THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考143沖縄県知事選沖縄と日本の岐路 常岡雅雄



伊波洋一沖縄県知事の実現へ


辺野古に新基地建設許さず・普天間基地の撤去・基地なき沖縄の実現

脱「アメリカ隷従日本」・自立自主日本・9条実現・共存共栄アジア


陽は西から昇る



 11月28日を歴史に記憶される日に


 伊波洋一沖縄県知事を実現させなければならない11月28日が、いよいよ、あと一カ月後に迫った。その実現は確実に戦後沖縄の政治史に決定的な分岐点となる。だからまた、その実現は戦後日本の政治史にも画期的な岐路となる。伊波洋一沖縄県知事を実現することによって、帝国主義アメリカに隷属してきた戦後日本=隷米日本=非理性的日本=違憲国家日本=武装した戦争国家日本の理性的日本=非武装絶対平和主義日本=自立自主日本への歴史的転換の始まりの日として2010年11月28日は歴史に記憶される。

 その歴史的転換の道をきりひらくために、民衆運動家・労働運動家・地方政治家としての苦闘の実績のうえに沖縄県政の重責にチャレンジする伊波洋一氏を沖縄県知事に押しあげなければならない。

 振り返れば明らかなように、伊波洋一沖縄県知事の実現は「沖縄の意志」が一歩も引かなかった証である。「軍事基地なき沖縄」をめざす沖縄の人々の意志「普天間軍事基地の撤去」を願う沖縄の人々の意志辺野古に「新しい軍事基地の建設を許さない」と決意する沖縄の人々の意志「普天間基地は県外国外へ去れ!」と願う沖縄の人々の意志帝国主義アメリカの支配と官僚主義の壁のまえに挫折して反動的反人間的な「日米同盟の深化」路線に転落した鳩山民主党政治に惑わされず前進しつづける沖縄の人々の意志その一歩も引かずに前進しつづける「沖縄の人々の意志」が伊波洋一氏を沖縄県政の責任者に推しあげるのである。

 辺野古海岸現地に「現地闘争の砦」=「団結小屋」を築いて闘いつづけてきた、不屈の長老・嘉陽宗義さん(87歳)をはじめとした沖縄の人びとの頑強不屈の辺野古現地闘争が、沖縄県政治に今一つの実を結ぶ。伊波洋一沖縄県知事の実現である。それは沖縄の人びとが戦後沖縄の政治にきりひらく「新しい地平」となるに違いない。

 そしてまた、伊波洋一沖縄県知事の実現は、「沖縄の問題」を「遠い彼方の他人事」とせず「自分自身の問題」と自覚して全国から連帯しつづけてきた全国の人びとの思想と意志の結晶でもある。沖縄とひとしく押しつけられた軍事基地に悩まされ闘いつづけてきた全国各地の「反基地平和闘争」の人々の願いと意志がうみだす結晶でもある。さらに、韓国をはじめ国家と民族をこえて連帯しつづけてきたアジア太平洋・全世界の人々の国際主義的な精神と実践がうみだす結晶なのである。

 伊波洋一沖縄県知事の実現は決して「単なる議会主義政治」の産物ではない。それは、歴史的にも今日的にも、日米両軍の死闘によって死と血と瓦礫の地獄に落とされた沖縄の人々が、その死と血と瓦礫の地獄から再生と復興をきりひらいてきたその「生きる場」からくりひろげ続けてきた「辛苦の民衆闘争の結晶」なのである。


 沖縄が日本を変える


 もちろん、伊波洋一沖縄県知事の実現は、「沖縄だけ」のことではない。

それは日本そのものの「脱アメリカ」への「大きな一歩」である。単なる「思想」や「願い」や「スローガン」といった次元ではなく「実際の行為としての脱アメリカ」=「実際の政治としての脱アメリカ」なのである。

 第二次世界大戦における無条件降伏の結果としての戦後日本その戦後日本は、「国家の構造」としても「精神の構造」としても、太平洋戦争における圧倒的勝者として戦後世界の覇者となった帝国主義アメリカへの「隷従国家=日本」として再建され発展してきた。

 「帝国主義アメリカに無条件降伏した日本」=「帝国主義アメリカの占領国家に転落した日本」にたいして、帝国主義アメリカが、明治以降の絶対主義的天皇制に替えてもたらした「民主主義の思想と政治体系」は戦後日本にとって「革命的な進歩」であった。日本の「社会発展の必然」に沿うものであった。

 しかし、同時にその内実は、(一)帝国主義アメリカの軍事的支配に隷従する国家構造であったし、(二)帝国主義アメリカの価値観を絶対視してその精神的支配に隷従する精神構造として再建され発展してきた。(三)しかも、戦前からの天皇制官僚主義が無条件降伏によって一掃されるどころか「無傷のまま残存」して帝国主義アメリカに「迎合して生き延びてきた」ことにみられるように、その「戦後民主主義日本の精神構造」の本質は「天皇制官僚主義の精神」にほかならなかった。

 即ち、「アメリカ隷従」とは「軍事的価値観的なアメリカ隷従」と「天皇制官僚主義の精神」の「融合にほかならなかった」のである。

 このアメリカ隷従日本の「最大の犠牲者」こそ戦後沖縄だった。

 この「米国隷従日本の最先端に配された戦後沖縄」=「軍事基地の島沖縄」=「日本の米軍基地の四分の三を押しつけられた沖縄」=「帝国主義アメリカのアジア太平洋戦略の要石とされた沖縄」その沖縄に「軍事基地撤去基地なき沖縄」=「沖縄の意志」の遂行を政治使命とする伊波県政が実現するのである。

 それはまさに戦後沖縄県政における隷米沖縄から脱米沖縄への決定的な転換であり、さらに、それは同時に、隷米日本が脱米日本へと踏みだしはじめたことを意味する。

 ここにこそ、伊波洋一沖縄県政実現の画期的な意味がある。


 陽は西から昇りつつある


 「アメリカ隷従」=「隷米日本」から「脱アメリカ日本」=「脱米日本」へと転換することとは、(A)「自立自主の日本」へと日本の「国家の本質的構造」と「政治の方向」を転換させていくことであり、(B)その転換遂行に相応しい日本へと日本の「精神と体質」を根本的に「創り変えていく」ことである。

 その根本的な創り変えの核心的問題は

(一)第一には、沖縄はもちろん日本全土からすべての米軍を全面的に完全に撤退させることである。

(二)第二には、戦後アメリカの戦後世界戦略と日本支配のために「非武装絶対平和主義の憲法9条」を公然と蹂躙して再武装をおこない違憲体制を築きあげてきた戦後日本の「国家の本質的構造」の根本的な転換をはかり憲法第9条規定通りの「非武装絶対平和主義日本」=「9条国家日本」を「創りあげていく」ことである。

(三)そして第三には、明治以降の天皇制官僚主義の精神と体質を継承温存したままで戦後日本を「帝国主義アメリカへの隷従国家」=「隷米国家日本」と「憲法第9条蹂躙の再武装国家」=「違憲戦争国家日本」へと堕落させてきた戦後日本の「反理性的な精神と体質」を「非武装絶対平和主義と自立自主の理性的な精神と体質」へと「革命的な変革」を成しとげていくことである。

 戦後沖縄の人々は、「命ど宝」=「命こそ宝」=「人間こそ目的」の心と熱情をもって、「米軍基地なき沖縄」=「平和の島沖縄」を求めつづけてきたし、その実現のために懸命の苦闘を積みかさねつづけてきた。それこそが「戦後沖縄の精神であり意志であり実践」であった。

 即ち、「戦後沖縄の精神と意志と実践」とは、まさに「非武装絶対平和主義=憲法第9条」であり、「隷米日本からの脱却=脱アメリカ日本」であり、「自立自主の理性的な精神と体質」そのものにほかならなかった。

 「理性と平和の問題」にあって、戦後沖縄は「戦後日本の最先端にあって闘い続けてきた」のである。その「沖縄の意志」を結晶させて伊波洋一沖縄県政が実現するのである。「脱米の日本」=「非武装絶対平和主義の日本」=「理性的な日本」が伊波洋一県政の実現として沖縄に姿を見せてくるのである。沖縄という「一つの地方」ではあっても、その重みは「全日本的!」である。

 「脱米日本」=「非武装絶対平和主義日本」=「理性的日本」が「沖縄から始まっていく」のである。まさに、陽は西から昇りつつある。

                     (2010年10月28日)