THE  POWER  OF  PEOPLE

 

『安全神話』は崩壊した 井戸孝彦


稼動中の原発の即時停止 原発建設計画の凍結


  原発は全て廃炉にすべし



 つくられた「安全神話」に安全などない!


 国と電力会社、重電メーカーが一体となって進めてきた原発政策は、①原子力は供給安定性と経済性に優れた準国産エネルギーであること、②二酸化炭素ガスを排出しない低炭素電源であること、③安全であること、を理由にして自民党政権が進めてきた。

 日本が国策として原子力、エネルギー政策を「安全神話」のもとで進めてきたが、今回の事故が明らかにしたように、日本の原発は「安全」などでは決してなく事故は回避できない。一度事故が起きれば処理不能に陥ることが証明された。日本の原発は安全で「チェルノブイリ」のような事態には決してならないと公言してきたが今や「レベル7」まで引き上げられ、事態の収束はみえない。

 東京電力・経済産業省・国を挙げて東京電力福島第一原発の事故処理が、なぜできないのか。原発が原子炉内での核分裂しエネルギーを生み出す際に作られる核放射性物質を人為的に制御コントロールができないからであり、放射性廃棄物の処理もできないのである。いったん事故が起きれば核物質、放射性廃棄物は人為的に処理できないもので、処理には放射能による人体被曝と自然環境汚染破壊が回避できない。大きな犠牲と莫大な処理費が必要になる。処理ができず収束への見通しも方法も見つけられない重大な事故になっている。


 政府は原発政策を見直して直ちに停止し廃炉へ


 日本政府は原発事故が重大化する中で、今回の事故を教訓として、菅直人首相は3月31日、昨年6月に現在54基ある原発を2030年までに14基以上増やす閣議決定をしたが、それを「見直しを含めて検討したい」とようやく語った。戦後60年続いた保守政権に変わって誕生した民主党は脱原発ではなくこれまでの原発政策を継続し増設計画を明らかにしてきた。「世界一安全」な原発を成長産業と位置付け積極的に海外へ売り込もうとしてきた。日本の原発政策は、50年の長きにわたって自民党政権が原発を優先する米国からの強力な後押しによって、電力会社と重電メーカーと一体になり、進めてきた。海洋プレートと大陸プレートの境界に位置する地震大国日本列島に54基もの原発が作られた。

 自民党ならびに自公政権下で進められてきた原発計画は、09年9月の政権交代後も引き継がれた。民主党は09年の衆院総選挙マニフェストで「原子力利用について着実に取り組む」と書き、その次の10年参院選マニフェストでは、「総理、閣僚のトップセールスによるインフラ輸出」として原発の海外輸出を挙げた。

鳩山内閣は、この分野での日本の強みを活かして日本が「環境・エネルギー大国」を目指すとした「新成長戦略(基本方針)」を決定した。そして菅内閣に引き継いだ矢先に、福島第一原発で重大事故が起きた。当然にもこうした政府の原発政策は見直し、直ちに停止し廃炉しなければならない。

 世界でも、今回の原発事故を契機にドイツ、スイス、アメリカで停止、計画の凍結、原発依存社会の見直しなど脱原発への動きが出てきた。

原発政策の「見直し」「脱原発」は、当然だ。「2030年までに14基以上増設する」というエネルギー計画を白紙に戻し、現在稼動中の原発も、直ちに停止し廃炉にしなければならない。

 4月28日に中部電力は、福島第一原発の事故の収束が見えないなか点検休止中の浜岡原発三号機の7月再稼働を明らかにした。この浜岡原発は東海、東南海の大地震・大津波の発生の可能性が最も高いとされる駿河湾に位置し、もっとも危険の恐れがある原発の再稼働を提起した。東京電力福島第一原発事故後も、中部電力の経営者は原発への依存姿勢、国策としての原発政策を強力に推し進める姿勢を表したものである。この姿勢は電力会社一社の意図ではなく、原発政策を強力に推し進めてきた国、電力業界、原発産業に依存してきた業界の姿勢が示されており、これからもエネルギーを原発に依存していこうとするものだ。世界中を震撼させた原発による重大事故を起こした反省も教訓ともしない国、電力業界の姿勢は許されない。


 責任が問われる日本の原発政策


 今回の東京電力福島第一原発での事故処理とその対応から改めて明らかになったことは、原発は人為で制御できない、ということだ。自分たちで「想定」した範囲内「想定枠」でしか対策を講じてこなかったことが、事故を引き起こし甚大な被害を生じさせた。環境・人体に及ぼす被害の広さと深刻さは、地域・国をはるかに超えて地球全体に及ぶこと、数世代を超えて及ぶということ。使用済み核燃料問題に至っては、人為で処理する技術・方法を持たないままに原発を稼動し続けてきた、ことが明らかになった。

 過去50年にわたって原発政策を推し進めてきた政党は、今回の福島原発事故を踏まえ、真摯な反省と検証作業が求められる。国民を「安全神話」で国の原発政策に協力させ、湯水のように税金を使い、事故を引き起こした。世界中の人々を震撼させ放射能汚染被害の危険にさらしている責任を明確にして謝罪しなければならない。

 人命・環境を重んじるよりも、人為で制御しきれない原発を優先させ、過去の地震・津波の経験やデータで大地震・大津波発生の可能性が高い地域の海岸線沿いに原発を設置した。さらに、自ら設定した「想定枠」に基づいて発信してきた「安全情報」と原発立地周辺地域の「安全対策」の誤り。使用済み核燃料の危険さとそれを人為では処理することが出来ず、また最終処分地の目途が立っていないにもかかわらず、原発導入を優先してきた。米国の後押しで原発政策を、国策として産官学一体となって推し進めてきた、その責任は重い。東京電力福島第一原発は、茨城県東海村・敦賀・美浜原発につづいて1971年に作られた。

 政治は結果責任を伴う。政治という人為的決断と行為によって生じた結果に対しては、責任をとらなければならない。責任の取り方の第一歩は、起こった結果についてその原因とプロセスを徹底的に分析・検証し誤りを正すことである。大地震、大津波、東京電力福島第一原発事故と未曾有の大被害に見舞われ、何物かも失われてしまった。東北関東地方の復興が急がれる。ゼロからの出発だ。その復興ビジョンづくりは今回の東京電力福島第一原発事故がもたらした人類への警鐘を教訓としなければならない。また、地震、津波による被害は甚大だ、新しい街づくりにも生かされなければならない。


 原発依存の国民生活を問い改めて全ての原発を廃炉へ


 過去50年にわたって推進してきた日本のエネルギー政策=原発政策の三本柱が崩れた。日本は原発を資源エネルギーのない国で「安全」で「低廉」な「エネルギー源」として、原発の推進は欠かせないとして強力に推し進めてきた。「原発はエコで!環境に優しい!」「原発は地球温暖化の切り札!」「原発は低コスト!経済的!」「原発止めたら電力不足!」「原発は絶対に安全!」であると言い続け、国民を原発推進の呪縛に取りこんできた。東京電力福島第一原発事故が被害の拡大と汚染が拡大し事態の収集の目途さえ立たないなかで実施された世論調査に、答えた人の半数が事故後も「それでも原発は推進すべきだ」と、答えたとの報道があった。「安全神話」で原発依存の国民世論に支持され、国の強力な後押しで進めてきた東京電力とそして政府、経産省は事故の真相をひた隠しにしてきた。

 しかし、原発事故の収束が見えないなか隠しようがなくなりだんだんと真相が見えてきた。事故発生当初政府は国際基準に定める事故レベルを4と発表したきが、レベルは5に改められ今は最高レベルの7になった。チェルノブイリの原発事故と同レベルまで引き上げられ事故の重大さが明らかになってきた。放射能汚染も福島県の限定された地域にとどまらず海洋への汚染、大気の汚染は拡大し続けている。地球の生態系に被害をもたらし子供たちの健康に将来にも大きな不安をもたらしている。原発は核物質を含んだ使用済み燃料棒を作り出す。その処理方法もなく原発で長期間にわたり冷却保存されていることも明らかになった。またその使用済燃料棒の廃棄処理もできないことも明らかになった。今回の事故で国民の目を見えなくさせてきた原発の問題が白日のもとに明らかにされるなかで、国策としての原発政策の日本での見直しを求める動きも出てきた。国民自身が人類と共存できない核を生み出す原発に依存してきた国民生活が問われているのである。

 核廃棄物や二酸化炭素を排出する原発や火力発電に依存しなくても自然と環境にやさしいエコ発電の方法はある。太陽光、風力、地熱、小水力、波力、風力、バイオなどいくらでもある。政府はこの間、原発を推し進めるために新しい分野にお金も人材も投資もほとんどしてこなかった。原発や二酸化炭素を排出す火力発電にエネルギーを求めた国民生活を改ためること。また、限りある地球資源のなか西欧型の大量生産、大量消費、使い捨て文明から、地球と環境にやさしいエコと節約の文明に、21世紀から将来の国民生活を変えていくことが急務である。地震、津波、原発事故で甚大な犠牲者と被害を出した東北関東地方の国民総がかりでの復興が急がれる。その街づくりに新しい文明思想を生かそう。(五月四日)