THE  POWER  OF  PEOPLE

 

社会主義考146 澄んだ頭 熱い心 常岡雅雄



転形期の世界渦巻く国家対立


新しい天皇主義と国家主義に惑わされない


 日本列島全体を近来稀な大雪と寒波が包み込んでいるが、ここ首都圏は、今日も淡くかすかに白雲が浮かんでいるだけの快晴のもとに純白の雪をまとった富士山が大きく浮かんでいる年末いらい連日の快晴つづきのなかで、2010年から2011年へ、あれよあれよという間に年を越して、すでに1月も暮れて2月を迎えようとしている。


 天皇制克服の日常性


 この2月、私たち人民の力は、「天皇制に反対し天皇制の克服をめざす」運動を月間集中行動として行う。1970年代末、私たち人民の力は71年結成いらい概ね10年の基礎形成の努力をかさねて、思想と実践にもう一歩の向上の必要を感じるようになってきていた。天皇制の問題である。大平自民党政権による「元号法の制定」問題(1979年6月12日公布)をその一歩前進への踏切点として反天皇制行動を開始した。それいらい毎年2月に天皇制の克服をめざす行動を全国的に行って、今年で33回を重ねることになる。

 この間、運動の考え方や行い方には更に進歩があった。

 当初は、講演集会と市街デモだけであった。その後、「労働者としての生き方」及び「社会のあり方」を「問う」という新しい性格を講演集会と市街デモに加えて行ってきた。しかも、「労働者としての生き方を問う」「社会のあり方を問う」ということは、集会とデモという「一過的な行動」「行事主義的な行動」だけで済むものではない。「労働者としてのあり方」「社会のあり方」を「日常的に問い」ながら「自分自身の人間変革」や「社会構造の変革」を「普段に追求し続けていく」という「天皇制克服の日常性」=「日常的な反天皇制」がなければならない。

 その進歩が実際にどれだけできたか?あらためて問い返せば、首を傾げざるを得ないところが少なからず残るにしても、その進歩の道に沿って、遅々としてではあれ歩み続けてきたことを確認することができる。「理性とヒューマニズム」の「新しい社会主義者」として「自覚的に生きて行こう」としている私たち「人民の力」の同志たち一人ひとりの姿に、世の中もそれを認めてくださるのではないだろうか。


 新しい天皇制国家主義の波頭


 ところで、時代は「新しい帝国主義世界への転形期」である。

欧米日先進資本主義列強が世界を専断してきた19世紀〜20世紀の200年間の人類世界が21世紀に入って大きく根本的に様代わりして行きつつある。日本もまた明治維新いらい、そして1945年敗戦いらいの「先の見えない様変わり」の中に踏み込みつつある。アジアも新大国=中国の新しい帝国主義国家としての劇的登場によって一変しつつある。「新しい帝国主義世界」「新しい帝国主義日本」「新しい帝国主義アジア」への「歴史的な転形期時代」へと世界は急激に雪崩れこんでいっている。

 この新しい帝国主義日本への転形を如実にしめすものとして、新しい天皇主義・日本主義・民族主義・排外主義・戦争主義の足音が一歩一歩と高まってきている。駅頭近くの小さな書店を覗いただけでも、それら天皇主義・日本主義・民族主義・排外主義・戦争主義の書籍がびっしりと並んでいる。

 例えば、それらの幾つかを挙げてみよう。

 前航空幕僚長・田母神俊雄『自らの身は省みず』(WAC)●同『田母神塾これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)●同『真・国防論』(宝島社)●小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』(小学館文庫)●『新ゴーマニズム宣言脱正義論』(幻冬舎)●同『本家ゴーマニズム宣言』(WAC)●同『新ゴーマニズム宣言戦争論』(幻冬舎)●同『新ゴーマニズム宣言昭和天皇論』(幻冬舎)●同『新ゴーマニズム宣言新天皇論』(小学館)●同『「個と公」論』(幻冬舎)●西尾幹二『国民の歴史』(新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社)●同『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』(徳間書店)●石原慎太郎『日本よ』(産経新聞社)●桜井よしこ『気高く、強く、美しくあれ日本の復活は憲法改正からはじまる』(小学館)●西部邁『国民の道徳』(前同会編、産経新聞社)●小林よしのり・福田和也・佐伯啓思・西部邁『徹底討論国家と戦争』(飛鳥新社)●雑誌『WILL』・『SAPIO』・『正論』・『歴史通』・『新潮』等々々々・・・。

 これらを丹念に読み通すのはもちろん、ざっと走り読みするだけでも、更には跳びとびにスキップ読みするだけでも、どうしてそんなことが言えるのだろうか、そんなことを言って心が痛まないのだろうか、そんなこと言って恥ずかしくないのだろうか、などと胸の奥から激しい違和感や重い抵抗感が湧いてくる。

 私の頭と心から見れば、そこにあるのは全てが許されてはならない問題の山である。もちろん、ここではそれら問題の全てを取りあげることなどできない。それらの山のなかの僅か二つ三つだけであるが、拾い上げて私の思いを対置してみたい。


 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ!

 それが皇軍兵士たちの心であっただろうか?


 大学在学中のデビュー作『東大一直線』の大ヒットいらい「ゴーマニズム宣言」で異彩を放ち、そのけばけばしく連発されつづけるゴーマニズム漫画は常にベストセラーであり時に20万部をも超えるという超著名な漫画家である小林よしのり氏は、いまや、私の頭から見れば、徹底した「新しい天皇主義者」であり「新しい天皇制国家主義者」である。

 その小林よしのり氏が、昨年3月発行の『ゴーマニズム宣言昭和天皇論』(幻冬舎)で、日本軍兵士たちの異国の海に山に野に散乱する累々たる無残な屍を描きながら、その戦場に斃れていった日本軍兵士たちについて、次のように読者に語って聞かせている。

 〈戦場に行く兵士の多くが「天皇のために」戦い斃れていった。祖国から離れれば離れるほど、祖国を思う情念は、国民の結束点としての天皇、国家の歴史の象徴としての天皇に集約されていった。天皇陛下ばんざーい!天皇陛下ばんざーい!天皇陛下・・ばんざ・・い。海行かば 水漬け屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ大伴家持の長歌の一節である。信時潔が荘厳な調べを付けた。「天皇の下にこそ死ぬのなら、顧みて後悔することはない」と誓い多くの兵士が戦地に向かった。〉(89頁)

 これは本当のことだろうか。

 「いや、そうではなかったのだ!」という兵士たちの真実が、戦後、帰還できた兵士たちの回顧録や手記として無数に明らかになっているのではないだろうか。私の記憶に鮮明に残っている「手記」を一つ挙げよう横田正平著『玉砕しなかった兵士の手記』(草思社、1988年)。

 ここには、(一)兵站力と兵器の欠乏のなかで天皇制的専制的な精神主義的軍律のもとに置かれて、戦場で戦う以前から既に、日本軍の隊内には欺瞞や誤魔化しや盗みや不正が平然と横行していて軍としての実質はガタガタになってしまっていたこと、(二)米軍の合理的な戦略戦術と圧倒的な兵站力と砲火の前に、ただ死ぬためにだけ駆り出されて死んでいっている日本軍兵士の哀れ極まりない姿が、(三)その兵士の一人として奇跡的に生還した横田兵士の戦場における「手記」によって浮き彫りにされている。かつての天皇制日本とその「皇軍」兵士たちの戦場における悲惨極まりない実際の姿とを知り、その意味を考察するうえで必読書の一つである。

 確かに、小林よしのり氏は大いなる勉強家である。彼のゴーマニズム漫画には戦場場面も大いに描かれている。勉強家の彼は帰還将兵たちの回顧録や手記をほとんど読みつくしているに違いない。この横田正平「手記」にも目を通しているはずである。だが、絶対的な「新しい天皇主義者新しい天皇制国家主義者」としての彼は、それらの真実を黙殺する。その意味を理性的に人間性的に考察しようとはしない。現実の地獄的な戦場事態の全てを天空高く昇華させて「絶対的な天皇主義絶対的な天皇制国家主義」へと結晶させていくのである。

 彼の著書の巻末の「参考文献」にはこれら帰還兵士たちの回顧録や手記は全くと言っていいほど挙げられてはいない。彼は実際の真実から意図的に目をそらす。彼は地獄の戦場現実が意味する真理を探り出そうとはしない。考察しようともしない。悲劇の戦場現実の全てを、浮ついた夢のような天皇主義的な思い込みをもって独断的に捻じ曲げる。そして、それを「大君の 辺にこそ 死なめ かへりみはせじ!」と「絶対的な天皇主義と天皇制国家主義」とその「戦争美化」へと「昇華させていっている」のである。天皇に帰依すれば、地獄も天獄になると、小林よしのり氏は今日の青年たちに「戦争への憧れ」と「天皇への絶対の帰依」を描いて見せているとしか、私の頭と心からは考えられない。


 友好と平和のために慈悲の心をもって、皇軍は

 他国の首都・南京を攻撃し占領したのであろうか?


 「南京大虐殺」について、小林よしのり氏は『新ゴーマニズム宣言戦争論』の「日本を悪魔に仕立て上げたニセ写真」(158頁)の項で取りあげている。

 南京における日本軍の残虐行為として無数の「証拠写真」が提示されてきた。小林よしのり氏は、私たちも既に見たことのあるそれら沢山の写真のなかで、写り具合が鮮明でないものとか、どうとも判断ができるものとか、説明に若干の食い違いがあるものとか、信憑性に疑念の残るもの数枚だけを取り出す。そして〈何者かが日本兵に化けて「日本軍の残虐写真」をデッチあげたものだという可能性が極めて高いのである!〉などと思わせぶりな口ぶりをもって〈厳密な史料批判に耐え「これが日本軍による民間人大虐殺の証拠」といえる写真はまだ一枚も出てきていない〉などと嘘をつきながら、だから〈南京大虐殺はニセ写真の宝庫〉だと決めつけている。こうして、小林よしのり氏は、だから「南京大虐殺はなかった」と独断的な判断をくだして、それこそが真実だと読者に思い込ませようとしている。

 アメリカでベストセラーになっている中国系米人女性アイリス・チャン執筆の『ザ・レイプ・オブ・南京』に対しても〈アメリカの学者から見ても評価に値しない〉などと読者に先ずは先見的に歴史的名著『ザ・レイプ・オブ・南京』への否定的先入観を植え付けた上で、それは〈「南京虐殺でっち上げ本」なのだが著者が美人だったためマスコミが持ち上げて大反響だ〉と、米国マスコミへの侮辱とセクハラ紛いの言い方をもって南京大虐殺は「でっち上げ」であって実際には「なかったのだ」と読者に思い込ませようとしている。このような汚く軽薄な手法は、理性的に「澄んだ頭脳」と人間的に「熱い心臓」をもった人ならば、恥ずかしくて出来ないことではないだろうか。(註:『ザ・レイプ・オブ・南京』同時代社、07年12月)


 日本軍兵士は占領した南京で

 嘘の日誌を書いていたのであろうか?


 続いて、田母神俊雄氏に目を転じて、昨年3月出版の『田母神塾これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)を見てみよう。これは、彼の「統合幕僚学校での講義を再現」したものであり「自衛隊の上級幹部は『この授業』を受けていた!」のだそうだ。それは「田母神談話」「塾長薫陶」「歴史の講座」「政治の講座」「国防の講座」から編成されている。その細目の全てが、これが平和主義国家日本の自衛隊が受けていた講義の内容かと目を疑いたくなるようなものばかりである。

 その一例として「南京大虐殺」問題に目を当ててみる。

 彼もそこで「大東亜戦争の真実 『南京大虐殺』はデッチ挙げ」であり「戦争に負けた日本は・・従軍慰安婦問題、南京大虐殺など、捏造された自虐史観を日本の隅々にまで浸透させられてしまった。」と語っている。だが、事実かでっち上げか?それは田母神俊雄氏でも小林よしのり氏でもなく、その場にいた日本軍兵士こそが最もよく知っているのではないだろうか。現場兵士がその場で書き遺したことを見てみよう。

 これは小野賢二、藤原彰、本多勝一編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店、1996年)から野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店、1998年)に転載された、第十三師団山田支隊所属の宮本省吾少尉(帰郷後は農業に従事)の「陣中日記」である

 〈三七年一二月一六日、南京。午後三時大隊は最後の取るべき手段と決し、捕虜兵約三千名を揚子江岸に引率し射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ光景である。〉

 〈十七日(小雪)本日は一部は南京入城式に参加、大部は捕虜兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、午后晴れの南京入城式に参加、荘厳なる史的光景を目のあたりに見る事が出来た。夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加わり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会ひ友軍にも多数死傷者を出してしまった。〉(以下略)

 もう一人、近藤栄四郎伍長(復員後は地方公務員)の出征日誌。〈同一二月一六日。(前略)夕方二万の捕虜が火災を起し警戒に行った中隊の兵の交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。月は十四日、山の端にかかり皓々として青き影の処、断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、一生忘るる事の出来ざる光景であった〉

 侵略地においてこうした反人間的な残虐行為をおこなった現場の兵士たちの残した日誌や手記は、日本という国を省みるのに、見る価値がないのであろうか。事態認識にとって考慮に値しないのであろうか。

 そうではなく、こうした現場兵士のその場での記録こそ、事実確認の重要な証拠なのではないだろうか。

 それにもかかわらず、田母神俊雄氏(そして小林よしのり氏も)は、これらの事実から全く目をそらしてしまう。そして自分の立論「日本はいい国」に都合のいいように「南京大虐殺はなかった」と断言して、その犯した過ちを自分の講義を受ける自衛隊員からも、自分の著書を手に取る国民からも見えなくしてしまう。旧日本軍と、統帥権をもってその頂点にたった天皇とに対して、限りなく事実に反する美化を行っているのである。


 日本を「いい国」にしようと努めているのは誰か?

 日本を「悪い国」に再び落そうとしているのは誰か?


 田母神俊雄前航空幕僚長は「日本よ、牙を持て!」「非核三原則・専守防衛・武器輸出禁止は破棄せよ」とうたう『真・国防論』(宝島社、2009年)で次のように力説している。

 〈戦後の日本での教育を見ていると、左翼の影響か「日本は悪い国だ」と思うことが善とされているように感じてならない。〉〈いまの日本では過去の悪い行いだけが注目され、よいことは忘れさられている。もっと云えば、日本の悪行だけを声高に叫ぶことが正しく、善行に目を向けることを許さない風潮がある。このように日本の歴史を正しく公正に見つめることをせず、ただただ「日本が悪かった」と言い続けることは、国民としての自覚や誇りをなくさせるだけでなく、外交面でも不利な立場に追いやられる。〉(4頁)

 田母神俊雄氏は錯覚しているのではないだろうか。誤解しているのではないだろうか。或いは、そうでなければ、日本を軍備増強・核武装と戦争の方向へと導くために問題をすり替え、こんがらがらせているのではないだろうか。

 「左翼」であろうと何翼であろうと無翼であろうと誰であろうと、侵略と戦争と植民地支配と暴虐という、かつての日本が「犯した過ち」を確認しお詫びと償いと自己改革を行わなければならないと考え、その行いをおこなっている人びとは、日本を「悪い国だ」と言っているのであろうか。そう考えているのであろうか。決してそうではないはずだ。自分が生きている日本を自分が生きている場であるからこそ限りなく大切と思っているのではないだろうか。その日本が「犯した過ち」を正して「立派な国になってほしい」からこそ、犯した過ちを率直に認めて、お詫びと償いの行いをしようとしているのではないだろうか。ところが、田母神俊雄氏は、その真実を、その真情を、事実通りに見ようともせず、事態を「悪い国」観「いい国」観と短絡的に二項対立的に歪曲してしまう。そして、(一)良心的に考え行為する人びとを、日本を「悪い国」と決めつける反日本主義者たちに、(二)他方、その良心的な人びとの行為を嫌悪し否定する自分たちを、日本を「いい国」として愛する日本愛国主義者に描き上げているのである。

 しかし、事態を本質的に云い切るならば、(一)その良心的な人びとこそ、かつて過ちを犯した日本ではあっても、自分の生きる国として、その日本を愛し、その日本を「いい国」にして行こうとしている人びとであり、(二)かつての日本が犯した過ちを、見ることも、反省することも、詫びることも、償うこともしようとはしない田母神俊雄氏のような人びとこそ、日本を「悪い国」のままに留め、さらにヨリ一層の「悪い国」へと導こうとしている人びとなのではないだろうか。

 田母神俊雄氏が自衛隊航空幕僚長辞任後の最新著の一つ『田母神塾これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)において「教育勅語の復活」「敵地先制攻撃」「核武装」の強調をもって、その田母神「教科書」を結んでいることに、それは明らかになっているのではないだろうか。「教育勅語」で日本は「いい国」になれるだろうか?「敵地先制攻撃」で日本は「いい国」だとアジア諸国から歓迎されるだろうか?「核武装」で被爆国日本は「いい国」になったと世界から称えられるだろうか?

 日本は天皇主義と国家主義に二度と惑わさせてならない。(11・01・21)