とも、異なりつつある世界である。「19世紀20世紀世界」から「異なった何ものか」へと「形を変えてゆきつつある世界」である。すなわち「転形期の世界」である。

 人類世界の前途は常に新しい。常に新しい何ものかへと変化しつつ人類世界は流れつづけていく。後一月もすれば明けていく、この新しい2011年も新しい何ものかへと変化しつつ流れていく世界である。そして今、私たちは、いよいよ踏みこんでいく2011年が「未曾有の歴史的転形」の「渦とうねり」に洗われ削られ翻弄されていっている日本でありアジア太平洋であり世界であることを感じとっている。

 その「転形期世界」の実相は多様で無数である。

 私たちが生きている直接の場である日本・アジア太平洋はもちろん世界中=地球の全体が転形していっているのだから、その実相の多様無数は当然である。それらの中でも、今ここでは、二つの事態を取りあげる。

 一つは、日中矛盾の深刻化と新しい日本ナショナリズムの狂騒である。

 二つは、「FTA(自由貿易協定)」・「APEC(アジア太平洋経済協力会議)」・「ASEAN+3カ国(日本・中国・韓国)」・「ASEAN+6カ国(日本・中国・韓国・オーストラリア・ニュージーランド・インド)」・「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)」・EPA(経済連携協定)」・「FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)」など、アジア太平洋全域にわたって新たな熾烈さをもって展開しはじめている「新しい資本主義的市場争奪戦」とその表層的形態としての「多国間の広域経済圏」構想の錯綜的奔流である。

 この一と二の両者は、(一)個々の国家や地域や各種の個別集団の見地からではなく「人類世界の全体的な立場」と、(二)「今日限り」ではなく「何処までも永続してあってほしい人類世界の広遠な将来への展望」とから、見詰め直し、その本質的な構造を究明するならば、その根本はただ一つの問題に行き着く。すなわち「人類世界と地球自然に限りなく破壊作用を及ぼしつづけていく資本主義というものの法則性」である。

 その資本主義法則性の反人類的で反地球自然的な暴虐が政治的に発露し舞いあがってゆくとき、その典型的で醜悪で最も凶暴な姿が日本ナショナリズムのような「帝国主義的ナショナリズム」である。そして、その資本主義的法則性の暴虐が経済的に発露し鎬を削って展開するとき、それが「自由貿易主義」という耳障りのいい呼称でくりひろげられている「多国間の広域経済圏」構想なのである。


 人類世界は、19世紀20世紀に続いて、今、ふたたびの愚かな資本主義的暴虐の坩堝の中に、過去2世紀よりも遥かに広大化し深化した規模(全地球的規模と新興資本主義大国の参入)において落ちこんでゆきつつある。まさに、資本主義の歯止めなき暴走であり、人類世界破滅への底なしの蟻地獄である。

 そうであるならば、課題達成への道が如何に遠く難路であろうとも、めざすべき課題は全人類的に全地球的に全国家的に、そして根本的に定められなければならない即ち、「資本主義からの根本転換の道」である。ナショナリズムとの闘いも、経済圏構想との闘いも、その根本はただ一つ、自国と全世界の「資本主義からの転換」にこそおかれなければならないのである。

 その具体的なあり方としては、骨格的には最低でも、まずは次の三点へと体制的構造的な方向転換がなされるべきである。

(一)各国においては、資本主義的な「成長主義=拡大再生産主義」ではなく人間的自然的な「安定再生産構造」への構造変革である。世界的にも国内的にも「弱肉強食」場裏の「強者の論理=成長主義」による「拡大再生産」は人間と自然の破壊と破滅の拡大再生産でしかない。

 人間は「立ち止まる」ことを覚悟しなければならないし、立ち止まって社会を安定的に成立させうる道をきりひらいていくことこそができねばならない。「安定再生産」こそがこれからの人間社会でなければならないのである。特に米・欧・日など先進資本主義国にあっては、全人類的・全地球的な尺度では、もはや、「成長は反動」であり、「立ち止りこそ進歩」なのである。

(二)各国の社会関係においては「競争主義と自己責任論」ではなく「国民の全ての一人ひとりが安心して安定した生活のできる社会」への転換すなわち「資本主義的な競争と弱肉強食の社会」から「皆生存皆安定」社会=「安心安定」社会への体制変革である。

 いかなる発展段階であろうと、いかなる社会であろうと、21世紀の人類は、その「安心安定」社会づくりの能力と理性をすでに備えている。資本主義的な価値観とその暴走だけがその人類史的前進を妨げているのである。

(三)そして諸国家間の国際関係としては(一)(二)の追求を前提としたうえでの各国の「自立自主」体制と諸国家間関係の「共存共栄」関係への変革である。

 自分としては苦くとも、他者の「自立自主」を認める理性自分には辛くとも、他者との「共存共栄」のために譲歩する理性貧らずに慎ましくあろうとする理性こうした「節度ある理性」こそが、新時代の国際関係をつくりあげていくのである。

 確かに、その実現への道は遠い。しかも、先例のない未知の全人類的課題である。

 しかし、その全人類的課題への価値観と進路の大転換を自覚しなければならない年として、2011年は明けて行こうとしている。

(10・11・21)